風刺・戯文

第二次世界観戦争

アニメや漫画に「この世界観にはついていけない」とか「この世界観にはハマれない」などと言う私たちは、貧乏人や家のない人、ひどい病人や難民を見ても「この世界観はちょっと……」というようになった。

さらには、隣国の偉い人を見ても「なんだこの世界観は」などと私たちは呆れてた。だから、私たちの首相がそのあたりピーンときて、やたらと世界観を大切にしだした。それで、ついに隣国の世界観にまで文句をつけたとき、私たちは喝采を送ったんだ。

で、隣国ときたら、私たちを激しく非難。しょうもない世界観のくせに引き下がるどころか、挑発してくるってのか。おたがい睨み合っているうちに、最初の銃弾がどちらかの陣営からか発射され、誰かが死んだ。世界観戦争が始まったってわけ。

開戦の知らせに、私たちは小躍りして喜んだけど、だんだん様子が違ってきた。食べ物もないし、毎日タダ働きだ。文句をいうと殴られる。誰かが「この世界観にはついていけない」と言ったら、警察がやってきて、そいつをどこかに連れて行った。だから、私たちはこの世界観に慣れるしかなかった。

戦争は終わる気配もなく、やがて私たちはみな前線に送り込まれた。世界観と同じように、戦場にも慣れるかと思ったけど、そんなことはなかった。銃火のなか、死体に囲まれ、傷に苦悶しながら、私たちが無言で思い続けたのは「この世界観にはついていけない」ということばかり。

私たちも近く、戦場で殺されるはず。そして、その死の瞬間にもやはり「この世界観にはついていけない」がいくども脳裏をよぎることだろう。

でもさ、私たちはいつ世界観から置き去りにされたっての。

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苦い文学

日本最恐の神社

私は恐怖ハンター。日本中の心霊スポットを訪問して、YouTubeに動画をあげている。

今、私はとある山奥の古びた神社の中にいる。これほど邪気に満ちた地帯を私は知らない。緊急に動画を回そうとするが、撮影を始めたとたんに、動画が止められるのだ。

私は今追い詰められている。もしかしたら、もう二度と普通の世界に戻ることはできないかもしれない……。

「日本で最恐の神社がある」 そんな情報を得た私が、ここにやってきたのは、つい数時間前のことだ。だが、もう何ヶ月も前のような気がする!

その神社の入り口には血のように赤い鳥居があり、私はくぐり抜け、半ば崩れた石段を上がっていった。そして、その先には古びた手洗い場があった。そこの水はひどく汚れていた。私はさらに前進し、ついに神社の正面に立った。情報によればここがもっとも恐ろしい場所だという。

だが、そこはどこにでもありそうな作りだった。なんだ、と拍子抜けして振り向いた私は、自分の背後に立つ男を見て悲鳴を上げた。

そして、その禍々しい男は私に恐ろしい呪詛を投げかけてきたのだ。

「呪われよ! 神社のマナーがなっていない! 鳥居をくぐるときは一礼! 脇を歩け! お前はそれでも日本人か? 手水舎での作法もまったくなっていない! 二礼二拍手一礼も! 一からやり直しだ! できるまでお前を返さないぞ!」

ネッチネッチネッチネッチ、男は私をいたぶりつづける。私は殺されるだろう。呪いでも祟りでもなく、マナーに殺されるだろう……。

苦い文学

安楽死の戦い

その老人は恐ろしい病に侵され、もはや動くことも話すこともできなかった。田舎の小さな病院の医療用ベッドでひとり横たわり、死を待っていた。

老人の身の回りの世話は、医療用ベッドが受け持っていた。基本的な医療処置のほか、食事・排泄・清拭などすべてをこなすのだった。老人は耳はしっかりしていたから、ベッドはときどき話しかけてやりもした。

ある日、老人のもとに見知らぬ客がやってきた。その客はこう老人に語りかけた。

「ついに見つけたよ」 客は銃を取り出した。「お前の死を望んでいる人々が私をここに送り込んだのだ」

老人が口を動かした。するとベッドが話し出した。「私を殺すことはできないし、お前の雇い主たちも死ぬことはできない」

暗殺者は銃を構えた。その瞬間、ベッドからまばゆい閃光が走り、暗殺者は黒焦げになった。すると別の暗殺者たちが窓ガラスを蹴破って病室に飛び込んできた。ベッドは老人を包み込むと、格納されていたアームを伸ばして、目にも止まらぬ速さで敵どもを薙ぎ払った。

耳鳴りのような高音が上方で響いた。かと思うと、すべてが炎に包まれた。

暗殺者の依頼主たちは、ミサイルが病院に命中したのを見て、歓喜の声を上げた。病院は爆発で吹き飛び、炎と黒煙に飲み込まれていった。

「私たちの安楽死を拒んでいたあいつがいなくなった!」 「これで私たちは死ねる!」 「さあ! 死のう!」

その瞬間、炎の中から、飛翔体に変形したベッドが浮上し、老人を乗せて地球のどこかに飛び去っていった。

苦い文学

集団免疫

脳から取り出されたばかりの免疫は、蛭のような赤い胴体を拗らせ、六本の足を互いに絡み付かせている。私はもう慣れたが、はじめて見る人には吐き気を催す人もいる。まるで苦しんでいるようにも見えるのだ。

興味深いのは、なかには叫び声のようなものを聞く人もいることだ。もちろん、免疫には口がないのでそんなことはありえない。おそらく、その人の脳内に寄生している免疫が反応しているのかもしれないし、取り出された免疫が脳に直接働きかけているのかもしれない。

いずれにしても、この苦悶の状態は、塩水の入った容器に入れることで、徐々に解消される。

免疫はただゆっくりと漂っている。だが、しばらくすると、六本の足を伸ばしたり縮めたりしだす。そのうち、足をたくみに動かして、泳ぎはじめる。

私は免疫が自分の力で泳ぎ出すこの瞬間を見るのがとても好きだ。とはいえ、いつまでも見ているわけにはいかない。海に放つときがやってきたのだ。

私はどれくらいの免疫を海に放したことだろうか。海から生まれたわれわれ人間の脳漿の中で生きる免疫が、自由に暮らせる場所は、海しかないのだ。

私は免疫たちが海のどこで暮らしているかは知らない。それを見出すのは私の仕事ではないからだ。私がすべきなのは、免疫たちをひとつでも多く虐待から救い出し、海に返してやることだけだ。

だが、ときおり想像することはある。明るく美しい海の中で、免疫たちが集団になって、まるで踊るように泳いでいる様子を。これらの免疫たちが二度と孤独な思いをしなければいいと思う。

苦い文学

新しいやり方

ビルマ情勢の悪化にともない、日本政府は去年の夏、「本国情勢を踏まえた在留ミャンマー人への緊急避難措置」というのを出して、日本での在留を希望するミャンマー人に積極的に「在留や就労を認める」ようになった。

難民認定申請者もその対象だが、いったん「不法滞在者」となった後に難民申請した人はこれから外れる。

しかし、入管は難民認定の審査を早めたり、特別な配慮をして、「緊急避難措置」の適用外の人にも特定活動ビザを出しているようだ。私の身近な人にもそうした人が2人いる。

これ自体はとても喜ばしいことだ。10年以上も不安定な状況で、しかも時には収容されながら、日本で生き抜いてきた難民がようやく在留を認められたのだから。

だが、特定活動の内容自体は問題だ。このビザには就労許可もついているが、週28時間労働という制限があるのだ。

週28時間の労働の制限といえば、普通は留学生ビザだ。留学生がどうしてそうした制限の対象になるかというと、学費と生活費は保護者が負担し、また、留学生は勉強するために日本に来ているからである。これにはそれなりの理由がある。

しかし、難民の週28時間労働の制限についてはどうだろうか。保護者もいないし、学校に通っているわけではない。この制限内では、生活できないわけではない。だが、難民は学生と違って卒業もないし、これでは就職もできない。留学生は長期休暇中は週40時間の就労が認められるが、それすらもない。

しかも、この状態がいつまで続くかわからない。ビルマ軍事政権はこの先何十年も変わらないかもしれないし、明日急に瓦解するかもしれない。

こんな条件のもとで、人間は安心して生活を続けられるものだろうか。将来を思い描くことができるものだろうか。

こうした形の在留許可が人間の暮らしにふさわしいものだろうか。まるで、28時間に縛りつけられているみたいではないか。

もしかしたら、これは新しい形の収容なのではなかろうか……。