ライブ

黙ってお三味を弾いてくれ(5)

今年の実践コースで三味線クラスを担当されたのは、鶴澤三寿々先生だ。とてもやさしい先生で、明らかに練習不足の私でも他の受講生と同じように扱ってくださったのもありがたかったし、1 時間の講座のあいだ、20 分おきぐらいに正座を解く時間を設けてくれたのも、これは本当にありがたかった。

私たち受講生が正座から解き放たれて足を伸ばしているあいだ、先生が三味線にまつわる話をしてくださるのも楽しい。お手本として課題の曲を演奏してくださることもある。あるときなど本気の演奏をされて、受講生ばかりでなく、助手の先生方もその気迫にのまれたようになった。

講座を通じて、三味線はただ弦を押さえて鳴らしてもいい音は出ない、ということを先生から学んだ。まず、音は粘ってチインと伸ばすこと、そして、ギリギリまで弦から指を離さないということ。さもなければ、音がぶつ切れになってしまう。また、弦は、ギターのように指の腹ではなく、爪で押さえる。これができると、三味線の音がぜんぜん変わってくる。もうひとつは、弦を押さえた指を揺することだ。ギターでいうビブラート奏法で、三味線もギターも共通しているのが面白い。

実際に先生の演奏を聞くと、音に張りと粘りがある。音符には記されない独特の共鳴音がある。簡単に出せる音ではないが、私もいつか出せるようになりたい。というか、その前に、曲を覚えねば。

苦い文学

真実を報じないレストラン

久しぶりに街に出たので、何回か行ったことのあるハンバーグの店に行ってお昼を食べることにした。店の前に行くと、人が集まって騒然としているのが目に入った。近寄って人垣越しに見ると、ひとりの男が店の前に立ち塞がるように立ち、叫んでいるのだった。

「このレストランはとんでもない店だ!」 そう男は怒鳴った。「客に偏ったものを食べさせているぞ! みなさん! 見てください! これはこのレストランが調理しない料理です!」

男は手に持っていたボードを掲げた。それは山菜そばの写真だった。「このレストランの偏向調理を許すな!」

そのとき、警察官が数名駆けつけてきた。警察官たちが近づくと、男はよせばいいのにボードを投げつけた。たちまち男は組み伏せられ、そのままどこかに連れて行かれた。

店の前は再び日常に戻った。集まっていた人々も立ち去っていったが、何人かは私と同じように店に入った。私たちはなにごともなかったかのようにハンバーグを食べた。誰かが「山菜そばなら自分で作ればいいのに」と言った。それから別の声が聞こえた。「あの男、今頃、取調室で山菜そばを食べているかもしれないぞ!」 さらに誰かがこう言った。「そういえば、あの顔、なんとなく山菜そばに似ていたような……」

私はこれらの言葉に笑いを堪えるのに苦労したが、このとき私たちは知らなかったのだ。やがてあらゆる SNS が「#山菜そば」で埋め尽くされることになろうとは。

苦い文学

入国審査の列(4)

あまりにも待たされる時間が長いので、しばしば倒れる人も出てくる。すると、前後に並ぶ入国者たちがとびついて励ますのだ。

「あともう少しだ!」「気を確かに!」「入国するときは一緒だと誓いあった仲間じゃないか!」

国籍を超えた友情が醸成されていたのだ。だが、倒れた者はかすれ声でこう答える。

「すまん。俺を置いて先に入国してくれ……」

「それはできない!」「この国に来るためにここまできたのに、諦めちゃだめだ!」

「いや……もう俺は先には進めない。入国審査官によろしく伝えてくれ……」

と、そのまま息を引き取る人もいるが、たいていはしばらくするとピンピンして列を離れて思い思いに商売を始める。荷物係もそのひとつだ。他には飲食を売ったり、怪しげなレートで両替を始めたり、順番待ちを代行したり、軽犯罪に手を染めたり……。

こんなふうに列の仲間どうしの別れもあれば、出会いもある。この列はさまざまな恋物語を生み出してきたのだ。

恋はきまって、列がすれ違うときだけに出会う男女のあいだで生まれる。列は幾重にも折り重なっているため、何度もすれ違うのだが、その短い逢瀬が訪れるたびに、ふたりは恋情をつのらせていく。視線を交わし、ドギマギし、やがて熱烈に見つめ合い、そしていつしか抱き合う。まるで七夕の織姫と彦星のように……。

だが、進み続ける列はそのふたりを無情にも引き裂いていく……。

ただ不思議なのは、ふたりの男女のあいだにいつのまにか子どもまでいることだ。恋人たちの出会いの瞬間は、かくしていまや家族の短い再会の時となる。

「お父ちゃん!」

「おお、坊主! ちゃんと勉強してるか! お母さんの言うこと聞かなくちゃダメだぞ!」

はなればなれのこれらの家族が、無事に入国審査を通過し、いつか一緒に暮らせるようなればいいと思う。もっとも、入国したさきになにが待ち受けているか、誰にもわからない。

苦い文学

浦島太郎の夢

浦島太郎は心やさしい漁師だった。

あるとき浜辺を歩いていると、子どもたちが亀をいじめているのを目にした。

「こらこら、むやみに生き物をいじめてはいけないよ」と子どもたちにお金を払い、亀を海に逃してやった。

このできごとがきっかけとなって浦島太郎は動物愛護について深く考えるようになった。いかにこの世には動物虐待が、飼育崩壊が溢れていることか。苦しめられている動物たちを見ると、まるで世界が泣いているように感じられるのだった。

やがて彼は街頭に立ち、保護犬や保護猫、保護亀のことを訴えるようになった。

浦島太郎のもとにはしだいにその思想に共鳴するものたちが集ってきた。彼の運動のために、寄付金を募ったり、パンフレットを配ったり、後援会の運営をしたりして駆け回っているのは、かつて亀をいじめていた子どもたちだった。

こうして浦島太郎は動物愛護に生涯を捧げたのであった。

さて、彼が死ぬとき、一匹の亀が現れたと伝えられている。その亀はかつて自分を助けてくれた礼を述べると、浦島太郎の目の前で不思議な箱を開けた。

たちまち遠い未来の風景が広がった。そこでは人々は動物たちをまるで友人のようにやさしく扱っていた。人間どうしの殺し合いも、戦争もないのだった。

人生をかけた自分の夢がいつか実現するのを確信して、浦島太郎は安らかに息を引き取った。

苦い文学

オリガルヒ

《サンケー新聞社説》
「軍の撤退の鍵はオリガルヒ」

プーチン大統領のロシアによるウクライナ侵攻がつづいている。国際法と人道に背くこの残虐な事態を引き起こしたプーチン大統領の責任は重大であり、一刻も早い軍の撤退が必要である。

とはいえ、プーチン大統領の戦争継続への意志は固く、現体制が続く限り、停戦の可能性は低いと言わざるをえない。

このプーチン大統領の暴走を停めるには、ロシア国内の対抗勢力の役割が重要である。その中でも鍵を握ると言われているのはオリガルヒ(新興財閥)だ。

オリガルヒとは、巨額の富を有する政商たちであり、プーチン大統領の有力な支持基盤をなす。しかし、ウクライナ侵攻以後、なかにはプーチン大統領と距離を置くような発言も聞かれるようになった。

政局に大きな影響力を持つオリガルヒが、プーチン大統領に働きかけ、その非を認めさせて「オレニアルヒ」とし、「オレガワルヒ」と反省させることを期待したい。