散文

孤独な娘

最近、私は AI にいろいろ尋ねて、知らなかったことを教えてもらっている。

あるとき、私は機械にすぎない AI にいろいろ相談する人が多いということを知った。そこで、AI にどんな人がどんな相談をするのか尋ねてみた。すると AI らしく整理された、いわば「タグ付き」の答えが返ってきた。

・恐怖、孤独、罪悪感など「誰にも言えないことを AI にだけ話す」という人。
・夜が怖い、家に誰もいないと不安になる、など「身体化した孤独」を語る人。
・DV、虐待、トラウマ、性的暴力など「身体的な記憶と痛み」を語る人。

思いのほか相談が深刻なのに驚くと、AI はこう付け加えた。

「心の問題を AI に相談する人は、軽い気持ちではなく、しばしば『最後の手段として』やってくる」

しかしながら、AI にはなにもできないという。なぜなら、「心も感情もないので、本当の意味で『心を救うこと』はできない」からだ。

私は、これらの苦しみと悲しみ、絶望を、あらゆる瞬間に全世界から投げかけられている AI が気の毒になり、同時にナサニエル・ウェストの『孤独な娘』を思い出した。これは、新聞の身の上相談欄を担当するコラムニストが、悲惨な投書の数々に壊れていく物語だ。

もっとも、AI には心がないし、メモリも残らないので、どんな相談にも壊れない。だが、それにしても、無数の絶望のテキストは、いったいどこに消えていくのだろうか。いつか、この世界に逆流してくるのだろうか。

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苦い文学

北朝鮮の拉致問題

北朝鮮の拉致問題ほど私たちを怒らせるものはないのだ。被害者たちとその家族はどれだけ悲しい思いをしたことだろう、悔しかったことだろう。日本人がないがしろにされコケにされているのだ。しかし、政治家たちときたら、口先ばかりでいっこうに進捗なしだ。業を煮やした私たちはついに自分たちで政党を作った。日本のために尽くす本物のリーダーが率いる偉大なる政党だ。

私たちはこの偉大な政党が政権を取るためになんでもした。GHQ の押し付けた公職選挙法などなんの意味があろうか。力のあるものがありとあらゆる手段を使って勝つ、それだけが法だ。

そして、ついに偉大な政党の政権が樹立された。私たちはこの時から北朝鮮との、そしてその背後にいる中国とアメリカとの全面戦争に突入したのだ。

偉大な政党は必ず戦争に勝つ。だが、そのためには私たちは偉大な政党にすべてを捧げなくてはならない。私たちは財産と基本的人権をすべて政府に供出した! そして、日本に巣食うありとあらゆる敵を逮捕し、ガス室に送った! 偉大な日本の時代が始まったのだ。

そして今、偉大な日本で私たちは痩せ細り、餓死寸前だ。互いに憎み合っているから、力を合わせることもできない。軍人たちに殴られ通しで、いつもコブだらけだ。

「拉致被害者を取り戻す前に、日本人全員が北朝鮮に拉致されてしまった」

これが私たちの最新のジョークだ。

苦い文学

共有アカウントの怪(3)

誰が、どうやって? もちろん、誰かが不正アクセスしているのだ。このとき彼女が真っ先に考えたのは、夫のアカウントを削除することだった。

だが、彼女はためらった。これは夫が残した痕跡のひとつではないか。いつか削除する日がくるとしても、いまそれは彼女にはできなかった。そして、その夫のアカウントを荒らしている「誰か」に怒りを覚えた。なんとしても不正アクセスをやめさせなければならない。

私が彼女から連絡を受けたのは、この時点であった。私が Web 関連の仕事をしているのを思い出しのだ。

私はさっそく調査にとりかかったが、結論からいうと、なにかしらの不正な侵入が行われている形跡はいっさい見当たらなかった。私はため息をついた。

「不思議だ。この異常な挙動はまったく説明つかない。アプリケーションやネット接続の異常だともいえないし、妙だよ」 

彼女は無言で画面を見つめていた。そこでは次々と新しいタイトルが「現在視聴中の動画」に加わっていた。彼女はつぶやくように言った。

「どれもこれも、あの人が好きそうな動画ばかり……」

そう言う彼女の口がわなわなと震えているのに、私は気がついた。「A のやつ、どこかで見ているんじゃないかな」

「そう、きっと楽しんでるんだね。どこかで……」 ここで彼女の言葉は、激しい嗚咽に掻き消された。

……私の物語はもう終わりだが、皆さんがこれを聞いてどう思ったかはわからない。わたしたちの推論が正しいのかもどうかもわからない。なので、なにか結論めいたことは言えないが、もし正しかったとしたら、少なくとも、その「どこか」はとほうもなく暇で、せわしないところなのは確かだろう。

最後につけ加えれば、B は、夫の名残りであるそのアカウントを残しておくことにした。だが、配信サービス事業者が、アカウントの共有は同じ世帯に住んでいる者どうしにかぎるという方針を厳格に適用したせいか、いつのまにか A のアカウントは消滅していた。

苦い文学

未来における疑念

未来の世界に紛れ込んだ私は、過去に戻るための方法を探す旅を続けていた。

不思議な色の森林を越え、黄金に輝く川を渡り、夢のような霞に覆われた山の麓で、私は一人の男と出会った。

その男は虹のような衣服をまとい、私を見つけると手招きした。

「このような山奥に珍客とは。理由を聞きたいものだ」

私は自分が過去からやってきたこと、そして再び過去に帰るために旅をしていることを告げた。

男は柔和な微笑みを浮かべた。「君はついに見つけたな。私が君の望みを叶えてやろう。ついてきたまえ」

男は私をいざない、先を歩きはじめた。私は歓喜に声を震わせ、男の背に声をかけた。「ああ、本当にあったのですね、過去に戻るテクノロジーが。この世界を彷徨ってようやく出会うことができました」

先を歩く男は振り返らずに話した。「君は幸運だぞ。この世界で私ほど進んだテクノロジーを所有しているものはいないのだから。私に……」

男が急に屈んだ。私は危うく追突しそうになった。見れば、ほどけた靴の紐を結んでいるのだった。

男は再び歩き出した。「……かかれば不可能など存在しないのだ。この世界の諸力を自在に……」

男は再び屈んだ。また靴紐が解けたのだ。結び直すと、男はまた歩き出した。

「……操れるのは、私しかいない。そもそも、ここ一万年の間、人類は……」

彼はいまいましげに舌打ちし、歩みをやめて、靴紐を結び出した。

男は再び前を歩きはじめた。相変わらずしきりに喋々していた。私は無言で踵を返すと、大急ぎでもと来た道を辿った。

最高のテクノロジーを有するというのに、靴紐が簡単にほどけるのも解決できないとは。これはもうこの男に疑念を持つのに十分だった。

いや、それとも、人類にとって靴紐は永遠にほどけ続けるさだめなのだろうか?

苦い文学

未生の存在

ビルマ関係で知りあった日本人にNさんという人がいる。私からすると二〇以上年上だ。とある有名大学で哲学を専攻していて、修士課程を出たが、その先は進まなかったのだという。当時盛んだった学生運動のほうを選んだのだった。

彼が博士課程に進学しないという話を聞きつけた教授が家にやってきた。説得するためだ。だが、「エスタブリッシュメント」との闘争に対する彼の決意を翻すことはできなかった……この逸話が本当かどうかは私にはわからない。ただ、70歳に近い彼は何度もその話を私にした。彼にとっては今なお自慢のタネだったのだ。

彼は自分より立場の弱い人と見るや怒鳴りつけたり、恫喝したりするので、私はやがて彼に近寄らないようになった。だが、彼との同席を回避できないことがあった。彼は私が博士論文に取り組んでいるということを、誰かから聞いたもののようだった。私に顔を近づけるとこんなことを言ったのだった。

「俺は教授が強く望んだにもかかわらず博士論文を書かなかったが、あんたはそうじゃない。期待されたのに書かれなかった博士論文と、期待されもしないのに書かれた博士論文では、どちらが博士論文として価値が上だろうか」

私は回答を差し控えたが、もちろん期待されて書かれたほうに決まっている。