散文

阿弥陀胸割異聞

「阿弥陀胸割」とは、昔の語り物のひとつで、落ちぶれた姉と弟の物語だ。

ある金持ちがいて、その息子が病気でもう死にそうときた。医者がいうには、病気を治すには、同い年の娘の生肝が必要なのだという。そこに現れたのが、姉と弟。姉は条件にぴったりだ。金持ちが事情を話すと、姉は、弟の面倒を見てくれるならばと、引き受ける。

息子の病が重くなると、金持ちは姉と弟のいる阿弥陀堂に人をやり、姉を殺し、生肝を取らせる。その生肝を食べた息子はたちまち回復だ。後になって、阿弥陀堂に行ってみると、姉と弟が無傷で寝ている。その傍らには、胸が割れて血に染まった阿弥陀仏が。なんと身代わりになってくれたのだ……。

私はこの物語を読んで、ひらめいた。

実は私の友人で焼肉屋で働く男が、禁制のレバ刺しを内緒で食べさせてやると誘ってくれたのだ。私としては行きたいのはやまやまだったが、運悪く当局に踏み込まれたりしたら、厄介なことになるのではと二の足を踏んでいた。

だが、万が一そんな事態になっても、もう大丈夫。持参の胸の割れた阿弥陀像を当局に見せて「生肝はこっちの」と主張すれば、なんとか切り抜けられそうではないか……。

苦い文学

奪われた仕事

AI が誕生したとき、喜びと驚きに沸く人々は、世界の片隅でこうつぶやく声を聞いたように思った。

「喜んでいられるのも今のうちだ。そのうち、お前たちの仕事は AI に奪われるぞ」

だが、人々は気にも留めなかった。自分たちの仕事は特別なので、AI にとってかわられることなどないと考えていたのだ。

しかし、AI が進化するにつれ、少しずつ、仕事が奪われていった。はじめは簡単な作業、そして徐々に複雑さを増し、人間のように話すことも必要な仕事も、AI はモノにしていった。

だが、それでも人々の多くは慌てなかった。「仕事を奪われるなんて、結局のところ自業自得さ」などと突き放していたからだ。

そして、これらの冷酷な人々も泡を食うときが来た。日増しに強力になってくる AI にとうとう仕事を奪われてしまったのだ。

人々はついに無職となった。労働を失った人々は、いま、することもなく街角に潜んでいる。そしてときたま通りかかる AI をカツアゲして、少しでも仕事を奪い返そうとしている。

苦い文学

駅の改修

私たちの駅の改修工事はいったいいつ終わるのだろうか。

私たちはかつて、バルセロナのサグラダ・ファミリアが完成するまでに何百年もかかると聞いて、驚いたものだった。だが、もはや私たちは驚かない。

なぜなら、私たちの駅でもそれ級の大工事が進行しているからだ。私たちが子どものころにはすでに工事が始まっていた。そして、何十年も昔のことなのに、まだ工事は終わっていないのだ。

しかも、私たちは駅がどうなるのか、ホームが増えるのか、コンコースができるのか、駅ビルが立つのか、地下道が張り巡らされるのか、まったくわからない。

わかっているのは、ホームのあちこちに仮囲いが設置されていることと、それが絶えず移動していることだけだ。いったいなにを囲っているのだろうか。これも私たちにはわからない。

なにが原因だったかというと、駅長だ。この駅長、駅長室にこもって、駅の模型と睨めっこしながら、次から次へと素人考えで改修案を出すので、工事業者が振り回されていたのだ。

「やれ、あそこに売店を作れ……いや、売店はやめだ、美しい噴水にしよう……」

もっとも、その駅長は最近死んだ。新しい駅長になったのだ。

これでようやく工事も終わる、と期待を抱いた私たちだったが、その後、その駅長が建築士の資格をとったことを聞かされた。

苦い文学

地獄の芸術

上野公園に行くと、きっと皆さんはあちこちで人だかりができているのにお気づきになることでしょう。

ちょっと足を止めて、その人だかりの中をのぞいてみましょう。そこではジャグリング、マジック、人形劇、素敵な演奏などのパフォーマンスが行われていて、皆さんも、他の観客と一緒に引き込まれ、その楽しさに時の経つのを忘れてしまうでしょう。

これらのパフォーマーは、東京都公認の大道芸人で、ヘブンアーティストと呼ばれています。都民が気軽に芸術文化に触れる機会を提供するために、都が始めた制度です。

ところで、皆さんは、ヘルアーティストが存在するのもご存じでしょうか。

ヘブンアーティストが路上でのパフォーマンスによって生きる楽しさを教えてくれるとすれば、ヘルアーティストは生きる厳しさや孤独、苦しみを教えてくれる東京都非公認のパフォーマーたちです。

お酒を持っている人が多いですが、若い人もいます。とっ散らかった人もいれば、行き場のない子どもたちもいます。

なんとなく皆さんはその中に私の姿を見かけたような気がしてきたかもしれません。私は皆さんのことをちゃんと見つけましたよ。