小説

孤独なダンサーたち(2)

そんな状態だから、と他の人々は言うかもしれない。精神の調子が狂って、彼にそんなことが起きたのだ、と。だが、私はそうは思わない。言葉が私たちを従わせるのならば、彼でなくても、だれにでも起こりえたのだ。

いずれにせよ、「自分はついに四面楚歌に至った」と彼は呟き、そのときその言葉が彼を縛りはじめた。

もちろん彼は楚歌など聞いたことはなかったが、彼の耳は周囲から聞こえてくる歌をとらえた。それは、彼を悩ませ、傷つけ、苦しめた。逃れようと彼は顔を背けたが、敵意ある歌は彼の耳を追いかけてきた。顔をしかめながら反対側に向ける。すると歌はやはり迫ってきた。サラウンドだったのだ。

彼は思わず喘ぐように頭を上に向けた。歌はその上にまで回り込んできた。サラウンドではない、空間オーディオだ。彼は慌ててノイズ・キャンセリング機能を探したが、耳のどこを押しても、スイッチは入らなかった。

そして、彼は全方位から聞こえてくる敵の歌に圧倒された。ドン! 太鼓の音が脅かすかのように鳴り響いた。ドン、ドン! ゾクゾクするようなスネアのフィルインが続き、巧みで複雑なビートが始まった。ビートの中から立ち上がったグルーヴが熱狂を加速させ、いつしか彼の体を動かした。四面楚歌が孤独なダンサーを生み出した瞬間だった。

苦い文学

主語の抗争

日本語の主語の有無をめぐる壮大な社会実験は、被験者が急に英語しか話さないようになったため失敗に終わり、その後、主語賛成派と主語反対派の対立は深まるばかりでした。

この対立がついに暴力沙汰を引き起こしました。学会での議論の最中、主語賛成派がカッとなって主語反対派の頭をポカリと殴ったのです。そして、こう怒鳴りました。

「主語がないというのなら、お前は誰が殴ったかもわからないはずだ!」

そして、殴られてフラフラしている主語反対派に追い打ちをかけました。さらなる一発をお見舞いしてこう叫んだのでした。

「覚えとけ! これはお前たちが否定した主語の分だ!」

主語反対派たちはほうほうのていで逃げ出し、学会主流派となった主語賛成派は勝利宣言を出したのでした。

ですが、この事件からしばらくすると、主語賛成派の幹部たちが次々と襲撃を受け、殺害されるという事件が発生しました。これがいわゆる「主語なき殺人事件」です。こう呼ばれるのは、犯人はいかなる手がかりもの残さなかったためでした。

警察の懸命の捜査にも関わらず、犯人が逮捕されない事態に、ついに残された主語賛成派が行動に出ました。主語反対派の仕業だと確信する彼らは、大規模な報復を開始したのです。

その結果、武力抗争が勃発しました。両者の抗争は拡大し、ついには無辜の市民が攻撃の目的語になる痛ましい事件すら発生したのでした。

苦い文学

地政学入門

ええ、地政学を学ぶと、国際政治の世界で起きていることのほとんどが説明できるんです。国がどんな地理的条件のもとにあるか、どんな国々に囲まれているか、それでもう、その国の外交・防衛が自動的に決まります。沖縄に基地があるのも、馬鹿な人々は反対していますが、あれはもう地政学的にあそこに基地を作るしかないのです。これを専門的に地政学的宿命といいます。どのような国家もこの地政学的宿命に支配されているのです。これに逆らうなんて非科学的です。

それでですね、さらに考えてみましょう。国は何からできているでしょうか。もろもろの地域です。この地域ももちろん特定の地理的条件下にあります。つまり、この地域にも地政学的宿命があるのです。この地域もですね、いくつもの部分に分かれています。その部分もさらに分かれます。結論を言ってしまえば、家一軒一軒に地政学的宿命があります。部屋ひとつひとつにも。いや、そこに住むひとりひとりだってそうです。私はもちろん。あなただって、地政学的宿命に支配されているのです。

ええ、ですから、私が頭に下駄を載せているのも、地政学上決定されたことです。沖縄に基地がなくてはならないのと一緒です。

あなたは……そうですね、ピーマン 10 個、頭に載せるべきです。

苦い文学

入管アンテナショップ

さて、今回みなさんにご紹介したいのは、品川駅構内にある入管のアンテナショップ。

ここでは、入管の収容所に収容されている人々が作ったさまざまな製品が販売されています。

気になる商品をご紹介しましょう!

まずは、新商品の「難民すごろく」。入国から難民認定までの道のりをすごろくで体験。「あがり」にたどり着くまで最短でも5年。気長に楽しんでください。

お次は、被収容者が入管職員にナイショで醸した地酒「国ざかい」。いける口にはたまりませんが、お酒も長期収容もホドホドに。

いま、ひそかに注目を集めているのが、テレホンカード。なんとこれ入管の中だけしか使えません。ウィシュマさんの顔写真がプリントされたカードが一番人気とのこと。

巷を騒がす「死刑にするハンコ」ですが、入管にもすごいハンコがあるのはご存知? それが「強制送還するハンコ」です。これを持てば、あなたももう法務大臣。死刑に強制送還とド派手にやっちゃってください!

ショップにはまだまだ要チェックグッズがずらり! 入管ポテトチップス(日本に来るんじゃなかったという悔悟の涙の塩味)、入管職員愛用のストレス解消グッズ(具体的にはお店でご確認ください)、監視カメラマル秘映像集DVD(出す出さないでお馴染み!)、謎の飴(入管のお医者様が処方する精神に効く成分配合)、難民認定お守り(これにあやかってあなたも難関突破!)、牛久大仏の置物(原寸大!)などなど。

品川駅をご利用のさいには、ぜひお立ち寄りあれ!

なお、収入印紙でしか購入できないので、入国管理局の1階のコンビニでご用意の上、ご来店ください。

苦い文学

喉の自慢

最近、映画やドラマで残虐な場面やハラハラさせるような場面を見るのがつらくなってきた。

指を切り落とされたり、目をくりぬかれたりする場面が来ると、私はそのまま消してしまうのだ。

こうした傾向が高じて、最近では、思いも寄らぬものが私を脅えさせるようになった。

例えば、『魔女の宅急便』でトンボが乗る大きなプロペラつきの自転車がそれだ。あのプロペラのそばにうっかり入り込んだらと思うと、もう見ていられない。「私はげんきです」というわけにはいかないのだ。

これは年のせいだろうか。思い出されるのが、『NHKのど自慢』を好んで見ていた祖母のことだ。まだ十代だった私はこんなもののいったい何が面白いのかまったく見当もつかなかった。

しかし、今になってみると、祖母の気持ちがわかるような気がする。『のど自慢』には残虐な場面がいっさいない。ただ出場者が歌って、それに鐘で判定が下されるだけだ。これが老人たちの気弱になった心にちょうどいいのだ。もちろん、多少はハラハラさせるところもある。鐘は1回しか鳴らないのか、それとも合格を告げるのか。しかし、これは、最小限のサスペンスだ。

もしこれが、鐘が1回しか鳴らなかったら手足を切り落とされるとか、音程を外したら煮え湯を飲まされるとか、歌詞を間違えたら目隠しされて銃殺されるとかだったら、どうだろうか。おそらく老人たちは『のど自慢』など見ないに違いない。