苦い文学

心のケア

現代では話の終わりには必ず心のケアが出てくる。

「事件を受けて、学校は生徒の心のケアに努めると語っています。では、次のニュースです」

こんなふうな具合だ。

そもそも、私たちは心のケアを持ち出されるともう何も言うことはできない。

心のケアが大事なのはいうまでもないし、大賛成だ。だが、そのいっぽう、私たちは心のケアがいったいなんなのか、どういうことをするのか、まったく知らないのだ。

だから、心のケアが出てくると「これはもう俺たちがどうのこうの言える話題じゃない」という神妙な気分になって、もう話を打ち切ろうという気になってしまう。

だから、面倒くさい話を終わらしたい時などにも「心のケア」が有効だ。たとえば愚痴を聞かされているときなどはテキメンだ。

「心のケアが必要だね……」

これでもう相手は黙ってしまう。怒られている時だってそうだ。

「心のケアに努めます……」 どんな反省よりも効き目がある。

職務質問だって。

「ちょっといい? こんな時間にどこ行くの」

「は、ちょっとそこまで心のケアに……」

苦い文学

大股びらき

私たち男は電車の座席で大股を開く存在だと煙たがられている。

「迷惑だ」「見苦しい」「邪魔だ」「自己中だ」「不快だ」「粗末だ」……

私たちの開かれた股に、どれだけ非難・批判・罵り・軽蔑が投げかけられてきたことだろうか。

確かに私たちはそれに値する。だが、それでも、私たち男にも言い分があるということも知ってほしい。

男の股に睾丸と呼ばれる二つの球があるのはご存知かと思う。この球は地球と同じく磁性を帯びている。二つの球は、普段は違う極どうしが並び、くっつきあっている。だが、不意に片方の球が反転してしまうことがあるのだ。

どうしてそんなことが起きるのかについては、諸説ある。鉄道の発する電磁波の影響によるもの、と考える人もいるし、電車の揺れが少しずつ球を回転させるのだ、という人もいる。

いずれにせよ、球が同じ極で向き合うとき、激しい反発力が発生する。これが、私たち男の股を勝手に開かせるのだ。

私たちは自分が股を開いているなど、まったく気がつかない。勝手に球が反発しあっているだけなのだから。私たちが気がつくのは、ただ周りの乗客たちの厳しい目によってのみだ。

私たちは慌てて股を閉じる。

だが、それはどんなに大変なことだろうか。なにしろ反発しあう睾丸を股でぎゅっと押さえ込むのだ。

みなさんも、両足をそろえて座る男性を見かけたら、やさしい目で見てやってほしい。もしかしたら、その固く閉じられた股間では、今まさに、二つの睾丸が激しく暴れ回っているかもしれないのだから。

苦い文学

急接近

日本語の書記システムにおいては、通常、4つの文字システムが用いられる。ひらがな、カタカナ、漢字、ローマ字である。

ほとんどの言語は、ひとつかふたつの文字システムしか用いない。なので、4つもあるというのは、非常に珍しいことだと思う。

ひらがな、カタカナ、漢字、ローマ字には使い分けがある。漢字は漢語、用言の語幹に用いられ、ひらがなは用言の活用部分、助詞などに用いられる。カタカナは外来語、擬態語などだ。ローマ字は補助的に用いられている。

カタカナは、しばしば非日本人の発話を表記するのにも用いられる。

外国人「ドーモ、スミマセン」

宇宙人「ワレワレハ、宇宙人ダ」

こうしたカタカナの用法は、カタカナがそもそも「カタコト」の印象を表すのに適しているからだ、と考える人もいるかもしれない。だが、むしろ、日本人という共同体の内と外とを文字使用の点でも区別したいという欲求によるものであろう。

いずれにせよ、「私たち」の発話は「ひらがな」、「私たち以外」は「カタカナ」という間合いの取り方が今でも見られる。

かつては、コンピュータも「カタカナ」で話したものだった。

「イジョウジタイ、ハッセイ、タダチニ、タイヒセヨ」

最近、ChatGPT が話題になっている。賛否両論があり、議論は絶えないが、もし、ChatGPT がひらがなでなくカタカナで回答していれば、反応は違っていたにちがいない。

どんなに優れた技術でも、いきなりひらがなは、急接近すぎて私たちをドキドキさせるのだ。

苦い文学

大事でない袋

久しぶりに結婚式に招かれた。

私はただの出席者に過ぎなかったが、同じテーブルの人がスピーチに立った。

スピーチ自体はお決まりのもの、つまり、結婚生活で大事な袋を5つ挙げるというものだった(堪忍袋、給料袋、お袋、胃袋、金玉袋)。だが、奇妙だったのは、その人がスピーチの終わりにこう言ったことだった。

「大事な袋についてお話ししましたが、念のため大事でない袋もあるということを申し添えておきます」

彼がテーブルに戻ってきたとき、私はこの言葉の真意を尋ねた。その内容を以下書き記しておく。

「我々の社会は袋なくして成り立ちません。ですが、あまりに袋を大切にし過ぎているせいで、弊害も生まれてきています。つまり、まったく必要でない袋まで幅を利かすようになっているのです。

その代表が、飲食店で出てくるおしぼりの袋です。おしぼりを使ったのち、あの汚く破れた袋をどう始末したらよいのか、だれにもわからないのです。

私はあれはゴミだと思っています。ですが、店員は絶対に回収に来ません。食べ終わった皿をどんなに早く回収するレストランでも、あの袋は持っていってくれないのです。

これはおそらく、我々が袋を大切にしすぎるから、店側としてもうっかり回収してクレームでも言われたら、と思っているのではないでしょうか。

私が、大事な3つの袋の話の後に、大事でない袋もある、ということを付け加えたのは、こうした社会が少しでも変わってほしい、と願ったからなのです」

苦い文学

ある訓練

最近は、人の往来も活発になり、長い間ご無沙汰していた人々との再会の機会も増えた。

先日、たまたま友人に会ったが、コロナ以前とまったく変わってしまったのに驚いた。以前は、痩せていたのだが、今見る彼はでっぷりと太っているのだ。

その理由を聞くと、毎日のように二郎系のラーメン店に通っているのだという。私はこれにも驚いた。

「食べ物などに全然興味がなかったのにジロリアンとは! いったいどうした心境の変化だい?」

「それだがね、ロシアのウクライナ侵攻がいっさいを変えてしまったのだ」

「というと?」

「日本のマスコミは不思議に報じていないが、この戦争はロシアが勝つ可能性が高いのだ。ロシアが勝つとどうなるかというと、次は日本だ。中国と手を組んで、ロシアは我が国を瞬く間に占領してしまうだろう」

「だが、アメリカは? 最強の同盟国は?」

「トランプが何かしてくれるとでも?」

「なるほど!」

「さて、ロシア占領下の我が国で何が起こるだろうか? もちろん、連中お馴染みの粛清だ。あちこちに強制収容所が建設され、疑わしい者は全員放り込まれるだろう! この私も間違いなくだ!」

「たしかに、余計なことばかり言うからな」

「で、そのロシアの収容所ときたら! かねてからソルジェニーツィンを愛読している私は、どれだけ劣悪な環境か知り抜いているのだ。食事だって、ろくなものは出ない。よくて豚の餌、しかも、高圧的な看守たちからネチネチ意地悪を言われながら、大急ぎでかっこまねばならないのだ」

「ははーん、それで」

「そのとおり、前もって訓練しているというわけだ」

私は彼の言葉に同意はしなかったが、彼のような人がいる以上、「収容所の臭い飯専門店(ヒドクサイ店)」をフランチャイズ展開するのも悪くはないかもと思った。

苦い文学

失われた30年

今、日本があぶない。

かつては日の上る勢いであった日本の経済力は、失われた30年を経て、いまや黄昏時にいたった。そして、その夕闇の中、少子高齢化が進行し、やがれ訪れる夜の闇に我が国は飲み込まれるであろう。

日本は黄泉の国となるのであろうか。

無論、政府とて手をこまねいているわけではない。「異次元の少子化対策」を掲げ、出生率を上げようと試みている。だが、もしも、少子高齢化も異次元級だったら? はなはだ心許ないと言わざるを得ない。

賃上げによる所得増大政策も推進されてはいる。だが、人口が若返らないかぎり、どんな経済政策も無意味である。

このような危機的状況を前にして、私はひとつの解決策を提示したい。

失われた30年というならば、まず、その失われた30年を見つけ出すほうが先決ではないのか。

というのも、もし我が国が30年を取り戻すことができたら、私たちは30年分若返るのだ。高齢化も解決できようし、30年前の活力で持って子作りに励めば、少子化問題などたちまちに霧散しよう。それとともに経済も上向きになるのももちろんだ。

では、その失われた30年はいったいどこにあるのか? どこの険しい山岳地帯、どこの危険きわまりない洞窟に隠されているのか。私は現在、探査計画を練っている最中だ。

探査旅行は、徳川埋蔵金発掘よりも大規模で、インディ・ジョーンズばりにスリリングなものとなろう。

探査隊への参加を希望される方は、ガイドブック『失われた時を求めて』を携帯の上、お集まり願いたい。

苦い文学

主文後回しの刑

いったい、主文が後回しにされたままなどあるのだろうか? 私たちは長いあいだ今か今かと待ち続けているのだ。

もしかしたら、私たちはうっかり聞き逃したのかもしれない。隣の仲間たちとおしゃべりに夢中になって、小突きあってくすくす笑っている間に、主文が読み上げられてしまったのかもしれない。

ふいに、誰かが話すのが聞こえることもある。私たちは急に押し黙り、主文かも、と思って耳をそばだてる。

「……1日1回、大人は3錠、子供は1錠、食後に服用のこと。服用後は車の運転……」

「……次はラジオネーム、《キリギリス》さんからのお便り、こんにちは、いつも楽しく聞かせて……」

「……今まさにあなたの魂をデーモンが奪おうとしていたのです! さあ、その憎しみを捨てなさい、そして聖なる家族を……」

これは主文じゃない。私たちは落胆する。

私たちは主文をすっかり見失ってしまったのだ。主文もなしに宙ぶらりんの状態で、もう何年も何年も途方に暮れて……。

「もしかしたら、私たちは主文を聞く前に死んでしまうのではないか?」

主文なき死という考え、これほど恐ろしいものがあろうか? なぜならそれは死ですらないからだ。

私たちは夢見る。ある日、主文が極刑を運んできて、私たちに本当の死を与えてくれるのを……。

苦い文学

主文のデッドヒート

極刑の判決がくだるとき、主文はいつだって後回しだ。

これは主文を先に言ってしまうと、被告人が動揺するからだそうだ。だが、後回しにされた時点で、被告人にとってはもうネタバレ、ということは裁判官の頭に思い浮かばなかったらしい。

むしろはじめはダミーの主文を読んで、それから判決理由、そして最後にもういちど主文で極刑の宣告のほうがよいのではないか。

裁判官(第一声)「被告は無罪!」 判決理由を述べたのち「かと思わせといてやっぱり死刑!」

主文で判決理由を挟むこの「主文サンドウィッチ」になにか問題があるのだろうか。もし問題があるのであれば、裁判官が不意打ちで主文を読むことにしたっていい。

だが、私がお勧めしたいのは、用意ドンで、主文と判決理由が一斉にスタートするレースだ。判決理由が勝てば、主文は後回しで極刑となる。

被告にとってはもう主文を応援するしかない。主文が勝てば少なくとも死刑にはならないのだ。

コースは山あり谷あり、急カーブあり。主文と判決理由が抜きつ抜かれつのデッドヒート。

主文勝て! 主文がんばれ! 手に汗握るレース展開に手錠をかけられた手もびっしょりだ。

苦い文学

正しい歴史を取り戻す会

昨日、国民運動「正しい歴史を取り戻す会」が発足し、設立集会が開催された。

「この会の目的は自虐史観、GHQに押し付けられた間違った歴史を打倒し、日本人が真の誇りとする正しい歴史を取り戻すことにあります」と会長の横須賀和也氏は参加者を前に語り、会のスローガンとして「歴史は1つ、真実は1つ、日本は1つ」という「3つの1つ」を公表した。

「この理念は私が長年あたためてきたものです」

次に演説を始めたのは、理事長の河原はじめ氏だ。「中韓との歴史戦に勝利して、真実の歴史を打ち立てなくてはならない!」と堂々たる弁を振るったのち、こう語った。

「ちょっと横須賀先生に申し上げたいのですが、当会のスローガンである『3つの1つ』を提案したのは私であったかと思いますが……」

集会は盛況のうちに終わったが、「『3つの1つ』を考えたのは俺だ」「いや俺だ」の歴史戦が始まって、その晩、会は解散のやむなきにいたった。

苦い文学

制圧行為

警官たちはよってたかって人を制圧するのが好きだ。

制圧される人は、例えば何かが原因で暴れたり、混乱していたりする人だ。警官たちはこうした人が手に負えない、あるいは危険だと見るや、すぐさま飛びかかって制圧にかかる。

制圧されるのは恐ろしいし、苦しいので、制圧された人はますます暴れる。すると警察たちはまだ制圧が足りない、と考えて、これでもかとばかりに地面に押しつける。

すると、制圧された人はますます苦しくなって体を動かす。だが、それが逆に作用する。警官たちは両手ばかりでなく膝も使って、ますます強く押しつける。全体重をかけてぎゅうぎゅういわせる。その結果、押さえつけられた人は窒息したり、意識不明になったりして、死んでしまう。

もしかしたら「ギブ! ギブ!」と叫んでいたかもしれない。だが、たいてい警官の耳には届かないし、届いたとしても、信じない。いったん制圧のスイッチが入ったら、これを止めることは不可能なのだ。

警官による制圧行為で、これまでいく人もの人が死んだ。

私はこうしたニュースを聞くたびに、悲しみと恐ろしさを感じる。と同時に、うどんが食べたくなる。