風刺・戯文

ブラックホール人

私たちの市で博士と呼ばれている人が、ブラックホールを発見したと、市役所の前で発表した。藪から棒に星の世界へのロマンを掻き立てられた市民は博士を取り囲み、口々に質問した。どこに? どうやって?

「ご覧にいれましょう」

博士は市民を引き連れて、市役所の近くにある公園に向かった。そして、公園の入り口にあるポストの前に立つと、こう告げた。

「これがブラックホールなのです。何年にも渡り、このポストを観測してきた結果、その結論に達したのです」

市民はこう尋ねずにはいられなかった。「どうしてわかったのですか?」「エビデンスを示せ!」

「その証拠はこれです」と博士は手帳の1ページをを見せた。そこには日付が並べられていた。「ここに書かれている日付は、私がこのポストに手紙を投函した日です。そして、その手紙はどれも届かなかったのです! つまり、このポストの中に入ったら最後、どんなものすら外に出てくることは不可能なのです。そんなことを起こしうるのは、全宇宙でブラックホールだけです!」

だれもが博士の慧眼に感嘆し、興奮して叫んだ。「こんな田舎にそんな大したものがあるとは!」「市の誇りだ!」

ちょうどその様子を見ていた郵便配達員、大急ぎで郵便局に戻ると、郵便局長に公園の「ブラックホール」のことを話し、こんな告白をした。

「もうしわけありません、配達を終わらせることができず、何通もの手紙を勝手に捨てていました!」 

……結局、局長はいろいろな事情から、配達員の「犯罪」を隠蔽せざるをえなかった。それで、ブラックホールという嘘が1日でも長く続くように、今では局長は、誰かが来るたびに、ポストに仕掛けたマイクでこんなふうに話しかけている。

「聞こえますか……聞こえますか……私はブラックホール人……」

苦い文学

運転感覚の調整

電車に乗っていると、「運転感覚の調整のため」というアナウンスが入って、急に止まることがある。乗客としては迷惑だが、抗議のしようもない。

それにしても「運転感覚の調整」とはいったい何だろうか。いろいろ調べてみると、電車の運転手の感覚のずれをもとに戻すための調整作業のことだそうだ。

電車を運転するとは、さまざまな感覚が同期していることが必要だという。なぜなら運転中に起こるさまざまな事象に対処するためは、すべての感覚が同時に反応しなくてはならないからだ。

しかし、運転時間がある一定の時間に達すると、その同期にずれが生じてくるのだそうだ。このずれがある状態では、安全に運転することができない。たとえば、線路内に人が立ち入った場合、通常ならば急ブレーキを踏むところだろうが、運転感覚がずれていると誤反応が引き起こされ、走行中にすべてのドアを開けてしまうかもしれない。これは重大な事故につながりかねない。だからこそ、運転手は安全運転のために、運転感覚のずれを随時調整しなくてはならないのだ。

そういうことであれば仕方がないが、運転感覚の調整のすぐ後に、今度は運転間隔の調整だといってさらに待たすのは、さすがにやめてほしい。

苦い文学

永遠の世界

人は死んだら、魂となって永遠の世界に遊ぶという。

だが、永遠の世界とはどんな世界なのだろうか。一目なりとも見て心の備えをしたいと考えた私は、あらゆる賢者を訪ね、ついに《永遠の世界に片足を突っ込んでいる》と呼ばれる賢者のもとに辿り着いた。

その老人は私の頼みを聞くと、静かに問いかけた。

「お前はどうして永遠の世界を見たがっているのか」

「心の平安を得たいのです。《永遠の世界に片足を突っ込んでいる》お方よ。死後、永遠の世界で安らかに過ごすということがわかれば、私はもっと死を受け入れることができるでしょう」

賢者は無言で上着を脱いだ。胸のあいだ、乳首と乳首の中間点に黒いシミがあった。

「これを見なさい」とそのシミを指差した。「もっと顔を近づけるのだ」

顔を寄せて、その黒いシミを見つめると、不意にそれが穴に変化したように感じられた。

「そこから覗き見るのだ」

私は言われるがままに、老人の乳首のあいだの穴から覗き込んだ。「永遠の世界が見えよう」と老人は言った。「だが、その世界はお前の思っていた通りかね」

ああ、その世界では確かに魂でいっぱいだったが、なんという状態だろうか。すべての魂が、まるでビデオの早送りのようにちょこまかと動き回っているのだった。

私は思わず声を漏らした。「永遠の世界だというのに、なんとせせこましいのでしょう」

「愚かな。永遠の世界で人はゆっくりのんびり過ごしているとでも思っていたのかね。むしろ、時間の基準がないため、知らず知らずのうちに、どんどん加速してとんでもないタイパ世界となってしまったのだ。このままだと、魂の摩擦で発火し、世界は永遠の炎に包まれるであろう。むろん、そうなったとて、魂は死にはしないのだが……」

あんな世界で永遠に焼け死ぬくらいならば、死んだほうがマシだと考えながら、私は賢者のもとを立ち去った。

苦い文学

ホンモノにはかなわない

今朝読んだネットのニュースに、今回の国葬で、どれくらいの地方自治体が庁舎で半旗を掲揚するかについての記事があった。

それにはいくつかのコメントがついていたが、そのひとつに私は非常に驚かされた。以下のようなものだ。


国が決めた政(まつりごと)なのだから県知事は怖気づかずに、市町村、職員、学校、教育委員会など県全域に対して半旗と黙祷を指示すべきだ。それくらいの事も出来なければ突然、中朝露からの攻撃に対応できない。世界は何が起きるか分からない。批判を恐れず訓練のつもりでやるべきだ。県知事や市長が自身へのリスクを感じ取り同調してしまっては任務は果たせない。その立場に就いているならば、もっと強い緊張感を持って県民に訴えるべきだ。


「半旗掲揚と黙祷が軍事訓練である」とする、この主張よりも、バカらしく、奇っ怪で、珍妙なる主張を、私は一日中考えたが、ついに思い浮かばなかった。

ホンモノにはかなわないのだ。