風刺・戯文

中国の漢字 Part 2

最近の中国は日本に反抗的だ。どうしてだろうか。その秘密は漢字にあった。

まず日本語の「反」を見てほしい。何をおかしなことを言い出すのだ、と反抗的にならずに見てほしい。日本語の「反」の上の横棒は実に平らであることがわかるだろう。これは日本人が反抗するのにも、心が平らかであることと関係している。日本人は礼儀正しく、秩序を重んじるので、反抗するにしても、決して目上の人には反抗などしない。反抗するのは、自分より弱い相手だけだ。

ところが中国の「反」はどうだろうか。上の横棒が右上に向かって反っているではないか。まるでリーゼントにしてイキっているかのようだ。私たち日本人はこのヤンキーみたいな「反」に衝撃を受けずにはいられない。なぜなら、これは、穏やかで平和を愛する私たち日本人に対する明白な挑発行為だからだ。

私たち日本人は、このような厄介な漢字をちらつかせて、存立危機事態に持ち込もうとする隣人に負けてはならない。だが、それには、日本語の「反」は生ぬるすぎる、平穏すぎるのだ。

今こそ、中国に勝つために「反」の漢字を改めようではないか。上の横棒を、中国よりももっともっと上方に反り返らせよう!

苦い文学

自分を好きになれるたったひとつのやり方

【新刊案内】『自分を好きになれるたったひとつのやり方』 辺見達夫著

人生で何よりも大事なのは、自分を愛すること。自分を愛することができれば、人生が変わる!

でも……どうやったら自分を好きになれるの? そんな悩みを持つあなたのために書きました。

自分を好きになるためになにをしたらいいか、少し探せばこんな答えが出てきますよね。

・なにかを成し遂げよう。
・友達を作ろう。
・規則正しい生活をしよう。
・自然と親しもう。

「うーん……これをしたら自分を好きになれるっていうけど……無理じゃね?」

そうです。大変ですよね。

「もっと簡単に、楽に、自分を好きになることってできないのかな?」

できますよ! 実は。簡単で、労力要らず、お金もかけずに、できるんです。

「えっ、そ、それはなんですか?」

あなただけにそっとお教えしましょう。それは、怒ること。

最新の脳研究によればズバリ、人間が自分を愛しているのは、怒っているときなんだそうです。ならば、怒らない手はないですね!

『自分を好きになれるたったひとつのやり方』には、あなたがお金をかけずに怒りっぽくなれる方法をたくさん詰め込みました。家庭で、お店で、職場で、駅で、ネットで、どこででも、そしていついかなるときでも、怒りに怒って、罵声をあげ、威嚇し、罵り、土下座させて、自分を好きになりましょう!

苦い文学

ケベックのカレン人

マレーシアにいたカレン人難民の彼がカナダのケベックに移住したのは、2009年12月15日。どうしてケベックなのかは分からないが、これは受け入れ国の状況にもよるからたまたまだったのかもしれない。彼の仲間の中にはアメリカに行った人もいるという。

彼がいうにはケベックでフランス語を習得するときにケベック在住の日本人女性に非常に世話になったそうだ。それにしてもケベックに渡ったのは30代後半。その年で新しい外国語を覚えるのは大変だったと思う。

なんにせよ、私にとってははじめての「フランス語を話すカレン人」だ。そう言ったら笑ってた。

ちなみにケベックのフランス語は、パリのフランス語とは違う。そして、違うといえば、人々も違うのだそうだ。ケベックのフランス人はむやみやたらに働いたりなどせず、ワインと人生を愛しているらしい。

この点はトロントなどの英語圏とも大いに違うようで、人々はたくさん働き、彼のような移住者の中にはダブルワークをしている人も多いという。それは、自分の故国に仕送りをするためなのだが、ケベックのフランス人にいわせれば「35時間以上働くのは頭がおかしい」ということだ。

私はケベックのことはよく知らないので、このケベック像が正確かどうか分からない。だが、移住者からの視点のひとつとして、ここにまとめた次第だ。

苦い文学

招待状

ずっと昔のことです、私の家の郵便受けに小さな手紙が入っていました。

開けてみるとやっぱり小さな文字で「どうぞわたしの家においでください。待ってます」と書いてあります。

「あの人がこんなことを?」と私は首を傾げながら、ジャケツをはおると、森の中をずんずん歩いて、小さな家の扉を叩きました。

その人はうれしげな声をあげて私を招き入れてくれました。私たちはソップを飲みながら、あれこれおしゃべりしました。でも、二人の心の中にはなんだか別の言いたいことがあって、いつしか黙ってしまうのでした。

私は決心して言いました。「どうして家に呼んでくれたのかい」

その人はしばらくむずかしい顔をしてこんなふうに言いました。

「もう、招かれるのはいやなんだ。これからは招くのさ。いつだってみんな勝手に私を呼んで、勝手に私に罪を押し付けるんだもの。そんな自分勝手な人たちはこっちから願い下げさ」

私は何も言いませんでした。その悲しみが痛いほどよくわかったからです。

それで、夕方になって立ち去るとき、こんなふうに言ったのでした。

「いつでも呼んでくれたまえ。すぐに来るよ」

だけど、招待状が再び来ることはありませんでした。もとに戻ってしまったのです。

それから何年も経ちました。その人は今も相変わらず招かれ続けています。もちろん、私はそれを責めたりなんかできません。

ただ、愚かな政治家たちが「誤解を招いたことを謝罪する」と発言するのを聞くたびに、ちょっとだけ悲しくなるのです。

苦い文学

働く車

私が車の免許を取ったのはそれほど昔のことではなく、それまでは車のことなどまったく興味がなかった。知っている車の名前といえば、昔CMで見たホンダ・シティと、カエルみたいなポルシェと、ルパンに出てくるフィアットぐらいだった。

そんな無知な時代、私はあるビルマ人と茨城の牛久入管に面会に行った。そのビルマ人はドイツで難民認定された人で、ある用事があって日本に短期滞在していた。

牛久の入管は牛久駅からずいぶん離れているので、タクシーか車でないと行けない。なので、入管の敷地には駐車場があり、職員や面会に来る人の車が停められている。

よく覚えていないが、面会の後、入管の外でタクシーを待っていた時だったかもしれない。彼が停車している車を見て私に英語で尋ねてきた。

「日本の車を見ていると、黄色いナンバープレートの車とそうでないものがあるが、この違いはなんなのか」

私は少し考えて答えた。

「黄色いのは仕事に使っている車だ」

今もなお目を閉じれば浮かんでくるのは、明らかに納得していない彼の顔だ……。