風刺・戯文

ギブミーガン

アメリカ大統領が日本にやってくると「日本でも銃を自由化せよ」と圧力をかけた。おりしも存立危機事態のことばかり考えて夜も眠れない状態だった日本の首相、内心「これは国民皆兵にうってつけだ」と考えて、得意の英語で「ダー」と返事をした。

たちまち日本に銃を積んだコンテナ船がやってきて、米兵たちがまるでチョコレートでも配るように、「ギブミーガン」と群がる日本人に銃を撒き散らした。

人々はさっそくあちこちで銃乱射に精を出した。撃ち鉄たちが満員電車に向けて銃を乱射すれば、乗客も駅員も撮り鉄も過去の因縁を忘れて仲良く撃ち殺された。銃をもったクレーマーときたら、もう無敵で、病院の待合室、携帯の売り場、コンビニのレジ、クレームのクの字が出る前に、銃口から弾丸が飛び出た。ラーメン屋では年がら年中イラついている店主と客が撃ち合い、ラーメンに血のトッピング(無料)だ。学校では銃撃の音がチャイム替わりで、子どもたちは逃げ足ばかり早くなった。

アメリカの大統領は日本での事態を受けて、声明を発表した。

「アメリカで銃乱射事件が多発しているなど、フェイクニュースだ。日本に比べれば銃乱射が少ないくらいだ。銃規制など必要ない!」

日本の政治家たちは、よその国を使って銃規制派をやっつけるアメリカのやり方に感心するあまり、日本が存立危機どころかもう存立すらしていないのに気がつかなかった。

苦い文学

背広の日

日本語を教えている平助に背広を着用せよとの命令が下された。学校が催す式典に、留学生とともに出席せよ、というのだ。

平助は背広を着ないように生きてきたので、窮屈な思いをするのは正直なところイヤだったが、しょうがない。その朝、クローゼットの奥からシワだらけの背広を引っ張り出し、ぶつぶつ罵りながら身につけ、慣れないネクタイを締めた。

学校に向かう平助の手には大きなバッグがあった。その中にはいつものシャツとチノパンの着替えが入っていた。式典が終わったら、ただちに背広を脱ぎ捨てて、着替えるつもりだったのだ。こんなもの一瞬たりとも着ていたくない……平助はそれほどまでに、背広を憎んでいた。

なぜこんなみっともないものを着なければならないのか。なんでこんなカバンをわざわざ持っていかねばならないのか。考えるだに腹が立ってきた。すべて背広が悪いのだ。

学校に着くと、すでに数名の留学生がいた。学生たちも式典に参加するので皆、背広姿だ。学生たちは平助を見ると「おはようございます、先生」と挨拶した。

平助も「おはよう」と不機嫌な顔で答える。すると、学生のひとりが言った。

「先生、今日はハンサムみたい」

その日一日中、平助は背広のままで過ごした。着替えにはさわりもしなかった。

苦い文学

しかけ女房

ひとりの教師が授業の方法を考えながら散歩をしていると、草むらから悲しげな動物の鳴き声がした。

覗きこむと、タヌキがワナに足を挟まれているのだった。不憫に思った教師はワナを外して逃してやった。

その夜、教師の住むアパートにひとりの女がやってきた。教師は一晩泊めてやるつもりだったが、いろいろあって夫婦になった。

そのころ教師は職業上の悩みがあった。校長から「子どもたちに学ぶ楽しさを与えよ」という難題を与えられていたのだった。教師がため息をついていると、女が事情を聞き、こういった。

「私がいいというまで決してこの部屋に入ってこないでください」

教師が不審に思いながら待っていると女が姿を現した。「教室でこのしかけを使えばうまくいきますよ」

翌日、教師がそのしかけを用いて授業を行うと、子どもたちは大いに楽しんで学んだのだった。ひと安心した教師であったが、それも校長が「では次は子どもたちを調べ学習好きにするのだ」と求めるまでであった。

校長の無理難題に暗い顔つきで教師が家に帰ると、察した女は事情を聞き出しこういった。

「私がいいというまで決してこの部屋に入ってこないでください」

教師が悲痛な顔で待っていると女が姿を現した。「教室でこのしかけを使えばうまくいきますよ」

翌日、教師が授業を行うと、しかけは驚くほどぴたりとはまった。子どもたちはすっかり調べ学習好きになってしまい、校長室に行って校長の机の中まで調べ学習するほどだった。周りの教師たちはこの様子を見て「とんだスゴ腕教師だ」と感嘆したが、校長は「では次は崩壊した学級の子どもたちを仲良しにするのだ」と容赦なかった。

今度ばかりはもうダメだと、青ざめた顔で帰宅した教師に女はいった。

「私がいいというまで決してこの部屋に入ってこないでください」

教師はじっと待っていたが、じょじょに不安が頭をもたげてきた。いくらしかけを作るのに巧みな妻でも、今度ばかりはうまく行くものだろうか……。いても立ってもいられなくなった教師は、女の閉じこもった部屋の扉を開けた。

そこには、教育書と教材の研究に余念のないタヌキの姿があった。タヌキは悲しげに教師を見ながらいった。

「私はいつぞやのタヌキでございます。タヌキの学校で教師をしておりましたが、授業のしかけづくりに夢中になったあまり、自分の作ったしかけに引っかかってしまったところ、あなたに助けていただいたというわけで……」

苦い文学

儲け話

この間、古本屋に行ったら、ミャンマーについて書かれた新書があった。

見ると、ミャンマーの経済発展は著しいので、今がチャンスだ、と書かれている。国境の少数民族の問題も、近いうちに解決するだろう、と。

もちろん、2021 年 2 月に、軍がクーデターを起こす以前の話だ。

私もこの「経済発展の時期」に、友人のビルマの人々から、たびたび、ビジネスの誘いを受けた。

「中古車を売ろう」とか、「日本の 100 円ショップをヤンゴンに持っていこう」とか、「日本の折り畳み傘は売れる」とか、「レストランをやろう」「水を売ろう」などなど。

そうした誘いの中で、今でも思い出すのが、人材育成だ。ある人が私に話を持ってきた。

どういう話かというと、ヤンゴンかどこかで日本語学校をやって、若者に日本で就職を斡旋するのだ。

そして、日本で職を得た若者の月給から、毎月1万円をさっぴくのだという。つまり、100 人斡旋したら、毎月 100 万円、何もせずとも入ってくるのだ。

こういうことが当たり前に行われているのかも、それともその人のひらめきによるものかどうかは知らない。また、合法的なことなのかどうかも私にはわからない。

いずれにせよ、これらさまざまな儲け話は、クーデターとともにどこか遠くに行ってしまった。

苦い文学

偏見

以前、難民関係の集いに参加したときの話だ。その集会に、1人の友人が私が転送した案内を見て来てくれた。難民について彼はあまりよく知らないようだったが、集会後に話すと、とても勉強になったと言ってくれた。

集会が終わると、有志で食事に行くことになった。私は、友人と参加することにした。6人ほどで飲み食いしていたのだが、その中に、自分はいろいろな難民に会ったことがあるという男がいた。そして、彼は私が難民関係の活動をしていることを知ると、妙に絡んできた。

「ひょっとしたら偏見かもしれないんですが、難民はずるいですよ」

「と、そうおっしゃるわけは」

「だって、勝手によその国にやってきて物を貰おうというんですから」

私は、そうとも限らず、多くの難民は自立しようと苦労していることや、そもそも好きこのんで国を離れたわけでないことを説明した。

だが、彼は納得しないようだった。

「ひょっとしたら偏見かもしれないんですが、偽装難民なんて連中もいるそうじゃないですか」

私は「偽装難民」というのはメディアが使用しているレッテルに過ぎず、必ずしも現状を適切に言いあらわしているとは言えない、と話し、「そういう言葉を使うことそのものが、偏見にもとづくものだと思いますよ」と言った。

すると彼は、嘲るような調子でこんなことを言い出すのだった。

「いえ、私は偏見などもってませんよ。本当に偏見をもっている人が、『ひょっとしたら偏見かもしれない』などという前置きをつけるわけがないじゃないですか。だから、私の言ったことは偏見でも何でもなく客観的事実なんです」

私が答えに窮していると、それまで黙っていた友人が「ひょっとしたら暴力かもしれないんですが」といって、そいつをぶちのめした。