音楽

Message in a Bottle

まるで漂流者のように私は街をさまよい、「孤独のメッセージ」という一風変わった名の焼肉屋に逢着した。

客は私だけ。孤独な私にうってつけの店だ。椅子に座り、店員が出てくるのを待つが誰も出てこない。誰もいないのだろうか。絶望する前に出てきてほしい。

私は注文をしたい。店の誰かに注文をしたい。誰かに私の注文を、誰かに私の注文を、誰かに私の注文を取ってほしい。

私はテーブルの上に置かれた紙と鉛筆に気がついた。そして空いたボトルがあるのにも。「カルビ1人前」と書いて、空き瓶の中に入れる。私は、その瓶を店の奥の方に転がした……

I hope that someone gets my
I hope that someone gets my
I hope that someone gets my
Message in a bottle, yeah
Message in a bottle, yeah

注文を書いてから、私は眠ってしまったようだ。ハッと目を覚ますと、そこには信じられない光景が……

テーブルの上に数えきれないほどの……

カルビ・イン・ア・ツボ yeah
カルビ・イン・ア・ツボ oh
カルビ・イン・ア・ツボ yeah

おすすめは壺カルビ
おすすめは壺カルビ
おすすめは壺カルビ
おすすめは壺カルビ(繰り返してフェイドアウト)

苦い文学

おさるのジョージ

「おさるのジョージ」は1940年代に発表された子ども向けの英語作品で、原題を「Curious George」という。アニメ放送もされている有名なシリーズだ。タイトルの通り好奇心旺盛な霊長目のジョージが、人間社会で大騒動を起こす。例えば、郵便配達の真似をして郵便物をデタラメに配ったり、ケーキ屋さんになりきってキッチンをめちゃくちゃにしたり……だが不思議といつも最後には丸く収まるのだ。

物語には「黄色い帽子のおじさん」という男性も出てくる。この「黄色い帽子のおじさん」は帽子のみならず全身黄色の服を着た奇妙な人物だが、彼こそが、ジョージを未開の地で発見し、先進国に連れてきたのだ。この登場人物はジョージの友人であり、また指導者の役割も担っている。

現在、この「おさるのジョージ」が炎上しているという。とくに「黄色い帽子のおじさん」には、日本中から猛烈な批判が寄せられている。アニメ放送も先日以来休止したままだし、愉快なグッズの数々も店頭から撤去された。

批判する人々によれば、おさるのジョージとは日本人のことなのだという。「おさるのジョージ」は、野蛮な日本人を文明人が教え導くという差別的な内容である、と非難するのだ。彼らはこう叫ぶ。

「あの黄色い帽子のおじさんを見よ! 白人たちが彼に黄色い服を着せたのは、黄色人種に対する当てこすり以外にありえない!」

ここで批判者は決まって、白い帽子に白いスーツ姿の男の画像を示す。「ほら、もともとは白服だったのに、猿の影響で黄色くなったという設定の証拠がこれだ!」

私たち、ファクトチェック委員会が調査したところ、この出所の怪しい画像は、「おさるのジョージ」とはまったく関係がなく、クレイジーケンバンドの横山剣氏であることが確認された。

苦い文学

魔王の誘惑

恐るべき魔王がラーメン屋を始めた。彼は、客を嘲り、叩きのめし、服従を誓わせるためだけに、ラーメン屋を営業しているのだ。私たちは、そのラーメン屋に行くとき、世界を支配する魔王に挑んでいることになる。

ラーメン屋に足を踏み入れると、最初に立ち塞がるのが食券機だ。これを単なる機械だと思わないほうがいい。これは魔王の第1形態なのだ。

食券機は私たちに恐ろしい仕方で挑みかかってくる。これを倒すには、1秒か2秒のうちに食券機のすべてのメニューを理解し、お金を投じ、食券を入手しなくてはならない。

だが、これがどんな勇者にも至難の業なのだ。いくつもの見慣れないラーメンの名前、複雑なトッピングのシステム、ルーレットのように移動する売り切れの赤いランプ……。食券機の繰り出す技に、私たちがたじろぎ、目をぱちくりさせて、何を選ぼうかぐずぐずしていると、食券機から店主の舌打ちが聞こえてくる。いや、聞こえてこなくても、もう聞こえるような気がして、パニックになってしまう。たいていの客はここで息絶えるか、店を後にする。

運良く舌打ちされるまえに、注文するものを選べたとしても、さらに恐ろしい試練が待ち受けている。それは、食券機の前で、財布を開いたときだ。どういうわけか一万円しか入っていないのだ。

なぜ、ラーメン屋には千円札以外の札を受け入れる食券機がないのだろうか? もちろん、それは私たちを屈服させ、服従させるためだ。私たちは一万円札を手にがっくりと膝からくずおれる。

そのとき食券機は第2形態へと変化し、恐るべき魔王(ラーメン屋の店主)の姿となる。魔王は語りかける。

「もしお前がこの私に屈服し、両替を頼むならば、この世界の半分を与えよう……」

私たちは震える手で1万円札を手渡し、千円札を10枚受け取る。魔王との取引が成立したのだ。たちまち、食券機が現れ、私たちは食券を手に入れる。

私たちはこうして悪の手先となる。もちろん、魔王は約束どおり世界の半分など与えはしない。

そのかわり半チャーハンがついてくる。

苦い文学

戦争と LGBT

ロシア政府は LGBT に関する情報発信を禁じたが、これは戦争を進める上で LGBT の存在が邪魔になると信じているからであろう。

また、中国でも、共産党は女性的な男性がメディアに出るのに極めて敏感だ。関羽ばりの男らしい男でないと台湾は奪えないということだろう(あるシンクタンクによれば、関羽と張飛が5人ずついれば「完全なる統一」が可能だという)。

こう考えると、「LGBT には生産性がない」などと公言する我が国の政治家の真意もわかってくる。つまり、生産性がないというのは、戦争の役に立たないということなのだ。

こういう人間たちがのうのうと生きていることに腹が立つが、私たちにとって慰安となるのは、こういった連中が死んで地獄に行ったとき、通常の罪人よりもはるかに厳しい責め苦が待っているということだ。

なぜかというと、地獄の全責任者である閻魔大王がゲイだからだ(これは、江戸時代の深遠なる思想書『根南志具佐』に記されている真実だ)。

なので、地獄では、鬼たちが極太の金棒をしごきながら、こういった連中がやってくるのをいまかいまかと待ち構えている。「LGBT の生産性」の何たるかを思い知らせてやろうというわけだ。

ならば、キリスト教に改宗すればいいのでは、という人もいるかもしれない。閻魔大王の地獄はキリスト教の地獄とは違うのだから、と。

だが、そういう人はイエスがゲイであることをご存知ないようだ。

かの有名な最後の晩餐で、イエスは弟子たちにこう告げるのだ。

「主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。」(ヨハネによる福音書 13 章 14 節)

洗い合った「足」が真ん中のでないとしたら、いったいどの足だというのだろうか……