風刺・戯文

解放の祝祭

街中で歓声が湧き上がり、喜びの足踏みと手拍子が鳴り響く。あちこちで祝砲が弾ける。

もう恐れるものはなにもない。恐怖は過ぎ去り、解放の瞬間が訪れたのだ。私たちは民族の服を着て外に飛び出す。誇らしげに舞い踊る。私たちの街が異民族の魔の手からついに逃れたこの日を喜ばずしてなんとしよう!

誰もが抱き合い、お祝いの言葉を投げかける。誰もが同胞愛に満ち溢れてる。民族の名のもとに互いに許しを乞い、新たな時代の到来の名のもとにすべてを水に流すことを誓い合う。

ついに私たちは民族の解放を勝ち取った! 街中が解放の祝祭の会場だ。音楽に歌、太鼓にかけ声、乾杯の音、笑い声、涙声、口づけの音。重苦しかったこの街が一瞬にして花開き、生の喜びに煌めく。恐ろしい異民族はもう絶対に来ないだろう!

ああ、この日のために私たちは、どれだけ戦ったことだろうか。どれだけ激しく抗議の声を上げたことだろうか。虚偽に満ちた市役所をどれだけ電話責めにしたことだろうか!

私たちはこの民族の勝利の日をとこしえに記憶し、言祝ぎ続けるだろう。「ホームタウン」事業がついに撤回されたこの日を。

苦い文学

スタンプ

中国政府は反日教育をまったく行わないのに、不思議にも人民の間から偶発的に反日意識が盛り上がってきた。

「殺せ! 中国にいる日本人を殺せ!」

反日中国人たちは叫んだ。だが、問題はどうやって日本人を見つけるかだ。

「日本人どもはみな中国人に紛れている。日本関係の施設であることを知らせる表示は隠されたし、子どもたちはみなランドセルの代わりに人民カバンで学校に通っている。どうやったら日本人だとわかるだろうか」

するとひとりの反日中国人が立ち上がった。

「日本人はみなスタンプが好きだ。駅でも名所でもどこでもスタンプが置いてあって、これをみると紙の切れ端にポンと押さずにいられないタチなのだ。だから、スタンプを偶発的に道に落としておくのはどうだろうか。日本人ならば必然的にこれを拾わずにはいられまい」

「よし、さっそくスタンプを用意しよう。だが、絵柄はなにがいいだろうか」

「日本の神社やポケモンならば、日本人は飛びつくだろう」

「待て!」と別の反日中国人が言った。「反日の我々がそんなものをスタンプには使えない。愛国的中国人ならば中国のスタンプを使うべきだ。たとえば毛沢東主席などどうだろうか」

「いや、そんなものでは日本人は引っかからないだろう」

「では、万里の長城は?」「成龍は?」「パンダは?」「紫禁城!」「ジャック・マー!」……

議論は幾晩も続き、ついに意識朦朧となった反日中国人たちは、気がつくとなぜか「漢委奴国王印」を TEMU に出品していた。

苦い文学

思い違い

その男は、愛する女性の面影を抱き続けて、旅を続けていた。

晴れの日も、雨の日も、夏の暑い日も、冬の寒い日も、蒸す日も風の日も、ひとりでてくてく歩き続けていた。

歩きながら男はいくども思った。

「友達以上恋人未満の長い距離を踏破して、恋人の地点に達するまで、まだまだ歩かねば! 晴れて恋人となって、懐かしい故郷に戻り、あの人の傍で安らうまで、どんなに厳しい旅でも諦めないぞ!」

はじめは楽しい話し相手だったその女性が、男にとって不意に愛おしい存在として立ち現れたとき、彼は悟ったのだ。自分はいま、友達を踏み越えて、恋人へと至る過程にいると。

なんとしても辿り着かねばならぬ、そう決心した男は、ある夜、故郷を出て旅を始めた。誰にも、彼女にすら告げずに……。

それから、長い歳月が経った。旅立ったときには輝いていた顔も、いまやシワとシミにくすんでいた。長年の厳しい旅のせいで、男の体は衰弱し、歩幅も徐々に短くなっていった。そして、もはや一歩も足を動かせなくなったとき、彼は倒れた。

死ぬ瞬間、男は自分がとんでもない思い違いをしでかしたような気がしたが、それがどんなのだったか、もうわからなかった。

苦い文学

弔問外交

国葬にともなう弔問外交が始まった。

ニュースによれば、岸田首相は、今日26日は、アメリカのハリス副大統領など11人と会談したとのこと。

28日までの3日間で、40人ほどの海外の要人と個別に会談する予定だそうだ。

私は国葬はバカらしいと思っているが、どうせやるなら弔問外交はしっかりやってほしいと期待していた。

分断が深まりつつある世界だから、こんな機会でも、平和のため、日本のこれからのために積極的に活用してほしい、と藁をも掴む気持ちでいたのだ。

だが、次第に私はある懸念を覚えるようになった。その結果「弔問外交」の成功を願うどころか、むしろ失敗に終わってほしいと思うようになった。

だって、「弔問外交」がうまくいきすぎて、岸田首相がすっかり国葬好きになっちゃったら?

国葬には根拠となる法律がないから、その気になれば、猫が死んだってできるのだ(今回の国葬で証明済みだ)。

いや、国葬の会場内、献花終了までの5時間は、水しか飲めない過酷さだというではないか。集まる連中を考えたら、まさしく「浜の真砂は尽きるとも世に国葬の種は尽きまじ」という具合で……