苦い文学

文学解釈と想像力

はたらけど、はたらけどなお、わが生活楽にならざり、ぢつと手を見る

この短歌は、石川啄木が作った歌です。たぶん、みなさんもご存知だと思います。

石川啄木という人は、とても貧しい生活をしていました。貧しいというのはお金がないことですから、お金を稼ぐために一生懸命働かなくてはなりません。それで、石川啄木はがんばって働いたのですが、それでも生活は楽になりませんでした。

「こんなに働いているのにどうして自分の暮らしはいつまでも厳しいのだろう」 そんな気持ちがこの歌の前半で描かれています。

その後に、石川啄木は「ぢつと手を見る」と続けます。どうして彼は「ぢつと手を見」たのでしょうか? ここはちょっと難しいところです。ぜひ、想像力を働かせてください。文学を読むときは想像力がなによりも大事です。

みなさんもいろいろ想像されたかと思いますが、私の考えを述べさせていただきます。彼が自分の手を見たのは、そこに「気づき」があったからです。

つまり、石川啄木はどうして自分の暮らしがこんなに厳しいんだろう、と悩み、ふと自分の手を見た瞬間に、その理由に気がついたのです。それで、思わずじっと見つめてしまった、そんな驚きと感動がこの短歌の表現の核といえます。

では、彼は自分の手に何を見出したのでしょうか。それは実際のところわかりません。彼は何も書いていないのですから。

ですが、ここでも想像力がものをいいます。

手にあったものとは、おそらく、現代でいうならば、パワーストーンの指輪のたぐいではなかったでしょうか。

彼の手は、指輪だの数珠だの高価な開運アクセサリーでいっぱいだったと考えられます。そんなものにお金を使っていたのでは、暮らしが楽にならないのも当然といえば当然ですね。

風刺・戯文

石打ちの認証

《ヨハネによる福音書第8章より》

……律法学者たちやファリサイ派の人々が、姦通の現場で捕らえられた女を連れて来て、真ん中に立たせ、イエスに言った。

「先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか」

イエスを試して、訴える口実を得るために、こう言ったのである。

イエスはかがみ込み、指で地面に何か書き始められた。 しかし、彼らがしつこく問い続けるので、イエスは身を起こして言われた。

「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」

そしてまた、身をかがめて地面に書き続けられた。

これを聞いた者たちは集まり、イエスが地面に書かれたものを見て驚いた。そこにはこう書かれていたからである。

⬜︎ 私は罪人ではありません。

人々がチェックボックスにチェックを入れると、画像認証に変わった。

「石の画像をすべて選択しなさい」

人々は画像を選択して確認ボタンを押したが、何度やっても先に進むことはできなかった。どの画像もぼやけていたのである。

苦い文学

新しい特定技能

特定技能制度は、外国人労働者の受け入れを拡大し、労働力不足をカバーすることを目的として、2019年からはじまった在留資格です。

この在留資格には「1号」と「2号」の2種類があります。受け入れ可能な職種はそれぞれ次のとおりです。

1号(12職種)
(1) 介護 (2) ビルクリーニング (3) 素形材・産業機械・電気電子情報関連製造業 (4) 建設 (5) 造船・舶用工業 (6) 自動車整備 (7) 航空 (8) 宿泊 (9) 農業 (10) 漁業 (11) 飲食料品製造業 (12) 外食業

2号(2職種)
建設、造船・舶用工業

政府の有識者会議はこれまで、この特定技能制度の運用と実態に関して議論を行ってきました。少子高齢化と人材不足の進行に対応するため、対象となる職種を追加すべきだとの勧告をたびたび行っています。

これを受けて政府は今日、特定技能1号の職種として 「(13) 政治」を新たに加えることを公表しました。

地方議員の深刻ななり手不足の解消が期待できるとあって、各地方では早くも歓迎ムードです。

政府は今後「 (14) 皇室」も追加するという方針も明らかにしています。

苦い文学

イヌグラティチュード

最近、ようやく暖かくなってきたので、公園で日向ぼっこしていたら、散歩に連れられてきたイヌたちの会話が聞こえてきた(今年に入ってはじめてだ)。

毛並みのいいの「まったく、なんだってんだ、あのハチ公ってのは。どいつもこいつもチヤホヤしやがって」

背の低い茶色の「ああ、あの忠犬とやらな。聞いて呆れるよ、飼い主を待ち続けてただけでさ。あんなの、我々ならだれだってできるっての」

白くてフサフサしたの「まったくだ」

毛並みのいいの「だいいち、駅で待ち続けようにも、昔と違って我々はリードがあるから、勝手に出歩くことが許されないのだ」

背の低い茶色の「そのとおり、まさにリードが忠犬を絶滅に追いやっているのだ。もし、リードなどなければ、我々がどれくらい忠犬か、そりゃみな仰天するはずさ」

毛並みのいいの「それに、あんな安っぽい銅像などこっちから願い下げさ、我々なら、奈良美智製作の高級オブジェでなきゃ」

白くてフサフサしたの「まったくだ」

毛並みのいいの「しかも、たとえリードがなくても、こっちの駅ときたら、渋谷とは比べ物にならん。そんな寂れた駅でかりにハチ公が待ち続けてたとしても、誰も気がつかないし、追っ払われるのが関の山さ」

背の低い茶色の「そうそう、俺の飼い主など、自動車通勤だから。どこで待てばいいってのさ」

白くてフサフサしたの「俺の飼い主は無職だ」(とがっくり。)

毛並みのいいの「だが最大の問題は、飼い主が生きてるということだ。そのせいで、忠犬チャンスを奪われているかと思うと、もうイライラするね」

背の低い茶色の「いっそひと思いに殺してくれようか! そうすれば明日にでも忠犬ぶりを発揮できるというのに!」

イヌたちこの言葉に大いに賛意を示し、自分たちが忠誠心と殺意を同時に抱いている飼い主たちにリードで引っ張られて、町のどこかの暗がりに消えていった。

苦い文学

応援ソング

応援ソングというものはずっと以前からあったのかもしれないが、ひとつのジャンルとして確立したのは、というかより正確には「応援ソングを聞く」という行為が慣習として成立したのは、もしかしたら、ウォークマンが普及してからかもしれない。

というのも、ウォークマン(そして、現在のスマートフォン)がなければ、自分だけのものとして、そして、自分にとって応援が必要なまさにそのときに、応援ソングを流すということはできなかっただろうから。

競技前のアスリートがイヤホンで応援ソングを聞いて集中力を高める……テレビではお馴染みの光景だが、それも携帯音楽プレーヤーがあってはじめて成立することだ。

いずれにせよ、応援ソングというものが現代の音楽文化の重要な一角を占めており、どの歌手もたいてい少なくとも1曲や2曲の応援ソングを持っている。

こうした状況は、私のようなつらい人生を歩む者にとってはありがたいことだ。いつでも好きなときに、数えきれないほどの応援ソングが聞けるのだから。

それで、四六時中聞いていたせいか、最近、私は歩く必要すらもうなくなってしまった。

応援ソングが背中を押してくれるので、ひとりでに前進してしまうのだ。応援ソングの意外な効用といえるだろう。

苦い文学

線審

混迷するこれからの世界でますます需要が高まる職業といえば、線審だろう。

線審とは、ボールが線から出たかどうか判定するプロフェッショナルだ。野球やテニス、サッカーでお馴染みだが、その活躍の場はフィールド外に広がりつつある。

たとえば EEZ(排他的経済水域)だ。北朝鮮のミサイルが、EEZ の外であろうと内であろうと、はっきりとわかる位置に落下すれば問題はない。だが、EEZ ラインのギリギリを攻めてきた場合はどうだろうか。線審の判定が必要なのは言うまでもない。

また、つい先日、岸田首相を狙った爆発物投げ込み事件が起きた。今後、同様な事件が増えそうな気配であるが、警備体制の強化とともに、線審の立ち合いも不可欠だ。

あっ、首相の街頭演説の最中、聴衆のだれかが筒状の物体を投げ込んだぞ!

「あぶない!」 SPたちがとっさに首相を庇う。と同時に線審が鋭い目つきで物体の落下地点を確認する。線を越えたか、越えないか?

旗が上がる! 「アウトッ」

警官たちはいっせいにテロリストにつかみかかる!

苦い文学

最後のおやじギャグ

おやじギャグというのはいうまでもなく、高齢男性が言いがちな「つまらない駄洒落」のことだが、現代では「加齢による言語連想機能障害」と呼ばれている(DSM-5による分類)。

この原因については、かねてから脳の老化との関連性が指摘されており、さまざまな研究が行われている。

最近発表された研究では、おやじギャグをいうグループ(OG)と言わないグループ(NOG)の脳の器質的特徴の比較が行われ、OG群では、ニューロンレベルでの脳の硬直インデックス(CSI)が有意に高いとの結果が出たそうだ。

よく知られているように CSI はまた死後硬直の基準指数でもあるから、おやじギャグとは、実は死後硬直の前駆症状なのではないか、という興味深い推論もなされている。

私にはこの推定の当否を判定するだけの材料はないが、おやじギャグが死後硬直の始まりであるならば、その終着点である死後のもっともカチンコチンの状態は、まさしく全身がおやじギャグといえそうだ。

生涯最後のおやじギャグを、思い思いのこわばりぶりで披露する死体たちを見れば、もっともおやじギャグを軽蔑する最先端のお笑い愛好家も、腹を抱えて大笑いせずにはいられないのではあるまいか。

苦い文学

異世界ネットワーク

初めに発見したのは北朝鮮の科学者たちとも言われているが、いずれにせよ、人類は、異空間への入り口の存在を突き止めたのだった。

しかも、一度それが発見されるや、世界中のあちこちにもその入り口があることが明らかになった。慎重な調査ののち、各地で探査隊が送り出された。

探査隊がもたらした情報は驚くべきものだった。それらの入り口は別世界に通じていたのだ。

しかも、それらの世界には人間の居住できる空間が広がり、さらにその世界が別の世界へと繋がっていた。つまり、人類は突然、自分たちが異世界ネットワークの一部であることを悟ったのだ。

それから500年の間、つまり、瞬く間に人類は異世界へと広がっていった。というのも、それらの世界は、地球よりも豊かで安全であり、さらには地球に存在しないエネルギーで満ちていたからである。

いまや、人類は無数の世界に居住し、世界をつなぐネットワークを通じて膨大な人とモノが行き来していた。

そして、この空前絶後の繁栄のさなか、急に異世界をつなぐ経路が消失した。ちょうどこの経路の発見から1000年後のことだった。

ネットワークは分断され、地球と異世界は交信不可能となった。

「異世界移動システムの無料お試し期間が終了したのではないか」というのが、みすぼらしい地球にとり残された人類の意見だ。

苦い文学

一流の耳

トップクラスのフィギュアスケート選手になるためには何が必要だろうか?

バランス力、筋力、柔軟性、瞬発力、しなやかさ、精神力、克己心、努力……どれも大事だろう。

だが、いちばん必要なのは、耳だと私は思う。

どんなにダサい音楽だろうと、朝から晩まで聴いてもへこたれない強靭な耳だ。

実際、普通の人だったら、フィギュアスケートで流れる音楽を聴くことに耐えられないだろう。

出だしはポロンと始まって、次第におおげさに盛り上がって、情感たっぷりに歌い上げたあげく、最高潮では決まってドガジャーンとシンバルが打ち鳴らされる、あのダサい音楽は、いったいどこで配信されているのだろうか? 

フィギュアスケート選手だけに特別にダサい音楽が流してくれる有線放送でもあるのだろうか? 

私はどこの街のどんなところにいようとも、フィギュアスケート場を探し当てることができる気がする。ダサい音楽が流れてさえいればだ!

「フィギュアスケート選手を目指す諸君! この世界で一流になろうと思うのならば、かっこいい音楽は諦めることだ! スミスもデヴィッド・シルビアンもいっさい忘れたまえ!」

「コーチ! 山田がこっそりテレヴィジョンを聞いていました!」

「なに! ミート・ローフを全曲聴き終わるまでウサギ跳びだ!」

苦い文学

Jアラート防衛

今日は、政府の全国瞬時警報システム(Jアラート)の警報が発令され、朝から騒然としていた。

「落ちる」というので、国際社会における日本の地位や出生率のことかと思いきや、北朝鮮のミサイルのことであった。

北海道のどこかにミサイルが落下するというのだ。やがてこれは訂正され、当初思っていたほど危険ではないということがわかったが、それでも、朝の貴重な時間を北朝鮮に振り回されたのであった。

そして、これこそが北朝鮮の狙いでもある。私たちが慌てたり、怯えたり、北朝鮮の威力に「恐れ入ったり」するのを見るのが楽しいのだ。

しかし、ちょっと考えればわかるように、私たちを慌てさせるには、実際のところミサイルなどいらない。ただ警報が鳴れば、私たちは反射的に騒ぎ出すだろう。

ならば、むしろ、北朝鮮にJアラートのボタンを渡せば済むことではないだろうか。

北朝鮮は、ミサイルを発射する代わりに、ミサイルが発射されたというJアラートを鳴らすのだ。

これなら、わざわざ貴重なミサイルを撃たなくても済むし、日本もミサイル落下の恐れがなく安心だ。

ただし、大事なのは私たちのリアクションだ。そう思えば、鳴ったときにちょっとおつきあい程度に驚いてやるくらい、なんでもないではないか。