六月にチュニジアに行ったとき、明らかにAIが描いた絵が表紙になっている本を本屋で何種類も見かけた。内容にはよさそうなものがあったが、買う気にはなれなかった。
日本でも、広告やチラシの類にAI製のものをよく見かけるようになった。これもどれも同じで、実につまらない。
このブログでもずいぶん前から記事のアイキャッチに生成AI画像を使ってきた。二〇二二年十月二十二日から Stable Diffusion で作った画像を使い始め、二〇二四年六月二日からは WordPress で記事にAI画像を作成するサービスが始まったので、それを使うことにした。
だが、二〇二六年三月二十七日からはAI画像を使うのをやめ、自分で撮った写真を使うことにした。なぜなら、AIの絵は面白くないからだ。思えば、私がAIの画像を使い始めたのは、簡単に奇妙で変で面白い絵が出てきたからだ(二〇二三年ごろの画像を見てほしい)。しかし、次第にAIが発展するにつれ、面白くない絵を描くようになり、今やその絵は世界中に溢れている。
もちろん、AIでは面白い画像を作れないといっているのではない。ただ、よい画像にするのには非常に時間がかかる。忍耐も必要だし、センスも必要だ。だが、たいていの人は時間もヴィジョンもないから、「描いて」とだけで済ませる。すると、吐き気がするほどつまらないものが出てくる。
「描いて」と指示するだけで、奇怪な絵が出来上がる時代は終わってしまったのだ。幼年期は過ぎ去り、今や当たり前の大人になって、あたりさわりのないものばかり描くようになってしまった。
それどころか、私の書いた物を読ませると「つまらない人間が書いたいやらしい文章」などと生意気を言うようになった。