散文

天使のメール

知り合いの日本語教師に、天使のメールが届いたというのでご報告したい。

その人は、ある朝、日本語学校で授業の準備をしていたそうだ。1コマ目から授業があるので、教材を持って、少し早めに教室に行ったのだった。

すでに何人かの学生が来ていて、互いに挨拶をする。彼が今日担当するのは初級クラスで、ネパールやらミャンマー・ベトナムの学生ばかりだ。これらの学生は「非漢字圏」の学生と呼ばれる。中国・台湾といった漢字圏ではないということだが、ひとことでいえば、日本語の習得にさいし、漢字で苦労し、漢字でつまづくことの多い学生たちだ。

授業開始まであと 10 分ばかりとなったとき、彼の携帯にメールの通知が来た。メールアプリを開いて、送信者を見ると、クラスのある学生からだ。そして、そのメールの件名にはこう書かれていた。

「天使ややがおくれた」

「天使やや」とはなんだろうか。そして、その天使の到来が遅れた、とは。ある種の終末論を想起させるこのメールの本文には、なにも書かれておらず、ただ写真が添付されているだけだ。

彼はその写真を開くのに躊躇した。神々しいエンジェル・アートかもしれない。人前で開くのにはばかられるような画像かもしれない。あるいは、学生の携帯がウイルスに感染した恐れだってある。

だが、彼は開けた。

写真には、電車の遅延を知らせる電光掲示板が写っていた。

メッセージは「電車が遅れた」だった。

苦い文学

アウシュヴィッツ訪問(4)

英語のツアーが空いている日は、と調べてみると、2週間後にようやくポツポツと出てくる。私が帰国したあとだ。しかし、そのうちに当たり前のことに気がついた。

ポーランド語のツアーだろうとロシア語のだろうと、参加するのに語学力の証明書がいるわけではない。誰だって参加はできるのだ。ただ解説がわからないだけだ。そういうわけで、私は9月6日朝8時45分のポーランド語の解説者のツアーを予約したのだった。

さて、次の問題は、どうやってアウシュヴィッツまでいくかということだ。ネットの情報によると、朝の6時ごろにバスがあるという。1時間半で着くというから、問題なく間に合う。

ただし、もう深夜の1時だったので、バスのチケットの予約はできなかった。なので、私は翌朝の午前5時過ぎにホテル(というか貸し部屋)を出て、クラクフ駅の隣にあるバスターミナルに行った。掲示板を見ると、6時20分に「Oświęcim(オシフィエンチム:アウシュヴィッツのポーランド語名)」行きのバスがあった。チケット(22ズウォティ、千円ぐらい)を買い、地下のバス停に行った。

すでに20人ぐらいの乗客が待っていた。私は何も食べずに出てきたので、近くの売店でパンを、バス停の前にあったカップ式の自動販売機でコーヒーを買った。

バスが来た。コーヒーを片手に私が乗り込もうとすると、カップの飲み物は持ち込み禁止、と運転手が手で制止した。あわてて外に出て、飲めるだけ飲んでゴミ箱に放り投げた。

(画像はアウシュヴィッツ行きのバスのチケット)

苦い文学

贖罪のグルメ(1)

出張で商談がうまく済み、伸びやかな気持ちで、駅前の食堂に入った。派手ではないが、真っ当な店構え。この駅に降り立ったときから、目をつけていたのだ。

昼下がりの店内は年配の客がちらほら。席についてメニューを見る。目に飛び込んできたのはチキンフライ。もうこれは動かせないな。と、さっそく注文。もちろんビールも。

落ち着いて店内を見回す。壁のお品書きをじっくり見るのも楽しい。意外につまみも充実している。きっと夜はにぎやかなのだろうな……。

あれ、あの人はなんだろう。来たときには気がつかなかったけど、びしょ濡れじゃないか。水が床にも滴り落ちている。

(ずぶ濡れのみすぼらしい客がおり、店の女将にコップを差し出す。女将はお冷を入れる。その客、コップを頭の上に持ち上げ、自分に水をかける)

な、なんだ、あの人は。頭からお冷をかぶって。また、お冷をもう一杯……ぶっかけた!

(そのとき、隣のテーブルの男が声をかけてくる)

「度肝を抜かれたようですな」

「ええ、いったいなんなのですか」

「贖罪ですよ」

「贖罪?」

「ええ。彼はこうやって自分の罪を償わずにはいられないのです」

「いったい、どういう事情でしょうか?!」(つづく)

苦い文学

正しい日本語

間違っている、とよく言われる言葉づかいのひとつに「〜になります」というものがある。こんなような例だ。

レストランで、カルボナーラを持ってきたお店の人が
「カルボナーラになります」

これを槍玉に上げるのは、「正しい日本語」の使い手を自負している人々だ。たいていこんなことを主張する。


「なる」は「大人になる」とか「元気になる」とかのように変化を表す。だから、できあがったカルボナーラを持ってきて、これがカルボナーラに変化した、というのはおかしい。


それで、本当かどうかわからないが、おかしな難癖をつける人まで出てくる。

「カルボナーラになります」
「じゃあ、カルボナーラに早くなってみろ」

自分では気が利いていると思っているのだ。こういう連中はそもそも、「〜になります」は若い人が使う「バイト敬語」だと決めつけているので、「正しい日本語」の使い手としてはひとこと言う権利があると思っているのだ。

だがかりに、偉い人が「謝礼になります」と現金入りの封筒を渡してきたら、こういう連中ははたして同じような態度を取るものだろうか?

「日本語の正しさ」とやらも、地獄の沙汰と同じく金次第の可能性が高そうだ。