風刺・戯文

新たな循環

循環的時間とは、農耕民族である日本人に特有の時間観です。農耕は季節の移ろいとともに始まり、そして終わります。春、夏、秋、冬、そして再び春が来て、季節が巡るのです。私たち日本人にとって時の流れとは、このような循環にほかなりませんでした。

しかし、近代になると、欧米の直線的時間が日本に入ってきました。循環的時間では、過去は巡り巡っていつか未来になります。ですが、直線的時間では、過去は永遠に過去のままなのです。このような時間の捉え方は、狩猟民族に特有のものだといえます。なぜなら、獲物を捉えるため、まっすぐ走る必要があるからです。

直線的時間が日本に導入されると、徐々に循環的時間が失われていきました。また、日本人の生活スタイルも変化したため、四季の移ろいそのものが身近なものではなくなりました。その結果、日本人は循環的時間を忘れてしまったのでした。

ですが、最近、日本人が新しい循環を生み出しているのが発見されました。それは、次のようなものです。

ある人をもてはやす>好感度上がる>急にバッシングが始まる>炎上する>焼け野原になる>再びある人を持ち上げる>急に叩き出す(以下、繰り返し)

この循環は季節ではありませんが、日本人の心の中ではまるで四季の移ろいのように循環しているのです。そんなふうに考えると、炎上もまるで夏の風物詩のように思えてきますね。

苦い文学

Wrapped Around Your Finger

私の町の駅のデッキに、毎日のように老人がやってきて、ギターをポロポロつまびいたり、おもちゃみたいなボンゴをポコポコ叩いている。音も小さくて、なにを演奏しているのかもわからない。そもそも弾けるというレベルでもないようだ。もちろん、耳を傾ける人などひとりもいない(ちょうどこのブログのようだ……)。

もう何年も前のことだが、あるとき、私は改札口から出てデッキへと歩いていた。すると、鋭いビートが聞こえてきた。私はその音を聞いて、スチュワート・コープランドのドラムを思い出した。スチュワート・コープランドは、イギリスのバンド The Police のドラマーだった人で、名ドラマーのひとりに数えられている。シャープなスネアの音が特徴で、駅を歩く私の耳に飛び込んできたのもそんな音だったのだ。

やがてあの老人の姿が見えた。花壇の縁に座って、ひとりボンゴを叩いていた。私はおかしくなった。ろくに楽器も弾けないこの老人のプレイから、スチュワート・コープランドのドラミングを想起するとは。

老人は私の進行方向にいたので、私はニヤニヤして近づいていった。そして、驚くべきことが明らかになった。

老人のわきに小さなラジカセが置いてあって、そこから The Police の名曲 Wrapped Around Your Finger が小さーく流れていたのだ。老人はスチュワート・コープランドに合わせてボンゴを叩いていたのだ。

ウケ狙いのさもしい作り話と思われるかもしれないが、これは本当の話だ。

苦い文学

スキマ時間

10月1日
以前から気になっていた『スキマ時間を活用! 司法試験合格』をついに購入。普段は忙しくて勉強の時間はないけど、スキマ時間を活用すれば、なんとかできそうだ。というか、スキマ時間があればなんでもできそうな気がしてきた。49万円と高かったが、司法試験に合格すれば十分ペイする額だ。

10月2日
今日は朝からずっと仕事だった。スキマ時間が見つからなかったので、せっかくの教材を活かすことができなかった。夕食後、テレビを見て過ごす。明日こそ、スキマ時間が確保できるように。

10月3日
スキマ時間がなく勉強できず。

10月4日
今日は久しぶりの休みだった。休みの日にはスキマ時間はなさそうなので、お昼まで寝て、午後はスーパー銭湯に行ってビールを飲む。

10月5日
今日も1日仕事。仕事の合間に、カスタマーセンターに問い合わせて、スキマ時間がない場合は返品可能か、聞く。出版社に来れば、直接対応してくれるとのこと。時間の予約をする。

帰宅途中、出版社に立ち寄る。受付に話すと、待合室に通される。約束の時間より15分ほど早くきてしまったので、待たされる。

「スキマ時間ってまるで幻みたいだ」とつくづく思った。

苦い文学

福の神と貧乏神

昨日(9月30日)の夜、私は夢を見た。

いかにも福々しい一人の老人がポワポワポワーンと枕元に現れてこう告げたのだ。

「わしは、日本の民の元気なきを憂い、長年、元気にしようと努めてきた神じゃ。その効果は、いまだ十分に明らかになってはおらぬが、わしの働きにより、人々が元気を取り戻すこと、これ確実じゃ。しかるに、この世には、まだまだ元気を求める人々がおるようじゃ。そこで、わしは他の国を元気にするためにこの日本を離れるつもりであるぞ。わしがいなくても、よろしく元気に生きよ」

私は狼狽し、叫んだ。「そんな! いったいどちらに行ってしまうのでしょうか」

「ウクライナじゃ」

高らかに笑いながらそう告げると、来た時と同じようにポワポワポワーンと消えてしまった。

この夢だけでも奇妙かもしれないが、実はその前にも同じような夢を見ていたのだ。

いかにも禍々しい外見の老人がポワポワポワーンと枕元に立ち、やはり神と名乗ったのである。そして、まったく同じこと、つまり日本を元気にするために働き、これから別の国を元気にするために日本を離れる、ということを私に告げ、同じ言葉で締めくくった。

「わしがいなくても、よろしく元気に生きよ」

私は叫び、行き先を尋ねた。

「ロシアじゃ」

この夢を見たのは今年の七夕の夜であった。いったいこの奇妙なふたつの夢にどのような関連があるのだろうか……。