小説

未来における苦労(3)

鞭で打たれた運搬人は苦悶の叫びをあげた。制服の男は運搬人の腕を乱暴に掴み、荷車の進路の外へと引きずり出した。

「『買える苦労』の搬送は大変な重労働なのです。いえ、そればかりでなく大変に危険なのです」

私がその理由を尋ねると、飲み物売りは答えた。

「粗末に扱うと爆発するのですよ。だからこそ奴隷の働きぶりを厳しく監督しなくてはならないのです」

「あなたの国の王様は、買い集めた『買える苦労』をどうしているのですか。若者を明るくするばかりというわけにはいきますまい」

「実は、私たちもよくは知らないのですよ。王様が大量の苦労をどうなさろうとお考えなのか。王様がこの苦労を集める苦労として利用されているというのが、衆人の推察するところです」

私は、貯蔵された大量の苦労がドカーンと暴発する可能性もあるのではと気になったが、口にはしなかった。再び鞭の鋭い音が聞こえた。見ると、監督官がまた誰かを打っていた。その相手はまだ年端もいかぬ子どものようだった。

そのとき私はジュースが、氷も溶けて、生ぬるくなっているのに気がついた。飲みかけのジュースのコップを屋台のはじに置いた。そして、立ち去るそぶりを見せながら、飲み物売りにこう皮肉を言わずにはいられなかった。

「王様のご尽力あって、この国からはもう『買える苦労』だけは払底してしまったようですな!」

すると、飲み物売りの表情が変わった。彼は立ち去ろうとする私の腕を掴んで引き寄せ、耳元でささやいた。

「内密に願いますが、お望みなら、闇で苦労を買えるところを、ご案内できますよ。純度は保証つきです」

私はそれには答えずに立ち去り、若者のさんざめきを背後にしながら城門を出た。そして、再び森の道を歩き始めた。ときおり吹いてくる風の音が鞭の音に聞こえた。(おわり)

苦い文学

ハチ公と銅像たち

渋谷のハチ公の銅像が逃げ出した。ある朝、台座の上が空になっていたのだ。私たちは大騒ぎだ。「ハチ公がいない!」 世にも稀な忠犬との写真撮影のためにはるばるやってきた外国人観光客も叫ぶ。「No Hachi!」

「犬の足だ、そう遠くは行っていないだろう」 私たちは夢中で探し回った。109 にもいない。さては PARCO に? いや東横のれん街に迷い込んだのだ! だが、必死の捜索もむなしく、私たちは途方に暮れるばかり。「どうしてリードをつけておかなかったんだ!」 誰かが腹立たしげに言った。

別の誰かが悲しげに言った。「きっと、待ち続けるのにくたびれたのだろう」「そうだ、連日、外国人観光客にああいじられては逃げたくもなる」「いや、銅像になるほどの忠犬がどこに逃げるものか」「つらいときは逃げたっていい」「そんなの忠犬じゃない」「何を!」

カッカしている私たちに誰かが言った。「待て、探す必要などないぞ! 犬は家に帰ってくるというではないか!」「そうだ、もといたところだ!」

私たちは元ハチ公前に集まった。それ以来、私たちは渋谷駅で待ち続けている。今では、犬を待ち続ける私たちを目当てに外国人観光客がやってくるまでになった。

私たちが銅像になる日も近い。

苦い文学

最強の熱波師

サウナに入っていたら、熱波師がやってきた。

熱波師はしばし軽快なトークで私たちを楽しませたのち、サウナのストーブ内の石に水をかけて、巧みに蒸気を生み出した。そしてまるで魔法のようにタオルを振るって熱波を私たちに浴びせたのだった。

この燃える風を浴びるやいなや、私の毛穴から汗が吹き出した。なんという刺激、なんという快楽! 私は陶然とするばかりだったが、どこからか声が聞こえた。

「これが熱波かよ! 冷蔵庫、開けたみたいじゃねえか!」 それは私の隣の男で、熱波師に手を振り上げて怒鳴っているのだった。「もういい! お前はダメだ! 本物の熱波師を連れて来い!」

その熱波師はなにも言い返さず、ただ私たちに一礼すると、サウナ室から出て行った。隣の男は嘲った。「あの程度で熱波師とは。バカにするな!」

すると、サウナ室の扉が開き、別の熱波師が入ってきた。あご髭をはやしていて、なんだかひ弱そうだ。「おいおい、次も頼りなさそうだぜ! なあ、熱波師さんよ」と隣の男。

すると話しかけられた男はぶっきらぼう答えた。「熱波師じゃない。論破師だ」

男はタオルを振り上げると、ものすごい勢いで回し始めた。猛烈な煽りだ! しかも、タオルの描く円の中心点が刻一刻と変化するのだ。なんという論点ずらし! 一瞬のうちに、サウナ室内の熱風は炎となり、私たちに襲いかかった。

私たちは直ちにサウナ室を飛び出した。間一髪だ。だが、反論しようとした隣の男はみるまに炎上し、もえかすひとつ残らなかった。

苦い文学

ダイエットの真実

世の中には痩せている人もいれば、太っている人もいる。太っている人から痩せた人に変身した人もいくらでもいる。

つまり、痩せるという現象は現実のようだ。だが、それにもかかわらず、どうしたら痩せるのかはまったくわかっていない、これが奇妙だ。

ある人は運動がいいという。別の人は、ひたすら肉を食べろだ。玄米至上主義者がいるかと思えば、白米を好きなだけという一派もいる。

糖質をめぐっては、もう人々は、ロシアとウクライナほどに激しい戦争を繰り広げている。糖質は制限すべきだ! いや制限しても意味がない! ナチめ! いったいこの戦争はいつ終わるのだろうか。

問題は、痩せている人々がああだこうだもめている間に、私たちがますます太っていくということだ。

連中は本当に私たちを痩せさせたいのだろうか? むしろ痩せないほうが都合がいいのではあるまいか。なにしろ私たちはダイエットのためならばいくら払っても惜しくないと思っているのだから。金づるだ。

そうだとしたら、痩せている人々の勧める生活や食事や運動はすべてまやかしなのではないか。連中が食べているものを真似して食べても痩せやしないのだ。

もしかしたら、太っている人の食事を真似したほうが痩せるのではあるまいか。

苦い文学

悔しがり屋

私は人間として自分のことはよくわからない。良い人間なのか悪い人間なのかもわからない。私がどんな人間であるにせよ、この世の中には、私の友人・味方となってくれる人もいれば、私をきらい憎む人もいるだろう。そして今、私はこの文章を私を憎んでいる人に向けて書いている。

この2月、私は『アラビア語チュニス方言の文法研究—否定と非現実モダリティ』(ひつじ書房)という本を出版した。

これは、日本学術振興会の「研究成果公開促進費(学術図書)」という助成金によってはじめて可能になったものである。

この「研究成果公開促進費(学術図書)」がいかなるものかはさておき、私を憎み、少しでもイヤな思いをさせたい人にぜひ知っていただきたい事実がひとつある。

それはこの助成を受けたら、印税が入らないということだ。

これは本当だ。公募要領にはこう書いてある。

「本補助金による刊行は無印税とし、著者・編者・著作権者は、一切の利益を受けることができません。」

もう明らかだろう。みなさんは、この本を買うだけでいいのだ。

それだけで、印税が入らなくて歯がみして悔しがっている私を見ることができるのだ。うさ晴らしにうってつけの機会ではなかろうか。

なお、1冊よりも、2冊、3冊とまとめて買われたほうが私にとってはダメージが大きいということも申し添えておきたい。