苦い文学

マイマイナンバーカード

マイナンバーカードが始まったとき、これが私たちを苦しめようとは思いもしなかった。だが、それはゆっくりと進行していったのだ。

はじめは銀行口座、次に保険証、その次は免許証、さらにパスポートがひもづけられた。そして、納税記録とあらゆる買い物記録もだ。診療記録ももちろんだ。さらにはいつのまにか、経歴、学歴、ポートフォリオ、通信記録、交友関係……私たちのすべてがこのマイナンバーカードに記録されるようになっていた。

ある日、政府はこれらのデータをもとに AI を使って、「私」を作り上げた。その上で政府はこう通知してきた。公的にはこの「私」以外、認めない、と。

それ以来、私たちはこの「私」にならなくてはいけなくなった。もし「私」になりきれれば、その時はすべてうまくいく。「私」のものは私のものになるのだ。

だが、もし「私」になれなかったとしたら?

私たちは逮捕されるだろう。他人のマイナンバーカードを不正に使用しているとして。

苦い文学

マイナンバーカード

私は最初マイナンバーカードには反対だった。だが、カードを新規登録するとポイントがもらえると聞いてから、考えが変わった。

最初は 5,000 ポイントだった。だが、国民の反応が鈍いと見るや、政府は 20,000 ポイントに引き上げた。すると、一気に申請率が上がり、全国民の7割を超えた。

しかし、我が国の政府は7割程度では満足しない。「やるからには全員」そんな決意を込めて、一気に 30,000 ポイント上乗せした。

ところが、意に反して、申請数はさっぱり上がらなかった。というのも、みんなもっと上がるにちがいないと考えていたのだ。

そして、この日から、私たちと政府との根比べが始まった。政府はポイントをどんどん釣り上げていく。60,000、70,000, 80,000, 85,000……。

これに私たちの仲間は次々と脱落していった。「ダメだ! もっと上がる! 全国民の99,9 パーセントが持つまで耐え抜くんだ!」 だが、彼らはこう考えたのだ。「政府はもう明日にでもポイントを止めることだってできるのだ。今しかない!」

私たちだってその恐れとは無縁ではなかった。だからこそ、あらゆる情報を漁り、裏のルートを使って政府内部の動向を探り、綿密な情報分析を行ってきたのだ。まだ……まだまだだ……もっと上がる!

そして、今、新規登録のポイントは 56 億にまで跳ね上がっている。だが、私たちはまだ動かない。

というのも、極秘情報によると、政府は、本来は人材派遣企業や広告代理店の懐を潤す予定だったお金すらかき集め、ポイント予算の残り全額をかけて、未申請者一掃を目論んでいるというのだ!

私たちは、政府をそこまで追い詰めたことに満足するとともに、この国から最後の1ポイントまで搾り取ってやる覚悟だ。

苦い文学

誇りたい日本人

日本語教育の夢を持ち意気揚々と中国に行った吉田七郎を待ち受けていたのは、現地日本語学校の倒産であった。

金もなし、ビザも切れる……そんな吉田のもとに一本の電話が。これが吉田の人生を大きく変える転機となった。

(CM)

「300 人の中国人に簡単な日本語を教えて欲しい」

電話の主はなんと習近平国家主席。中国の最高権力者からの直々の要請を断る選択肢はなかった。さっそく吉田は、北京の大講堂内の教室に向かった。

そこで明かされた指導目標はただひとつ。「処理水やめろ」を2日間で教え込むこと。

吉田「はじめは、簡単だと思いましたよ。みな真面目そうでしたし」

吉田は自信を持って 300 人の中国人学習者の前に立ち、流暢な中国語で「みなさん、今からいう日本語を繰り返してください」と語り、はっきりと口を動かしながら大声で叫んだ。

「処理水やめろ!」

いかにも真面目そうな中国人は声を合わせて繰り返した。しかし、その発音は吉田を愕然とさせるものだった。

(CM)

【実際の映像】

吉田「処理水やめろ!」

中国人学習者「チョリソー食べろ!」

その後何度も練習を繰り返したが、いっこうに「チョリソー」が「処理水」に変わる気配はなかった。1日目が終わり、ついに2日目の午後。すでに残り時間は3時間……。

「いったい、どう指導したらいいんだ……」 ひとり悩む吉田。そのとき彼の目にあるものが飛び込んできた。「こ、これだ!」

アナウンサー「さて、ここで問題です。吉田さんの問題解決のきっかけとなった『あるもの』とはなんでしょうか? 以下の4つからお選びください」

(a) ミネラルウォーターのペットボトル
(b) 毛沢東語録
(c) 広東風の腸詰
(d) 「変面」コスチューム

正解は CM の後!

(CM)

【実際の映像】

マントをつけ仮面を被った吉田、中国人学習者の前に現れ、つたないながらも変面を披露する。拍手喝采する中国人。変面のコスチュームのまま吉田は呼びかける。

「では始めましょう、処理水やめろ!」

中国人学習者「処理水、やーめろ!」

吉田の苦労が実った瞬間だった。

アナウンサー「正解は (d) でした!」

吉田「あのとき、学習者の皆さんは、私を受け入れてくださらなかったんです。その距離感が処理水をチョリソーにしていたのです。私が中国文化に歩み寄ることで、みんなが私を受け入れてくださり、結果として処理水を受け入れてくださったのだと思います。いえ、実際には受け入れていませんけど、ハハハハ」

現在、日本各地で鳴り止まぬ中国からの迷惑電話、その陰にはひとりの日本人の苦労と努力があったことを忘れてはならない。

(CM)

次回の「誇りたい日本人」では「日本大使館に投石したい? 立ち上がった元侍ジャパンの奮闘」をお送りします。

苦い文学

処理水の放出

【ザンゲー・ニュース速報】
福島第一原発の処理水が先日、海洋放出され、大きな波紋を引き起こしています。

処理水の放出はかねてから科学的には安全とされ、放出以後の環境省のモニタリングでも基準値を下回っています。

ですが、国内の漁業関係者をはじめとする諸団体、また近隣諸国からは、今回の放出について懸念の声が広がり、抗議活動が活発化しています。

この問題に長く関わってきた吉田六郎さんはこう指摘します。

「処理水を汚染水と呼ぶ人々もいます。処理水とはなんなのか、それが十分に伝わっていないのではないでしょうか」

そうした思いから研究を進めた吉田さんは、ついにこれまでにない解決策を提案するにいたりました。

「処理水、いったい処理となんでしょうか。このあいまいな名称がすべての問題の原因なのです。ですが、処理水などもはや必要ありません。なぜなら、私たちが放出するのは処理水ではないからです。勝利水なのです!」

吉田さんはペットボトルに入った「勝利水」を掲げます。

「この水は、震災に勝ち、原発に勝ち、トリチウムに勝った水です。いえ、そればかりではありません。日本の未来と東アジアの平和を勝ち取る水です。これが勝利水なのです。この勝利水が日本を起点に世界中に広がっていく、なんとすばらしいことではありませんか。きっとどの国も喜んでくれるはずです」

吉田さんは、今後、各メディアに「処理水」ではなく「勝利水」と改めるように働きかけていく予定です。

苦い文学

キャンセル・ジェネレーション

むかしむかし、ひとりの娘がいた。

娘は笛吹きがお気に入りで、よく笛の音を聞きに行ったものだったが、あるときその笛吹きが犬を蹴っているのを見かけた。娘は怒って言った。

「もう聞かない」

また、芝居小屋の主に弱い者いじめの過去が明らかになった。娘はよく芝居を見に行ったものだったが、こう言った。

「もう見ない」

今度は芸能人のダブル不倫が発覚した。娘は言った。

「もうファン辞めた」

テレビ局も時に間違いを犯す。だが、娘は厳しかった。

「もう見ない」

そしてこの世では誰もが失敗をする。駅員の対応が悪ければ「もう乗らない」。銀行で待たされれば「もう使わない」。学校でイヤミを言われれば「もう行かない」。回転寿司で誰かがいたずらをすれば、「もう食べない」

そんなこんなで行くところもなくなった。

家にこもっていると、だんだんイライラがつのる。落ち着こうとミルクを注いでいると、うっかり手もとがくるって、ミルクがこぼれてしまった。娘は右手に言った。

「もう使わない」

右利きだったから、左手だけでは何もできない。そんなわけで左手にも「もう使わない」

両手がなくて何ができよう。歩こうとしてバランスを崩して倒れると、足に向かって「もう使わない」

ジタバタしながら娘は次々に宣言していった。「もう見ない!」「もう聞かない!」「もう考えない!」

そしてもう何もできなくなったので、じっとしていた。

見かねた母親が、どこかから車椅子を見つけてきて、動くことも、もの言うこともできない娘を乗せると、市役所に行って尋ねた。

「娘を障がい者として認めてください」

担当者は即座に返事をした。「 NO です」

これを聞くと母親は泣きながら「NO、NO、NO、NO、NO」と歌い出した。

すると、その歌に合わせて娘が踊り出したではないか。しかも、高らかに歌い出した。

なんとすばらしい歌と踊りだろう。人々は娘に拍手喝采した。

だが、市の担当者は、2人を追い出すと、難しい問題を抱えた人のために働きはじめた。

苦い文学

下を向いて歩こう

最近、首を痛めて、うつむいてしか歩けない。もう前なんか向けない。見上げるなんてとてもとても。

そんなふうに下を見ながら歩いていると、世の中には、「前を向こう」「上を向いて歩こう」「空を見上げよう」「仰げば尊し」など、前や上についてのメッセージで溢れていることに気づかされる。

「下を向こう」などという歌はないのだ。前を向いたり見上げたりではなく、うつむくことを応援する歌がもっとあってもいいはずだ。

確かに「上を向いて歩こう」のころの日本は高度成長期で、涙をこらえて我慢することが美徳だった。なぜなら、そうすればいつかは良い暮らしが待っていたから。だが、もはやそんな時代は終わった。

いまやこの日本にふさわしいのは、下を向きながら思い切り涙を流すことだ。上を見て涙がこぼれないようにするなどバカげている、そんな時代になったのだ。

私たちはもはや無理をして前を向いたり、上を向く必要はない。下さえ見られれば十分だ。私はうつむきながら決心した。そうだ、日本中のだれもが、安心して下を見ていられる社会を作りたい、と。

そんな社会の実現のため、私はしっかりと下を見すえて歩きはじめた。私の活動に関心を持った方は、ぜひ下向きに検討をお願いしたい。

苦い文学

電車の読書

昔は電車の中の暇つぶしといえば、本を読む以外になかった。

たいていの人は、電車に乗るやいないや、文庫や単行本をカバンから取り出して、読み耽ったものだった。そして、いつも乗り過ごしたものだった。

しかし、現在では読書する人などいない。電車の中では携帯を見ている人ばかりだ。ネットや動画・ゲームが時間潰しに最適だということが、今世紀になって発見されたのだ。

もっとも読書が完全に追いやられたわけではない。まれに本を広げている人がいる。これらの人は2種類に分けられる。

ひとつは、資格試験の教科書や自己啓発書・ビジネス書を読んでいる人たちだ。どの本もキラキラピカピカしている。出たてホヤホヤの新刊だ。電車の中でこうした本を読んでいるのは若い人たちにかぎられる。より良い明日を目指して研鑽している人々だ。

もうひとつは小説を読んでいる人たちだ。これらは100人中100人が老人だ。しかも読んでいる本の紙質はきまって褐色で、ページを繰っただけで粉々になりそう。さもなければ紙魚がわんさと住み着いていて、その乗車賃まで払わされかねないほど。それくらい大昔に出版された小説だ(ひどいのになると、奥付けにハンコまで押してある)。老人たちはどういうわけかこうした古書に夢中なのだ。たぶん新刊書より軽いからかもしれない。

さて、私はといえば、電車で読むのはもっぱら小説(しかも古書)だ。だが、老人しか小説を読んでいないということに気づいてからは、ビジネス書や自己啓発書を買い、そのカバーを小説につけかえて読んでいる。

苦い文学

配送(3)

インターフォンが鳴った。帽子を被った配送員の姿がインターフォンの画面に映し出される。片手に箱を抱えている。スピーカーのスイッチを押すと「お届けでーす」と声がし、私は玄関に向かった。

ドアを開ける。配送員は私にいつもの Amazon の箱を渡すと何も言わず立ち去っていった。箱はたいして大きくない。縦横 40 センチ、幅 15 センチぐらい。そして、軽かった。

私は箱をそっと机の上に置いた。見るかぎり、どこにも傷はない。へこんでもいない。キレイな箱であることを確認すると、私は開封に取り掛かった。箱に貼られたテープを丁寧に剥がす。箱の閉じ目が露わになる。はやる気持ちを抑えながらゆっくりと左右に開く。緩衝材がわりの紙屑でいっぱいだ。紙屑をひとつひとつ慎重に取り除く。じわじわと興奮が高まっていき、その絶頂で、私は箱の中に何もないことを確認した。

ついに配送は完了されたのだ!

こんな純粋なものがこの世にあろうとは! 興奮冷めやらぬまま、私はパソコンで、Amazon のサイトを開き、「配送」のカスタマーレビューに書き込んだ。

「注文後すぐに到着しました。丁寧な包装もグー。」(星5)

ああ、自分がこんなことをするなど、夢にも思わなかった!

苦い文学

配送(2)

もしかしたら危険なものだろうか? だが、¥500 という価格から考えると、違法な薬物などが取引されているようには思えなかった。いや、もしかしたら、送られてくる箱の中にその先の取引方法が書かれているのかもしれない。ことによったら、今流行りの闇バイトに巻き込まれるかもしれない……

私は悩んだ。だが、結局は好奇心のほうが勝った。私は「配送」をカートに入れ、レジに進み、注文を確定させた。お届け予定日が翌日と表示された。

そして、翌る日、私は朝から家にいて配送が配送されるのを待ちかまえていた。出かける用事はあったがすべてキャンセルした。

いったい配送が再配達されうるものだろうか? 配送を置き配にするだと? そんなことがありうるのか。

もちろん、どうやら箱がありそうだということはわかっていたが、配送が成立しなかったら、その箱にすら、お目にかかれないのではないだろうか?

いや、これは絶対に自宅にいて、自ら受け取らなければならない、そう私は考えたのだ。

苦い文学

配送(1)

Amazon の商品を見ていたら、なんとも理解に苦しむ商品に遭遇した。それはこんな商品だ。


「配送 1回」
(星5つ)299個の評価
¥500
翌日配送

商品の説明:迅速に配送いたします。


商品の写真はなく、そこにはただ「配送」とだけ書かれている。

いったい何を配送するのだろうか? その点についてはまるで書かれていない。まるで「配送」自体がサービスのようだ。右側の欄を見ると「¥500 無料配送 在庫あり。」とある。配送というサービスに料金を支払うから「無料配送」なのだろうか? 私は混乱した。

レビューを見ると、さらに混乱させるようなことが書かれていた。

「迅速に発送いただきありがとうございました。星5つとします……」

「きれいな箱に入って届きました。感謝です……」

「到着時間も正確で、状態も完璧でした……」

配送だけではない。「何か」が届いているのだ。なんなのだろうか? 私はすべてのレビューを流し読みしてみたが、どれも配送の速さや正確さ、商品の状態を褒め称える文言ばかりだ。

だが、肝心の箱の中身については誰ひとり語っていないのだった。何か茶色い箱のようなものが写った写真を投稿している人すらいたが、それだけだ。

もしかしたら、麻薬などの違法な品々のやり取りに、この「配送」が使われているのではないだろうか。私はますます好奇心をそそられた。