小説

オッパ・チャレンジ(2)

「それならば、なおさら不可能なのでは? オッパなんて無謀なことを諦めて、一緒に上野にサムギョプサルでも食べに行こうよ」と誘うと、彼は不敵に笑って断った。

「いいや、徹底したリサーチが叩き出した秘策があるのだ」 

「そ、それは?」

「フフフ、将を射んと欲すればまず馬を射よ、とだけ言っておこう……」

それから 2 年あまりがすぎた。さすがに私も、あの無謀な計画のことは忘れかけていた。そんなある日、友人から成功したという知らせが届いた。私は羽田空港に彼を迎えに駆けつけた。姿を現した彼は、日本を発ったときに比べて、いくぶん精悍な顔つきになったように見えた。故国に降り立った彼に、挨拶もそこそこに、私はあの謎めいた発言について尋ねずにはいられなかった。

「私はとにかく韓国の男性と親しい友達になったのだ。そして、互いに家を訪問し合う間柄になった。親しくなった友人のひとりに妹がいた。付き合いを重ねるうちに、その友人の妹がごく自然に私をオッパと呼んでくれたのだ。兄の親しい友人としてね」

この「オッパ・チャレンジ」の成功の波に乗り、次は「ヌナ」と呼ばれたい、と友人は今、厳しいトレーニングに打ち込んでいる。

苦い文学

泥棒への感謝【盗難の証明(3)】

はじめは20ドル札がないのに気がついた。おかしいと思って、改めて手持ちの現金を数えてみると、3万円が抜き取られていた。

20ドル札だけならば落とす不注意もあるかもしれないが、3万円の場合は無理だ。そこで、盗まれたのだと私は結論づけた。

お金は部屋のスーツケースに入れておいたから、誰かが部屋に入ったのだ。そして、現金が消えたことに気がついたその日の午前、私は数時間出かけていた。その時間に入ることができるのはホテルの関係者だけだ(チュニジアのホテル関係者のために弁じておくとこんなことは今までなかった)。

そこで私はまずフロントに行き、盗難があったことを告げた。フロントの男性は「部屋に誰か入ることなどない」という案の定の返事だったが、とにかく言っておくことに意味がある。

それから、私はひどくがっかりして過ごした。いつもは鍵をかけておくスーツケースを、開けっぱなしで外出してしまったことを悔やんだ(もっとも、後になって私はスーツケースが壊されていることにも気がついた)。

ああ、3万円あれば何ができただろう! 私はその日の午後、クヨクヨと考え続けた。

高田馬場の決闘で知られる堀部安兵衛は、江戸で巾着切りにいつの間にか大金を抜き取られらとき、これが腕に覚えのある剣豪とでくわしたのであれば、危険な試合に発展したことだろうが、巾着切りの名人でよかった、と感謝したというが、私も心痛のあまりついにそんな境地にまで至ってしまった。

泥棒よ、ありがとう! お金を全部取らずにいてくれて! パスポートも手付かずのままにしてくれて! 見てください、私はこんなに豊かです!

損失を直視したくないあまり、泥棒を称えるという心的機制まで働き出したのだ。だが、そのとき私は海外旅行保険のことを思い出した。

苦い文学

多様性の視察

与党の青年議員たちが私たちの地区に視察にやってきた。視察のコンセプトは多様性だという。

私たちはまず青年議員たちを駅前広場に案内した。どこもかしこも酔っ払い、宿なし、物乞いでいっぱいだ。青年議員たちは感心した。

「ほほう、多様な生き方があるのですな」

次に私たちは粗末な精神病院に連れて行った。そこでは、さまざまな精神病患者が喚いたり、叫んだり、泣いたりしていた。「これが癲狂院ですか、いやはや多様なものですな」と青年議員たちは感心することしきりだ。

次の視察場所に向かう途中、私たちは道端で死んでいる人に何人もでくわした。医療の医の字も受けることができないため、こうやって路上で死んでいくのだ。青年議員たちときたら「生き方も多様なら、死に方も多様というわけか、勉強になるぞ」と大喜びだった。

そして、私たちは青年議員団を地区でもっとも暗く危険な場所にお連れした。そこでは、未成年から老人までが、自分の体を安価で売っているのだった。青年議員たちの興奮はこの日いちばんで、「ここで見られる性の多様性は参考になるな」などともう興味津々だ。

なかには感激のあまり、セックス・ワーカーたちにチップを渡す青年議員まで出てきた。ある議員は口移しでチップを渡し、ある議員はお尻を撫でながらチップを渡し、また別の議員は裏金として渡すという具合で、私たちは議員たちのチップの渡し方の多様性に驚かされたのだった。

ちょうど青年議員たちの視察の最中に、数名の人々がやってきて、子どもたちに話しかけだした。青年議員たちがなんの人々かと聞くので、私たちは答えた。

「あれは、なにかの NGO の人々で、体を売る子どもたちの悩みを聞いたり、支援したりして、なんとかしてこの場所から保護しようとしているのです」

すると青年議員たちの怒ること怒ること。「多様性を無くそうとするとはけしからん!」 「まったくなんという偽善者どもだ!」 「品位に欠ける振る舞いだ!」

与党の青年議員たちはひとしきり怒ると満足したのか、視察を早々に切り上げて、夕食の多様なメニューを楽しむためにホテルに向かっていった。

苦い文学

マスコミの報じない真実

市役所の地域ボランティア掲示板に行ったら「マスコミの報じない真実を暴く会」という団体があった。

毎週日曜日早朝に中央公園に集合とある。さっそく行ってみることにした。

集合場所には8名ほどの人が集まっていた。リーダーと思しき人が大きな袋を持って立っていたので、話しかけると、快く参加を認めてくれた。

リーダーは時間になるとみんなの前で話し始めた。「皆さん! この世界は嘘ばかりです。絶対にマスコミの言うことなどを信じてはいけません! 今日もマスコミの報じない真実を暴いてやりましょう!」

参加者たちは「おー!」と意気軒昂だ。リーダーは持っている袋から、長いトングとビニール袋を取り出すと参加者たちに配った。

「さあ! 始めましょう!」

人々は公園のあちこちに散らばっていった。いきなりトングを持たされてオタオタしているとリーダーがやってきた。

「マスコミの報じない真実を暴いてください!」

「でも、どうすれば……」

「ほら、あそこにありますよ!」とリーダーは植え込みの中に落ちている紙屑を指差した。私はトングで拾って袋に入れた。

「そうです。あっ、こちらにも!」

転がっている空き缶を私は拾った。「そうそう、その調子です」

「ずいぶんあるんですね」

「ええ、まったくひどい偏向報道ですよ。マスコミときたら捏造ばかりですからね!」

私は草むらに犬の糞が落ちているのに気がついた。「先生! これももしかしたらマスコミの報じない真実でしょうか」

リーダーはかがんで犬の糞をじっくり見た。「いや、違います。これは学校では教えてくれない真実ですね」

「はっ、かしこまりました。では、こちらは?」と私は路面に撒き散らされた吐瀉物を指した。

「ああ!」とリーダー。「これは日本人が知らない真実です」

「ははあ、難しいですね」

「いえいえ、そんなことはありません。どれも一緒ですよ!」とリーダーは笑った。

およそ1時間後、マスコミの報じない真実を大量に暴いた私たちは、偏向マスゴミに対する怒りを新たにして意気揚々と帰宅したのだった。

苦い文学

黒船の眠り(歴史文学)

携帯電話というものが生み出され、人々の間に普及してから、教師と学生の争いがはじまった。

そして、かくいう私もこの戦争に巻き込まれた教員の一人であった。

私の素晴らしい日本語教育は、携帯を片手にした留学生たちによって絶えず脅かされた。

私に与えられた武器はといえば注意のみ。だが、多勢に無勢、注意などなんの効き目もなかった。留学生一人を注意して携帯を見るのをやめさせても、別の留学生を注意している間に、その学生が再び携帯を見出す始末なのだ。

そこで、私は思い切った戦術に打って出た。携帯を見ている留学生を急襲し、携帯を取り上げ、容赦なくゴミ箱に捨てていったのだ。「いじるなら捨ててしまえスマートフォン」作戦だ。

だが、私はやがて本能寺の変が心配になった。そこで作戦変更だ。「いじるなら取り上げましょうスマートフォン」、つまり、秀吉よろしく携帯狩りを始めたというわけだ。

私は、授業の開始と同時に、学生全員の携帯を集めて、授業の終わるまで袋に厳封したのだった。しかし、裕福な留学生たちが、2個目3個目の携帯を隠し持っていることには思いも及ばなかった……。

かくなる上はと、私は最後の作戦にかけた。その名も「いじるなら止むまで待とうスマートフォン」作戦。

私は携帯に夢中になっている留学生たちの前で待ち続けた。注意もせずに、じっと辛抱強く待ち続けた。すると、神君家康のご威光のありがたさよ、さしも手ごわき学生たちも次々と携帯を見るのをやめていったのだ。私は、最後の一人が携帯をカバンにしまったのを見届けると、天下統一を宣言した。

だが、しばらく授業を続けているうちに私は気がついた。なんと留学生たち全員、泰平の眠りをむさぼっているではないか。

留学生といえば、日本を目覚めさせるために来航してきた黒船にほかならない。なのに、その黒船自身が先に寝てしまったとしたら、いったい誰にこの黒船を起こせようか?