ライブ

ラブレターズ単独ライブ 2025「最愛」

去年、キングオブコントで優勝したラブレターズが今年の 2 月 3 月に単独ライブを開催したのに行こうと思ったが、抽選で外れてしまった。私は運がないので基本的にすべて外れるが、今日 12 月 5 日から始まる単独ライブ「最愛」(赤坂 RED/THEATER)には珍しく当たった。

内容そのものについては書かないし、タイトルもわからないが、コンビニ・居酒屋・スーパー・バス・楽屋・引越し・遊園地という 7 本の作品であった。今の社会を特徴づけるような物や装置、雰囲気などをうまく使っているのも、コントならではという感じだ。私がとくによかったと思うのはコンビニと遊園地だ。

コントのライブがそういうものなのかわからないが、コントの後、前のコントと次のコントに関係のある設定・人物が出てくる短いミニコントがあった。これは次のコントの準備の時間を埋めると同時に、コントをつなぐ役割もはたしていた。それで、全体として一本の作品を見ているような印象を作り出していた。

これはアイディアとしてはありふれたものかもしれないが、繋ぎ方にはやはり技巧があって感心した。一言で言えば、人物、場面、動きによるバトンパスだが、そのバトンの渡し方にもいろいろなやり方がある。私の書くものはどれも短い切れ端のようなものだが、最近、それを繋げるにはどうしたらいいかといろいろ考えないでもない。だが、それにはいいバトンを見つけ出す必要がある。そういったことを考えながら見ていた。

来年にもまた単独ライブをするということなので、抽選にあたればいけるかもしれない。

苦い文学

ポジティブ・シンキング

ネガティブな考えばかりでは、人生を損しているようなもの。なんだってポジティブに考えれば、生きるのが楽しくなってきます。

例えば、電車に乗り遅れるのはイラつく経験。でも「そのおかげで、ゆっくりと待つ時間ができた」と考えれば、腹も立ちません。街に出れば、ひどい混雑で、とてもストレスフルですが、そんなときこそノンキに人間観察してみましょう。富裕層さえ見なければ、きっと楽しくなってくるはずです。

外食しようと街に繰り出したのに、どこも満席で食べる場所がない。ならば、いっそのこと、家に帰ってホームパーティなどいかが? たったひとりでもかけがえのない経験ができるはず。

所持金が少ないのも、これは無駄遣いができないということだから、かえってありがたいですね。そして、お金のありがたみをもっともよく知っているのは、低収入のあなたでなくてなんでしょうか。

仕事が底辺? 底辺に降り立ったあなたがこう語っているところをイメージしてみましょう。「人間にとっては小さな一歩だが人類にとっては偉大な一歩だ」 そうすれば、底辺を這い回るのだって、大冒険です。

年金がもらえないので、老後が心配ですって? そんなあなたは、野垂れ死という滅多にない体験ができるんです。今なら、野晒しチャンスもついてますよ!

なんやかんやでもう死にそう? このラッキー野郎! クソみたいな世界から早くおさらばできますよ!

苦い文学

日韓市民100人未来対話

11 月 24 日から、11 月 26 日にかけて、韓国の仁川で開催された「日韓市民100人未来対話」というプログラムに参加してきた。日韓からそれぞれ 50 人が参加し、私も日本側のひとりというわけだ。

このプログラムは、韓国国際交流財団、ソウル大学日本研究所、早稲田大学韓国学研究所の共催するもので、日本と韓国の関係を市民の対話を通じて育もうという目的のもと始められた。

どういうことをするかというと、4 つのテーマが設定され、20 〜 30 人ぐらいの分科会に分かれて討論をする。そのテーマは次のようなものだ。

分科会1:プラネタリーヘルスのための地域社会協力の可能性
分科会2:ポスト真実時代、ソーシャルメディアの中の日韓関係
分科会3:持続可能な日韓関係のための未来世代交流
分科会4:科学技術の発展と市民参加、そして実践

11 月 25 日の午後が、この分科会にあてられた。私が参加したのは、「ポスト真実」の分科会で、同時通訳つきなので、日本と韓国からの参加者の興味深い話や意見をいろいろ聞くことができた。とくにネットの誹謗中傷、フェイクニュースの問題について関心を持っている人が多かった。

この分科会の前、午前中に、開会式が行われ、成川彩さんという韓国映画やドラマをテーマに執筆活動をされている方が基調講演で登壇された。日韓の文化交流に関する話だったが、その中でこんなことを言われた。

「韓国のドラマでは怒るシーン、日本のドラマでは謝るシーンが多いのが面白い特徴。あと、韓国のドラマの喫茶店などのシーンで、怒った人がコップの水を相手にかけるシーンがあるが、これはドラマならではの怒りの表現で、実際にはそんなことをしない」

さて、私の参加した「ポスト真実」の分科会だが、一人一人発言を求められる場面もあった。難しいテーマだったので私は何を言おうかと困ったが、こんなことを言った。

「韓国ドラマでコップで水をかけるシーンを見て、本当にそうするのだと信じていたが、午前中の講演を聞いて嘘だとわかりガッカリした。フェイクニュースではなくちゃんと事実を知ることが大事だ」

会場の失笑を誘ったが、司会の韓国の方が「いや、私は実際に見たことがある」とフォローしてくれたのでありがたかった。

苦い文学

鉄道世界における争い

鉄道世界において運転手と駅員は激しく争ってきた。

運転手には限られた人しかなれない。いわば鉄道世界のエリートだ。いっぽう、駅員たちは運転手になれなかった恨みを抱え、運転手たちに嫉妬し、これを憎悪していた。それで、妨害活動に精を出すようになった。

どんなような妨害かというと、電車を止めるのだ。そのやり方には2種類あった。ひとつは、制服を脱ぎ捨て、一般人に身をやつして、線路内を歩き回るのだ。たちまち電車はストップだ。そして、運転手は電車が走らなければ、ただの人にすぎない。

もうひとつは、電車内で急病人を装うのだ。それっとばかりに駅員たちはその偽の病人に駆けつけて、まんまと電車を止めてしまう。運転手は大弱りだ。

こうしたいやがらせは運転手たちを激しく怒らせた。そこで、彼らは、対抗手段を考案した。駅周辺のならず者たちを扇動して、駅で傍若無人の振る舞いをさせ、駅員たちを困らせることにしたのだ。

この作戦は当初はうまく行ったが、しだいにならず者たちが増長し、駅員ばかりでなく、運転手まで困らせるようになった。

そこで駅員と運転手は、やむなくいがみ合うのをやめ、駅長のところに問題解決を頼みに行った。

だが、駅長に何ができよう。駅長は一日中、キーボードで発車メロディを弾いているだけなのだ。

結局、駅員と運転手は、毎日ならず者たちのために苦しむことになった。

これらのならず者たちが、現在の撮り鉄の祖先であると考えられている。

苦い文学

竹の家

タイ・ビルマ国境の難民キャンプや貧しい農村の家は竹でできている。枠組みも竹なら、床も壁も竹だ。これは柔らかい細い竹を割って、編んだり紐で繋いだりして1枚の板のようなものを作るのである。屋根は、何かの葉っぱで葺いてある。

これらの家は、高床式で、地面より1メートルかそれ以上の高さに床があるのが普通だ。縁の下には家畜がいることもある。

2011年5月、タイ国境でカレン人の政治的な集会が開催され、私も参加した。東日本大震災から3か月にならない頃だ。余震もしばらく続いたことから、日本を離れるのに不安もあったが、タイ・ビルマ国境の揺れない大地に安心感も抱いた。

集会はビルマ側のジャングルの中で行われた。集会は4日間で、集会場は木と竹で作られたホール、宿泊先は例の竹の家だ。

これまで私はこの高床式の竹の家に何度も泊まったことがあったので慣れていたが、今回は違った。竹の家は揺れるのだ。その揺れを私の体は余震と勘違いしていつまでたっても落ち着かなかった。

集会の後は、近くの村で一泊した。そこではカレン人・カチン人・アラカン人の若い男女が、軍事教練を受けていた。私が泊まった竹の家もやはり揺れたが、疲れと慣れで気にせず寝てしまった。

朝起きると、枕元に大きなネズミの糞が落ちていた。