苦い文学

町中華にて

近所の町中華で、ひとりラーメンを啜っていると、二人の太った男が入店してきた。

二人は奥の方のテーブル席に座ると、やってきた店主に驚くべき量の料理を注文しはじめた。

私がのろのろと食べている間に、料理が続々とテーブルに到着した。それを二人の巨漢は次から次へと平らげていくのである。

食が細く、痩せぎみな私は、常軌を逸した健啖ぶりに呆気にとられるばかりであったが、見ているうちに、おかしなことに気がついた。

二人で食べているように見えたが、実際にたくさん食べているのは一人のほうだけなのだった。もう一人のほうは一口か二口食べるだけで残りをすべて相手に押し付けているようなのだ。

また、二人の様子も変わっていた。あまり食べないほうは高価そうなスーツを着た中年男だったが、食べさせられているほうは、汚れたTシャツなのだった。年はもっと上のようで、顔つきは日本人らしくは見えなかった。

中年男はさらに大量の追加注文をした。そして料理がやってくると、彼が一口食べたものを、Tシャツの巨漢がどんどん体内に流し込んでいくのだった。

すでに、Tシャツのほうの顔には苦悶の表情が浮かんでいた。しかし、中年男はそれに構わず料理を彼の前に置き、「もっともっと」と促すのだった。まるで重荷を積んだロバを鞭でひっぱたいているように思えた。

やがて、裕福そうな中年男は満足したのか、Tシャツが最後の皿を悶絶しながら平らげると立ち上がった。そして、貸し切って忘年会でもしたかのような大金を支払った(クレジット・カードは使えないのだ)。

二人が去ると(Tシャツは過食のため目が回ったのか、ふらつきながら出ていった)、私は店主にこの異様な客について尋ねた。すると彼は答えた。

「社長(あの中年男のことだ)はいま健康のためにダイエット中なので、自分が食べたくなると他人に代わりに食べてもらうようにしているのです。一緒に来た人は、そのために雇った外国人ですよ。以前は痩せた人だったのですがね……」

苦い文学

論文投稿

学術的な論文は、学術誌に掲載される前に査読というものを受ける。査読というのは、複数の匿名の査読者がその論文を読んで、評価をすることだ。その評価に応じて編集委員会が掲載の可否を決めるのである。

掲載しないということになればそれで終わりだが、そうでない場合、大きくわけて2つの可能性がある。そのまま「採用」となるか「修正して再提出」かのどちらかだ。後者は、気合いを入れて直せば「採用」になるかもしれない場合だ。

この場合、論文著者は査読者(通常2人)が編集委員会に提出した「コメント、疑問、間違いの指摘」などの記されたレポート(査読結果)をもとに、修正稿を作成しなくてはならない。そうやって最終的に「採用」を目指すのである。

私にとって、この査読がもっとも「厳しい」学術誌がある。つまり、要求するレベルが非常に高いのだ。

最初にその学術誌に論文を載せてもらったときのことだが、私はバカみたいに何も考えずに論文を投稿した。

そして、数ヶ月後に編集委員会より「改訂して再提出」という知らせをいただいたときも、私はバカみたいに何も考えずに喜んだ。

「改訂して再提出」から「採用」に至るまでの長く過酷な道のりが今まさに始まったということを知らなかったのだ。

さて、この最初の論文の掲載から2年ほどして、私は同じ学術誌に再び投稿した。3か月後に「改訂して再提出」の通知をいただいた。

今回は喜ぶどころか、これから待ちかまえる過酷なプロセスを思って、がっくりと肩を落としたのであった。

苦い文学

時間よ停まれ

昨年の3月27日、渋谷で行われたデモに参加した。

デモは、ビルマの軍事政権に抗議する目的のもので、たくさんのビルマの人々が集まった。

デモの出発点は国連大学本部ビルで、青山通り、表参道、明治通り、渋谷駅前、宮益坂から国連大学本部ビルへとぐるりと一周するのだ。

私はカレンの人に誘われたので、カレンのグループとともにデモ隊に交じって歩きはじめた。

素晴らしい天気だった。普段は歩けない公道を歩くのはとても楽しい。私は「趣味としてのデモ」を提唱しているが、あまり耳を傾ける人はいない。きっと警備や交通整理に追われる警察官や公安の人々に迷惑だからだろう。

ビルマの人が拡声器でシュプレヒコールを日本語で叫んでいる。だが、慣れていないのかよく聞き取れず、気勢が上がらない。私と一緒に歩いているアラカン人の友人が文句を言う。もうひとりのアラカンの活動家が大声で叫びだした。すると、デモらしくなってみな元気になった。

我々は明治通りを逸れて線路の下をくぐり抜けた。神宮通りを下り、渋谷駅へと向う。その先は渋谷のスクランブル交差点だ。警察官たちは交差点で、歩行者たちを止めている。

隊列を組んだ我々は、交差点でゆっくりと旋回する。歩道で人々は完全に動きを止めて私たちを見つめている。

まるで時間が停まったみたいだった。

どんな時間停止AVよりも見事に停まったみたいだった。

苦い文学

名誉ある町民

JR念浜線の黒鍬駅は、黒見町と鍬池町の間にある駅で、無人駅ではないが、一日平均乗車客数が500人前後の小さな駅だ。

駅舎も小さく、駅員の勤める場所と待合室があるきりだ。駅舎の正面にはベンチがあり、高校生がよくたむろしている。

そして、そこにどこからかホームレスの男が現れた。

日中はベンチの近くで隠れるようにじっとしていて、夜になるとベンチに横になって寝るのだった。

「ホームレスがやってきた」との噂はたちまち町中に広がった。人々はさっそく駅に押し寄せて遠巻きにした。そして「なんとあれが話に聞くホームレス」と驚くやら、「こんな田舎にはて」と顔を見合わせるやら。拝みだす者もでる始末だ。

やがて、群衆の中から、ひとりの恰幅のいい男が歩み出て、ホームレスに話しかけた。

「私は黒見町の町長です。町民一同の感激をお伝えしに来ました。なぜなら、あなたがここに来てくれたおかげで、町がいっそう都会に近づいたからです。ぜひ我が町の発展に貢献した人物として名誉町民となってほしい……」

と、そのとき待ったをかけたのが鍬池町の町長だ。この町長もホームレスを新たな町民として歓迎しようと勇んでやってきたのだった。

たちまち黒見町と鍬池町とで、ホームレスの奪い合いが始まった。

こんな騒動があってから十数年が経った。黒見町と鍬池町は合併して黒鍬町となり、かつてのホームレスはいま初代町長として忙しい日々を送っている。

苦い文学

池袋の廃虚

2020年の冬、私は池袋のとあるビルの一室で日本語の授業を担当していた。

そのビルのいくつかのフロアを学校が借りて「校舎」としていたのだった。

当時、文科省は対面教育を推し進めるべし、という方針を打ち出していた。これに応じて、学校はハイブリッドで授業を行うことを決定した。

私は週に2回そのビルで、ハイブリッド授業を行うことになった。だが、なんというハイブリッドであったろうか。ハイブリッド成分がまったくなかったのだ。つまり、すべての留学生がオンラインを選んだのである。

しかも、その「校舎」は教室だけだったから、職員もいなかった。どうやら、その「校舎」には私以外には誰もいないようなのだった。つねにひとりぼっちだった。

たとえばこんな具合だ。

2限はそのビルの7階のA教室で授業だ。授業が終わると私は教室でひとり弁当を食べる。そして、同じ教室で3限が始まる。これが終わると私は9階のA教室に移動する。4限は授業がないので、広い教室でひとりのんびりする。そして5限の授業を行う。

この間、私は誰にも会うことはなかった。学生はもちろん、ほかの教員にも会わなかった。

ただ、別の校舎にいる教務課の職員が必ず見回りに来た。彼らは授業中に教室の外の薄暗い通路に現れて、ドアのガラス窓から覗く。そして、私がサボっていないことを確認すると去っていった。

こんなことを繰り返していると、私は世界がもうとっくに滅びてしまったような気がしてきた。

私はロボットで、人類が死に絶えた世界で昔のプログラムを遂行しつづけているのだ。廃虚のビルを上がったり下がったりして、すでに意味の失われた行為を繰り返す。変化といえば、ときどき物言わぬ監視ドローンがやってくるだけ。あっという間に数百年が経つ……。

だが、ある日、ドローンに追われた少女が教室に逃げ込んでくる。これがきっかけとなって、謎に満ちた世界をめぐる冒険の幕が開くのだ。

苦い文学

おじさんの反日プロパガンダ

子育てにおける絵本の読み聞かせの重要性はいくら強調してもしたりないが、それでも注意すべきことがある。

それはどんな絵本でもこどもの心の発達に有益だとは限らないということである。いや、有害ですらあることもあるのだ。ことにその絵本が反日的である場合には。

私が言っているのは『おじさんのかさ』のことだ。

物語は単純そのものだ。

主人公である「おじさん」は傘を大切にしていて雨の日にも傘を使わないのだ。だが、こどもの歌を聞いて楽しくなって傘を差してしまう……そんな物語だ。

結構な物語だ、ほほ笑ましい物語だ。ものは温存せず、人と一緒に使ってこそ意味がある、そんなメッセージを読み取る人もいるだろう。

だが、どうだろうか、もしこの「かさ」の意味するものが領土だとしたら?

もし、おじさん首相が、我が国の領土を大切に守らずに、どうぞ一緒に入りましょうとばかりに、韓国、中国、ロシアに差し出すとしたら、あなたは同じようにほほ笑んでいられるだろうか?

こどもに亡国精神を植え付け、我が国の国益を脅かす、この憎むべき反日プロパガンダの存在を知った今、皆さんはもはや、こどもにこの絵本を読み聞かせることなどできないのではあるまいか。

「あめがふったらピッチャンチャン」などとノンキに歌っていることなどできないのではあるまいか。

苦い文学

お化けの世界

彼はもともと影の薄い人間だ。飲食店に入ってもお店の人に気づかれないので、仕方なしにそのまま立ち去ることもあるくらいだ。なんだかお化けのようなのだ。

彼は今どこかに勤めているわけではなかった。会社もなければ仕事もない。これは生物的には生きているが社会的には死んでいるような状態だ。なので、彼はますますお化けに近づいてきている。

実際、私の見るところ、彼とお化けの共通点は多かった。影が薄いことと、いるかいないか分からないということはすでに述べた。

他にもある。いつも同じ場所にいるというのもそのひとつだ。見える人には見えるというのもある。ある種の霊感がなければ、彼を知覚することはできないようなのだ。

しかし、申し添えておきたいのは、彼もまた自分がお化けのような気がしているということだ。むしろ、積極的にお化けとして生きようとしている気配すらある。

朝は寝床でグーグーグーだし、学校も試験もなんにもない。そして、昼はのんびりお散歩だ。

ますますお化けに磨きがかかってきたのか、彼は、夜の墓場を会場として、運動会を開催しようと考えるまでになった。準備に取りかかると案外忙しい。なので、手伝ってくれる仲間を募っているそうだ。

私も手を上げようかと考えている。

苦い文学

働く車

私が車の免許を取ったのはそれほど昔のことではなく、それまでは車のことなどまったく興味がなかった。知っている車の名前といえば、昔CMで見たホンダ・シティと、カエルみたいなポルシェと、ルパンに出てくるフィアットぐらいだった。

そんな無知な時代、私はあるビルマ人と茨城の牛久入管に面会に行った。そのビルマ人はドイツで難民認定された人で、ある用事があって日本に短期滞在していた。

牛久の入管は牛久駅からずいぶん離れているので、タクシーか車でないと行けない。なので、入管の敷地には駐車場があり、職員や面会に来る人の車が停められている。

よく覚えていないが、面会の後、入管の外でタクシーを待っていた時だったかもしれない。彼が停車している車を見て私に英語で尋ねてきた。

「日本の車を見ていると、黄色いナンバープレートの車とそうでないものがあるが、この違いはなんなのか」

私は少し考えて答えた。

「黄色いのは仕事に使っている車だ」

今もなお目を閉じれば浮かんでくるのは、明らかに納得していない彼の顔だ……。

苦い文学

吉田さんの挑戦

「昔は、よく見かけたものです」と吉田一郎さん(56)は、山の斜面にある石を持ち上げた。

「こういうところにたくさんいたものですが、今は姿を見ることすら難しくなりました」とさびしそうに笑う。

吉田一郎さんが皇族の再生に取り組んで10年になる。関心を持ったのは、女系天皇の議論をテレビで見てからだ。

「皇族がいなくなるなんて思いも寄りませんでしたよ。これでは国体の護持ができないと、いてもたってもいられなくなりました」

とはいえ、皇族をどうやって繁殖させたらいいかも知らなかった吉田さん、はじめは試行錯誤の連続だった。

「うっかり宮内庁を放置したせいで、あわや全滅ということもありました。宮内庁は軟らかすぎてもダメ、硬すぎてもダメ、その按配が難しいんです」

苦労のかいあって、吉田さんの手がけた宮家は順調に増えつづけている。

「もっと皇族が身近に感じられる時代が来たら」と目を輝かせる。

吉田さんの皇族が私たちの食卓に上る日もそう遠い未来ではなさそうだ。

苦い文学

当惑

入管の手続きで、難民は身元保証人が必要になることがある。この身元保証人の要件には3つのタイプがある。ひとつは住所と名前だけで済む場合、もうひとつはさらに住民票や納税証明書や銀行の残高証明(通帳のコピー)が必要な場合、そして3つ目は在職証明書もまた必須の場合だ。

私は入管関係の書類で身元保証人を頼まれた場合、基本的には断らない。だが、現在は仕事がないので3つ目のタイプの保証は引き受けることができない。

この第3のタイプは、特定活動ビザの人が定住者ビザに変更したい場合や、定住者ビザの人が永住者ビザに変更したい場合に多いようだ。なお、第1のタイプは、在留期間延長届などの場合、第2のタイプは入管被収容者の仮放免許可申請の場合だ(ただし、入管のやることはいつも変わるので、これも変わりうる)。

ある知人のビルマ難民が、弁護士と相談してなにかの申請の準備を進めていた。それで身元保証人が必要になった。

その人は私を思い出し、連絡してきた。身元保証人のために準備すべき書類を教えてもらうと、在職証明書も含まれていた。

「できない」というと、その人は日本語が十分理解できなかったのか、弁護士に直接伝えてほしい、と頼んできた。

私のことなど知りもしない弁護士先生にいきなり電話して「申し訳ないですが、できません」と言えというのだ。

「ゴメンね、君の彼氏にはなれないよ……」と見知らぬ男から告白された女性ぐらい弁護士を当惑させるのは間違いないので、私は断った。