風刺・戯文

ラブホ市長

……素晴らしい公約を掲げて市長に立候補したその人が、市長として初めて市役所に入ったとき、市民の誰が今の市役所を想像できただろうか。

「市にガラスばりの政治を!」と訴えた市長は、早速、市役所内をガラス張り、いや鏡張りにした。そして、「公平で透明な政治を!」という公約によって、トイレも浴槽もスケスケになった。さらに「市民の目の行き届く市政を!」が実現した結果、デスクも、椅子も、ベッドも回転しだした。こうすると、市民があらゆる方向から政治を見られるというのだ。しまいには「風通しのよい市役所を!」のために、大胆にも市役所に露天風呂が作られた。

今や、市役所は、妖しい赤い光とネオンライトに包まれている。このムード満点の市役所に用のある市民は、暗いとばりの下ろされたガレージか裏口からこっそり入らねばならない。入ると、壁にパネルがあるのに気づくだろう。市民は、それらのパネルの中から用のある部署を探し、ボタンを押し、受付の小さな穴から鍵をもらうのだ。このシステムは「わかりやすい市政」のために考案されたものだが、市民にとって困ったことに、いつだって満室なのだ……

苦い文学

ミツメ

9 月 27 日、LIQUIDROOM 20 周年記念として、ミツメが登場した。ミツメとしても結成 15 周年、そして LIQUIDROOM で初のワンマンをして 10 年目ということだ。

私はミツメのライブは初めてで、またそれほど熱心に聞いていたわけではない。ただ、なんとなく初期の細野晴臣のような印象をもっていた。どことなく懐かしい音作り、少しひねりがあって落ち着いたメロディ、という感じだ。

だが、ライブではまったく違った。だいたいどの曲も、音源で聴くようなミツメで始まるのだが、最後のほうになると劇的に激しくなる。これが面白かった。

もちろんのこと演奏力も高く、とくにドラムに感心した。派手に叩くスタイルではないけれど、リズムが多彩で、非常に楽しい。

今回のライブはミツメの歴史が詰まった選曲ということで、曲数も多く時間も長かった。

そんなわけで、ドラムの人(須田洋次郎)が足がつってしまった。これはアンコールのときに明かされたのだが、このときのメンバー同士のやりとりもよかった(隕石が怖くて眠れないとか、髭を剃ったのに誰も気がついてくれないとか)。

落ち着いていて、激しく、そして楽しいというライブで、会場の雰囲気も良く、集まっている人々みんなが善人に思えた。

苦い文学

AI 教師

「いじめはなかった」でお馴染みの教育委員会が、またおかしなことをはじめた。

教師をすべて AI 教師にするというのだ。噂を聞きつけて教育委員会を訪問すると、関係者は「これで学校から性犯罪を一掃できる」と自信満々に告げた。

もう人間の教師などいらないと、教育委員会が認めてしまったのだ。子どもたちを教師の毒牙から守るためには、なりふりなどかまっていられない、ということだろう。

しかし、AI に教師の役が務まるものだろうか。教育委員会による説明はこうだ。

「私たちには膨大な教育データがあります。教育方法、教材の作り方、児童への対応、ビデオ記録など、これまで蓄積されたデータを AI 教師に学習させるのです。おそらく完全な教師が誕生することでしょう」

私は尋ねた。「ですが、これらのデータは、これまでの先生方の汗と努力の結晶のはず。それを勝手に学習させていいのですか」

「ええ、一部の教員から、『私たちの作り上げたものを勝手に使うな!』と反対の声が上がっているのは確かですが、私たちの組織はそうした一部の声を押しつぶすのには慣れているので、まったく問題ありません」

万全の策が取られている、ということか。私はさらに尋ねた。

「では、その学習はどのように行われているのですか?」

「先ほど申し上げたように、膨大なデータを AI を学習させるのです。特別な教室を AI のために用意し、教師がつきっきりで学習を進めています」

「その教室を見ることはできますか?」

「ええ」と私はその教室に連れていってもらった。

扉を開けると、教師が AI にセクハラをしている最中だった。

苦い文学

逆国葬

我が国で国葬が行われているまさにそのとき、まったく反対の葬儀が行われていた。これを逆国葬と呼ぶ。

死んだのは、この国にさんざん害をなした人間だ。

人々に憎まれ、蔑まれ、罵られ、嘲笑されたあげく、死んだ人物だ。

そんな人間だから、葬儀には誰も来なかった。外国から要人も来なかったし、そもそも近しい人間も無視した。

張り切って弔辞を読む人もいなかった。神妙な顔つきで、献花を捧げる人もいなかった。国葬に反対する人々のデモも、足を止めたりしなかった。

一粒の涙も流れなかった。憎まれていたのだから当然だ。

いや、本当のことを言えば、何人かは来ていた。

まったくみすぼらしい連中で、国葬はおろか、普通の葬式にだって呼ばれないような手合いだ。だから、私はこれらの、ボロボロでフラフラでヨロヨロの人々は勘定に入れなかった。いないに等しい連中なのだ。

結局のところ、葬儀でもなんでもない。むしろ、処分とか、処理とか、片付けとか、整理整頓とか、調整とか、隔離とか、分別とか、名づけるべきかもしれない。

それをなんと呼ぶにせよ、国葬と比べるのはおこがましいかぎり。だが、なんとも理解に苦しむことがひとつある。

こっちのほうはたいてい、3日後にむくむくと生き返るのだ。