苦い文学

汚染人

私たちは長い間、汚染水とともに生きてきました。

汚染水の産湯をつかい、汚染水で割った粉ミルクを飲み、汚染水で煮炊きしたものを食べ、汚染水の海で泳ぎ、汚染水で排泄物を流し、汚染水のスーパー温泉に通い、末期の水まで汚染水、といった具合で、汚染水にどっぷり浸かった暮らしを営んできたのです。

人々は私たちを蔑み、恐れました。憎しみのあまり、いっさい店に入れぬと張り紙した料理屋もございました。迷惑電話もじゃんじゃん鳴り響きました。いつしか人々は私たちを汚染人と呼ぶようになりました。

汚染人!

今までこのような不名誉な呼ばれ方をした人間たちがあるものでしょうか。私たちはがっくりと肩を落とし、この世界のもっとも暗い地点でひっそりと生きていこうと決心したのでございます。

そんなときです。あの方が現れたのは。そのお方は神々しい光をまとい、私たちにこう告げたのです。

「聞きなさい。そして、こうべをあげ、胸を張り、涙を拭いなさい。私はあなたたちが二度と汚染人と呼ばれぬために来たのである。なぜなら、私が来たことにより、この瞬間から先、世界が滅びるまで、汚染水は処理水となったのだから。さあ、行くがよい、処理人よ」

私たちは快哉の叫びを上げました。もはや私たちは汚染人ではない。処理人だ! なんとうれしい知らせでしょうか。

そして、この記念すべき時以来、処理人は世界中に広まり、富み栄えております。

苦い文学

キャップ

9月7日の記者会見はまさに歴史的なものであり、会見が始まったその瞬間から、1日以上経った今でも多くの人が意見や感想、あるいは批判をメディアで表明している。

そして、まさにその会見にたまたま立ち会っていたこの私もやはり自分なりの見解を記すべきだと思う。

会見に臨んだのはひとりの女性と二人の男性であった。女性のほうは髪が長く、男性たちはこざっぱりとした身なりであった。

ただ一点、変わっていたのは3人ともキャップをかぶっていたことだった。

まず女性が沈痛な顔つきで語り始めた。

「私たちはキャップをこよなく愛する仲間たちの代表としてこの場に来ています。今、私たちは大きな危機に直面しております」

この後を男性が引き継いだ。

「キャップは野球選手と野球好きの子どもがかぶるものであり、いい大人がかぶるものではないとされてきました。

「かつては『大人でキャップをかぶっているのは、野球選手か変質者に決まっている』などと心無いことを言われたものでした。ですが、私たちは立派な大人でもキャップをかぶれる、かぶったっていいんだ、ということを身をもって示してきたのです。

「最近では偏見もだいぶなくなり、うれしいことに大人でもキャップをかぶろうというかたがずいぶん増えているようです」

そしてもうひとりの男性がマイクを取った。

「そんな時に何でしょうか。人類史上、もっとも愚かな性犯罪者がキャップをかぶっている写真がメディアで大々的取り上げられているのです! テレビ、雑誌、ネットでさんざん繰り返され、善良なる市民、とくに子どもたちに偏見を植え付けています。大人でキャップをかぶるのは変質者でもなんでもない、と偏見をなくすべく頑張ってきた私たちの努力が水の泡です。

「メディアのかたにお願いしたいのは、いますぐあの写真の使用を停止してくださいということです」

この要望ののち、質問の時間が設けられたが、質問する記者はひとりもいなかった。というか、記者たちみんなとっくにいなくなっていた。

3人は無念の表情を浮かべていたが、この問題もまた日本のマスコミが真面目に取り上げるには30年ばかり早すぎたというべきであろう。

苦い文学

レトルト効果

今世紀最大の発見といえばレトルト効果だろう。時間の多元性が明らかになったのだ。

平たくいえば、私たちの世界には複数の速度の違う時間が流れているということだ。これは歴史的な大発見だが、実にささいな日常的な経験から導き出された事実でもある。

みなさんはこんな経験はないだろうか。

レトルト食品を買いしばらく放置したのち、その存在を思い出し、慌てて賞味期限を見る。すると、賞味期限切れまで、例えば、あと2ヶ月ある。あなたはまだまだ時間はあると思って再び放置する。だが、次にその存在を思い出すのは、例えば、4ヶ月後、つまり賞味期限を2ヶ月も過ぎたあとなのだ。

どうしてこんなことが起きるのだろうか?

この問題に取り組んだのが、都内在住の物理学者、吉田六郎さんだ。レトルトカレー好きの吉田さんは、何度も実験を繰り返し、ついに以下の事実を明らかにした。

1)レトルトを中心に時空が歪んでおり、そのレトルト空間では時間の流れが遅くなる。それゆえ、レトルトの時間感覚で2ヶ月も経っていないと感じていても、実際には4ヶ月も経過しているのだ。

2)レトルト空間の時間の流れの遅さを利用すれば、未来への旅が可能となる。これがレトルト効果だ。

3)さらなる実験の結果、レトルト効果の大きさは、レトルトの大きさに比例することがわかった。

そこで、吉田さんはレトルト効果の実用化に打ち込み、ついに1年で10年先に進むことのできる巨大レトルトを開発した。

吉田さんはこう語る。「このレトルトでは、まだまだ賞味期限が1年あると思っていると、次に発見するのは10年後ということになります。ですが、実はレトルト内では1年しか経っていないのです」

さっそくレトルト内で1年過ごすパイロットが選ばれ、先日レトルト内に密封された。いよいよ密封というとき、吉田さんは、この時空の旅人にこう語りかけた。

「では10年後の世界でお会いしましょう。もっともあなたはひとつしか年をとっていないはずですが」

私たちもこの実験に興味津々だが、そのいっぽう吉田さんがレトルト密封後、何気なく漏らした「肉がゴロゴロ入ってる」のほうが気になっている。

苦い文学

ギターの力(4)

ギターのストロークはもはや目に見えないほどの速さに達していた。その激しい演奏とともに若者たちの歌声とも叫びともつかぬ声が反復しながら続いていた。手を繋ぎ、抱き合っていた男女たちは、再びひとりに戻って、頭を振り、手を振り上げていた。

助手が博士に叫んだ。「危険域に達しています! 直ちに介入すべきです!」

「やむない!」と博士は苦渋の決断をすると、会場の人々に向いて厳しい顔で語った。

「少し予期せぬ事態が起きましたが、まもなく元どおりになります」

だが、そのとき、会場から悲鳴が上がった。モニターの中で、ギターを若者から奪おうとした助手が弾き飛ばされたのだ。博士は振り向いてモニターを見た。いまやギターは暴走を始め、若者たちを恐ろしい歌の世界に引きずり込もうとしていた。

ギターの恐ろしい轟音が、若者たちの口から狂った歌を生み出した。

「人間なんてラララーララララーララ、人間なんてラララーララララーララ、人間なんてラララーララララーララ」

博士は飛び上がった。「いかん、ジャンボリー化が始まった! こうなったらもう止める手立てはない! みなさん、ただちに退避してください!」

凄まじい叫びと混乱が始まったが、博士はそれにかまわず壇上を去り、地下通路を通って、キャンプ場に走った。

助手がすがりつく。「博士! 危険です! もう私たちには手が負えません」

「弦を切ればなんとかなるかもしれん!」

「ですが、それでは博士の命が!」

「この力を目覚めさせた者が責任を取らねばならぬのだ!」

博士はニッパーを片手に若者たちの輪の中に飛び込み。ギターに手をかけ、弦を切った。閃光が走る。そして、巨大な光が生じ、すべてを飲み込んでいった。

光が消え去った後に残されたのは、一面の焼け野原。そこをさまよう人々は、どこかで「禁断の遊び」が鳴り響いているのを聞いたような気がした。

苦い文学

ギターの力(3)

若者の輪の中に歌本が投げ込まれるや、たちまちギターがかき鳴らされ、歌が生じた。

あいまいな歌声はギターの演奏に合わせて、少しずつ形をとり、同時に、若者たちの間に広がっていった。そして、すべての若者が声を合わせて歌い出した。

「あの素晴らしい愛をもう一度!」

さらに歌は続いた。

「てんとう虫がしゃしゃり出て! サンバに合わせて踊り出す!」

モニターを見つめる人々は、オスの個体とメスの個体とが見つめ合ったり、指を絡ませたりしているのを目撃した。ギターの音はますます大きくなった。

「この大空に! 翼を広げ、飛んで行きたいよ!」

あちこちにつがいが形成され、それぞれ身を寄せ合い、抱き合っていた。

「あともう少しです!」 博士は興奮して聴衆に向かって叫んだ。

ギターの音はますます激しくなった。演奏している若者は顔を歪め、全身を震わせていた。

「戦争を知らない、子供たちさ!」

助手が博士に報告した。「ギターの熱量が上がり続けています!」

博士は叫んだ。「いい、このまま行くのだ!」

「しかし、このままでは!」

「もうすぐ若者たちの間に恋愛が成就するのだ!」

ギターの咆哮とともに、耳をつんざくような若者たちの叫び声が響き渡った。

「天国よいとこ一度はおいで!」

人々は耳を塞ぎ、不吉な予感におののくばかりであった。

苦い文学

ギターの力(2)

若者たちは意図を知らされずキャンプ場に連れてこられたもののようで、誰もが所在なさげに佇んでいた。

博士は、助手に合図をした。助手は壇上のギターを持ち上げ、姿を消した。十分ほど経ったとき、人々はギターを抱えた助手がモニターに出現したのを目撃した。

静まり返った会場を前に、博士は語りかけた。

「さあ、フォークギターを投入します。壮大な実験の始まりです!」

助手は若者たちの間めがけて走り、ギターを放置すると来たときと同じような速さで走り去った。

突如として出現した異様な物体は、若者たちに衝撃と恐怖をもたらしたようだった。だが、おそるおそる近づいたひとりのオスの個体がギターの弦をかき鳴らしたとき、状況は一転した。

若者たちは興味深げにギターを見つめ出したのだ。さらにオスの個体はギターを抱え、ポロロンと爪弾いた。すると、その音色に誘われて若者たちがオスの個体の周りに集いだした。

助手が博士に報告した。「第一段階クリア!」「うむ、第二段階にとりかかれ!」

再び助手がモニターに現れ、四角い物体を若者の輪の中心に放り投げた。博士は告げた。

「コード譜の載った分厚い歌本です! 70年代の名曲がすべて網羅されています。これが起爆剤になるでしょう!」

人々は異様な成り行きに、モニターから片時も目を離すことができないのであった。

苦い文学

ギターの力(1)

「現代日本の未婚率の高さ、そしてそれにともなう出生率の低さ、これらはすべて恋愛できない若者が原因です」

と吉田博士は聴衆に語りかけた。

「換言すれば、若者が恋愛しさえすればすべて問題が解決するのです。では、若者に恋愛をさせるにはどうしたらよいでしょうか。現在さまざまな試みがなされていますが、私はあるものに着目しました」

博士は助手に指示を出し、布に覆われたものが壇上に運び込まれた。

「ご覧ください」と博士は布を取り払った。

そこにはフォークギターがあった。聴衆から「うおお」とどよめきがあがった。博士は自信たっぷりに口を開いた。

「古代日本の歌垣を引き合いに出すまでもなく、恋愛には歌がつきものでした。私たちの若い頃を思い出しても、歌は恋の始まりとなったものでした。ですが、どうでしょう。現代には若者たちが集って声を合わせて歌う機会が失われてしまっているのです」

博士は聴衆の心を見透かしたかのように付け加えた。

「カラオケがある、とおっしゃるかたもいるかもしれません。ですが、あれはあるいは『歌う』のではなく『歌わされている』のではありますまいか。いずれにせよ、私はカラオケを、私たちが求める若者の歌の集いとみなすことには断固として反対します」

博士は助手に合図した。すると博士の背後の巨大なモニターに一群の若者たちが映し出された。

「これらは私が、山のキャンプ場に集めた若者たちです。どの男女も恋愛経験ゼロ、このままいけば一生未婚であると推定される若者たちです。私がこれから皆さんにご覧にいれるのは壮大な実験です。

「若者たちの間に一本のフォークギターを投げ入れ、このギターの力でもって若者たちに歌を呼び起こし、恋愛をさせるのです!」

博士がこう激しい口調で語ったとき、聴衆は「平和ではなく、剣を投げ込むためにきたのである」という聖書の一節を想起し、思わず身震いしたのだった。

苦い文学

消極的休養

大学時代の友人と駅でばったり会った。哲学だか文学だかの批評活動をしているという男だ。

私たちはたまたま同じ方向に向かうようで、同じ電車に乗り、隣り合って座った。座るなり、彼はこんな話を始めた。

「ちょっと腰を痛めてね、整骨院に行ったんだ。で、椅子に座って待ってると、目の前に張り紙がある。どんなことが書いてあるかというと、2つの休養、つまり積極的休養と消極的休養だ。

「どちらも大事というんだが、まあ、これを見て、俺はちょっと頭に来て。積極的休養というのはまだいい。ウォーキングとかマッサージとかストレッチだ。

「問題は消極的休養だ。体を動かさない休養ということらしいんだが、睡眠、昼寝、そしてなんと読書だ。

「なんだこれは、と。読書が消極的休養? いやいやそれはありえない。読書ってのは、読み手とテクストの間で繰り広げられる死闘ではないか。この書を読み解かねば俺は死ぬ、そんな真剣勝負なんだ。それが休養とは!

「いやもうあきれてものが言えない。まあ、安っぽい自己啓発書か、軽佻浮薄なブンガクを読むっていうことなんだろうが、それがはたして読書の名に値するかね」

話しているうちに興奮してきたものらしく、彼はカバンから勢いよく分厚い本を取り出した。

「Ideen zu einer reinen Phänomenologie und phänomenologischen Philosophie さ(注:オーストリアの哲学者フッサールの大著『イデーン』)。これを原文で読むのが休養? 笑っちゃうね。ま、すまないが、しばしフッセルルと格闘させてもらうよ」

と言って彼は本をバンと開いた。そして、目をくわっと開いて本に向かい、30秒後に静かな寝息をたてはじめた。

苦い文学

撮影可の秘密

ある博物館の特別展に行った。入り口に「混雑しています」との掲示が出ていたが、押し合いへし合いするほどでもなく、どの作品もじっくり見ることができた。

この特別展では、全作品の写真撮影が許可されていた。なので、みんな写真を撮っている。

私も記念写真程度に数枚写真を撮った。しかし、ひとつひとつ撮影している人のほうがずっと多かった。

意味がないとは思わないが、そんならカタログ買えばという気もしないでもない。

カタログの写真のほうが、薄暗がりのなか携帯で撮った写真よりもきれいに決まっているからだ。

だが、しばらくすると別の考えが生まれてきた。

全作品撮影可というのは、実は混雑解消のためではないだろうか。

というのも、写真を撮ると私たちはそれで見た気になってしまう。また、じっくり見る必要もない。後で写真を見返せばいいのだから。

すると、ひとつひとつの作品の前での滞在時間は短くなり、どんどん列が進んでいくことになる。

そして列の進みが早いということは、入場者の満足にもつながるし、また入場者の増加にもつながる。

なんという計略だろうか。全作品撮影可とは、入場者に見た気にさせてとっとと追い出す策略だったのだ。

この計略に気づいた私は、あえて作品にへばりつき、じっくりと見ることにしたのだったが、撮影する人々には邪魔だったにちがいない。

苦い文学

処理への偏向

【ザンゲー通信社 コラム:記者のひとこと】
今、日本ばかりか世界中で処理水が議論の的になっています。

そもそも処理水の処理とはなんでしょうか。経産省によれば、処理水とは正確には「ALPS 処理水」のことで、これは原発の放射性物質を含む水からトリチウム以外の放射性物質を安全基準を満たすまで浄化した水のことだそうです。この過程を「処理」と呼んでいるのです。

ですが、皆さんもご存知のように、この「処理」にはほかにさまざまな意味があります。

たとえば「化学処理」とは化学技術を用いたプロセスを完遂することですし、「情報処理」とはコンピュータを用いて情報を別の情報に移行させることです。「事務処理」「会計処理」「経理処理」「財務処理」も大事な「処理」ですね。

ゴミを焼却するのは「ゴミ処理」です。さらには、「脇毛処理」「鼻毛処理」「ムダ毛の処理」など身近な処理もあります。詳しいことは申し上げませんが、「性欲処理」などもあり、キリがありません。

いったい「処理」にはどれくらいの「処理」があるのでしょうか。たくさんありすぎてもう処理しきれません。

こんなにも意味の多い言葉を、国際的に大きな議論を引き起こすに違いない水の名称に安易に使用してしまったことが、はっきりいえば、問題だったと思います。

「処理」などといわずに「汚染浄化水」「安心安全水」「魚がむしろ元気になる水」「社会主義核心価値観水」など誰でもわかりやすい名称を用いていたとしたら、こんなにも近隣諸国を騒がすことになったでしょうか。

これまで我々が「処理」という語に頼りすぎたツケが、いまここにきて大きく現れている、そんな気がしてならないのです。