苦い文学

悪の王宮

悪邪帝国 どくろ大帝様

玉座前落下装置修理報告

【故障の現状】
玉座前面に設置された床面開閉式落下装置(バネ式)の床蓋が閉まらなくなった。

【経緯】
先月、裏切り者を落とそうと玉座の肘掛け突端部のボタンを押したところ、勢いよく開かずに、途中で止まってしまった。そのため、裏切り者が地下の穴に落下せず、玉座の利用者様(大帝様)に襲いかかった。周囲の悪の子分たちが直ちに八つ裂きにしなければ危ないところであったとのこと。

床蓋は半開きのままとなり、ボタンを押しても作動しない状態。

また蓋が開きっぱなしのため、地下孔に落とされた数々の裏切り者の死体から発せられる腐臭が王宮中に漂い、悪の活動に支障が出ている。

【故障の原因と修理】
装置の歯車・バネ部に人骨が挟まっていたのが原因であった。脱出しようとして巻き込まれたと考えられる。障害物を取り除き、グリスアップを行なったところ、問題なく開閉できるようになった。なお、歯車とバネには再発防止のため防護カバーを取り付けた。

腐臭については一時的な措置ではあるが、防臭剤(家庭用)を投下。

【今後の提案】
今後も同様の事象が起こる可能性があるため、落下装置の電動化を提案。また異臭対策のため、地下孔に超大型ディスポーザと浄化槽の設置を提案。

(修理担当者の名前と印)
*担当者が電動化とディスポーザの見積もりをお客様にお示ししたところ、逆鱗に触れ地下に落とされたため、支店部長が代筆。

苦い文学

北朝鮮の拉致問題

北朝鮮の拉致問題ほど私たちを怒らせるものはないのだ。被害者たちとその家族はどれだけ悲しい思いをしたことだろう、悔しかったことだろう。日本人がないがしろにされコケにされているのだ。しかし、政治家たちときたら、口先ばかりでいっこうに進捗なしだ。業を煮やした私たちはついに自分たちで政党を作った。日本のために尽くす本物のリーダーが率いる偉大なる政党だ。

私たちはこの偉大な政党が政権を取るためになんでもした。GHQ の押し付けた公職選挙法などなんの意味があろうか。力のあるものがありとあらゆる手段を使って勝つ、それだけが法だ。

そして、ついに偉大な政党の政権が樹立された。私たちはこの時から北朝鮮との、そしてその背後にいる中国とアメリカとの全面戦争に突入したのだ。

偉大な政党は必ず戦争に勝つ。だが、そのためには私たちは偉大な政党にすべてを捧げなくてはならない。私たちは財産と基本的人権をすべて政府に供出した! そして、日本に巣食うありとあらゆる敵を逮捕し、ガス室に送った! 偉大な日本の時代が始まったのだ。

そして今、偉大な日本で私たちは痩せ細り、餓死寸前だ。互いに憎み合っているから、力を合わせることもできない。軍人たちに殴られ通しで、いつもコブだらけだ。

「拉致被害者を取り戻す前に、日本人全員が北朝鮮に拉致されてしまった」

これが私たちの最新のジョークだ。

苦い文学

エスカレーターからの転落

今日、私は都会の大きなデパートに買い物に行った。陽気のせいかすごい人出で、出かけたことを後悔するほどだった。駅のデッキからデパートに入ると、エスカレーターの前が混雑している。みな左側に乗るばかりで、誰も右側に立とうとしないため、渋滞しているのだった。エスカレーターの乗り口の上には「混雑時には2列でお乗りください」と赤字で貼ってあった。

私は呆れてしまった。最近になってあちこちで周知されているように、エスカレーターは乗るものであって、階段のように登るものではない。急ぎの人のために片側を空けること自体が間違っているのだ。それなのに、なぜこれらの人々は愚かにも何も考えずに待っているのだろうか。自分で考えることができないのだろうか。私は最近の選挙で有権者たちがなした愚かな選択を想起し、暗澹たる気持ちになった。

だが、社会はたったひとりの行為が変えることもある。私はエスカレーターの前の列を抜けて前に進むと、敢然と空いている右側に立ち、そのまま上昇していった。

しかし、どうして人々は片側を空けてしまうのだろうか。エスカレーターは登るものではない、という注意喚起はあちこちでなされており、知らないはずはないのに。おそらく、と私は考えた。急いで登ってくる「ならずもの」たちに文句を言われたり、小突かれたりするのがイヤなのだろう、と。

だが、間違ったことをしていないのだから、そんな輩など無視すればいいのだ。それができないというのは、不正を許すことだ。誰ひとりいないエスカレーターの右側に立ちながら、私は決意した。私は負けない。ならずものたちから社会を守る防波堤になってやろう、と。

私はエスカレーターの段の右側を踏み締めながら、上の階に上昇していった。相変わらず左側には人がいっぱいで、私はひとりぼっちだった。私は怖くはなかった。

エスカレーターがひとつ上の階に上がるたびに、何人もの人が列から離脱し、その代わり新たな人々が左側の列に加わった。その人の入れ替わりの結果、私ははじめて同志に出会った。それは二人の若い男女で、男が左側に、女がその横、つまり右側を占めていたのだった。そして、私はその後ろの段に立っていた。

「若いのに正義のために戦うとは愉快愉快」と感心している私の前で、男が女の腕を引き寄せた。

「ほら、邪魔になっているよ」 後ろの私に気づいた女は「すいません……」と男の方に身を寄せた。

やがて、若い男女を押しのけて、ひとりのならずものがエスカレーターを一段一段登っていった。

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家庭裁判所

日本の政治家や野球選手は、不倫や性加害などのスキャンダルが発覚したとき、追及をうまく切り抜ける方法を知っている。その方法とは、追求が始まったらこんなふうにいうことだ。

「妻に怒られた」「妻に叱責された」「バカだね、と奥さんに怒られた」……

言い方はいろいろあるが、我が国のジャーナリストたちはこれを聞くと「なーんだ、もう怒られたのか、じゃあ追求はやめにしよう」とか「てことはもう奥さんの許しは得ているのだな、もう非難はやめだ!」と考えて、追求の矛を収めてしまう。

こうしたことが起こるのは、我が国では、妻が司法の一翼を担っているからだ。そして、この妻が裁判官を務める司法機関が家庭裁判所である。我が国の優秀なジャーナリストたちが、あっさりと追及をやめてしまうのは、すでに家庭裁判所において妻によって審理がつくされた訴訟を、家庭の外で蒸し返すのは、おかしなことだからだ。

さすがに法治国家だけあって、一事不再理の原則が徹底しているというべきだろう。

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日本人はバカ

「日本人はバカだ」

ある知識人がこうツイッター(現X)に投稿した。すると、たちまち轟々たる非難が沸き起こり、ツイッター(現X)は怒りの声で溢れた。「バカというやつがバカだ!」「なんだこの上から目線」「こいつは反日だ!」 するとその知識人、再びツイッター(現X)に投稿した。

「日本人は馬鹿だ」

同じく大炎上が巻き起こった。「日本人を貶すものは日本から出ていけ!」と息巻く者もいたし、「こんなのが日本人とは恥ずかしい」と嘆く者もいた。また「日本人がバカだというのならば、日本人であるあなたもバカということですよね」とお得意の遠くからの詰め寄り芸で、怒りを発散させる者も続出した。

X(前ツイッター)は沸騰し、ついには殺害予告まで飛び出す事態に。しかし、それにもかかわらず知識人はもう一度ツイート(現ポスト)した。

「日本人は莫迦だ」

不思議なことに、まるで炎上しなかった。そこで知識人は「やはり日本人はバカだった」と結論づけた。

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人生の回り道

人生回り道協会さま

突然のお便り失礼致します。

「人生は回り道、人生をゆっくりと回り道をして楽しもう」という貴会の活動に励まされているものでございます。ですが、貴会の主張が広まるにつれ、これは本当に回り道かな、これは回り道の詐称では、と思わされることも多くなりました。

ひとつ例を挙げれば、「人生に無駄はない、回り道をしよう」をモットーに活動している方がいらっしゃるのですが、その方の経歴を見て驚きました。

「進学校に入学。4年かかって高校を卒業(アメリカに留学という回り道)。東京大学に入学(在学中、1年留年。若くして起業するという回り道)。大学を卒業後、しばらく就職せず(世界放浪という回り道)。その経験を書いた旅行記『人生は回り道』がベストセラーに」

これは果たして回り道でしょうか? これはインチキ回り道ではないでしょうか? こうした偽物が世にはびこったら、回り道でないものを回り道と誤認する人が出てくること疑いなしです。

そして、そうした人が、もし、回り道でないものを回り道だと思い込んでその回り道に時間を費やしたとしたら、それこそ、とんだ回り道ではないでしょうか。

そこで、貴会に提案がございます。貴会の回り道に関する知見を生かし、「回り道公認制度」を立ち上げて欲しいのです。

貴会が本当の回り道に公認という形でお墨付きを出せば、偽の悪質な回り道は淘汰されていくことでしょう。そうすれば、人々は偽の回り道に惑わされることなく、優良な回り道に近道できるのです……

苦い文学

注文のむずいレストラン

その日、10人の空腹の「客」がとあるレストランに集められた。いずれも目隠しのまま拉致されてきたのだ。

「客」たちは、大きなテーブルに輪になって座らされた。目隠しを外される。豪華なレストラン、眩いばかりの光。なにが起きたのか、そして自分の身になにが起きるのか、「客」は無言のままあちこち見回して、ヒントを掴もうとするが、自分が餓死しそうだということ以外なにひとつわからない。

そこに、まるで洋画に出てくるような仮面をつけたウェイターが数名現れ、ひとりびとりの前にメニューを置いた。「客」たちは腹を鳴らしながら、メニューを開く。だが、そこにはなにも書かれていない。

「いったい、どうやって頼めばいいのか」

誰かがつぶやく。すると、再びウェイターがやってきてテーブルの中央に、丸い銀の蓋を被せられた大皿を置く。そして、ウェイターは無言で蓋を取り去った。

「タ、タブレットだ!」

大皿の中央に置かれていたタブレットを見て「客」たちはざわめく。「これだ!」 「これでしか注文できないのだ!」 ひとりの男がタブレットに手を伸ばす。だが、別の男がその手を払ってタブレットに飛びついた。それと同時に、他の客がいっせいに飛びかかった。乱闘が繰り広げられている間に、ひとりの女が隙を見てタブレットを奪う。と、別の女が殴りかかった。タブレットをめぐって「客」たちは殴り合い、蹴り合い、首を絞め合い、殺し合い……ウェイターたちは次々と死体を運び出していった。

そして、ひとりの血まみれの男が最後に残った。だが、彼もまた深手を負っていた。血を吐きながら、床に倒れる。タブレットが手から転げ落ちる。這いつくばりながら、男は必死になってタブレットに手を伸ばすが、その手は届かない。出血のため意識が混濁してきた男はウェイターが近づいてくるのをかすかに感じ取った。

「ちくしょう……」 男は皮肉な笑みを浮かべてウェイターに言った。「ざまねえや……もう注文もできやしない……せめて……カレーをひとつ……」

やがて、息絶えた男のもとに、カレーが運ばれてきた。

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ヴィランども

私は良い人間でも悪い人間でもない。でも、弱い人間が理不尽にいじめられているのを見ると、黙っていられない。

弱い人間とは、その人の強さ弱さをいうのではない。社会的に弱者とされている人だ。例えば女性。女性の中にはもちろん強い人もいっぱいいるが、その強さだけではどうしようもできない暴力にさらされている。そして、その暴力にもっとも苦しむのが、弱い立場にいる女性たちだ。

また難民もそうだ。難民というのは、国家という後ろ盾を失った人々であり、そうした人々はひとしなみに「うさん臭い、弱いもの」と見なされる。もちろん、難民にもイヤな奴はいくらでもいる。だが、イヤな奴だからといって、その人を不当に苦しめることはできない。

私は、これら弱い人々のために一生懸命働いてきた。だからといって、普通の人々を蔑ろにしているわけではない。こうした弱い人々が力をつけることが、結局のところ、それ以外の人々の生活の豊かさにつながるのだ。

そして今、人々は正義に飢えている。腐敗しきった世の中が正されるのをいまかいまかと待っている。「悪を懲らしめてくれ!」 そう口々に叫んで、新しいリーダーを求めている。人々は私の名を呼ぶ。前に立ってくれと、絶叫する。ついにそんな時代になったのだ。力あるヒーローが憎きヴィランどもを滅ぼす、そんなスカッとする世界がついに到来したのだ。

私もまもなくヴィランのひとりとして殺されるだろう。

苦い文学

駅の演説

吉田六郎さんは都内の会社に勤める会社員でした。毎日毎日、過酷な満員電車に乗って出勤するうちに、日本の労働について考えるようになりました。

「日本は少子高齢化により労働者人口が減っていくのが確実なのに、満員電車などの厳しい労働環境のままでいいのだろうか、と、そんなことを考えるようになりました」(吉田さん)

そんなときに出会ったのが、政党の立候補者公募。吉田さんは日本を変えたいという気持ちから応募し、選考ののち党から推薦を受けることとなりました。

「満員電車をなくしたいという、熱意にあふれた吉田さんを応援したいと(決定しました)」(党関係者)

選挙が公示されました。立候補に先立ち仕事を辞めた吉田さんにとって、すべてを賭けた選挙活動の始まりです。

選挙ポスター、事務所の設立、日程の調整……吉田さんは党の支援を得ながら選挙活動を進めていきます。中でも力を入れたのは、朝早くからの駅での演説です。足早に仕事に向かう有権者に声をかけます。

「みなさん、おはようございます。この度、立候補いたしました吉田六郎です。お仕事行ってらっしゃいませ。満員電車ご苦労様です。この選挙こそ、日本を変える…」

知名度はゼロにちかい吉田さん。無視する人も多く、演説もほとんど聞いてもらえませんが、それでも挫けずに立ち続けると、次第に周囲の目も変わってきました。

「吉田さん、頑張って!」(駅に向かう年配の女性が声をかける)

「ありがとうございます。満員電車ご苦労様です」

そして、投票と開票の結果、吉田さんは見事、初当選を果たしました。

「これもみなさんのおかげです」(選挙事務所内が拍手に包まれる)

政治家としての一歩を踏み出した吉田さん、その翌日の朝も駅前に立ち、マイクを片手に有権者に思いを伝えます。

「みなさん、おはようございます。みなさんのご支援のおかげで、毎朝、満員電車に乗る生活から解放された議員の吉田六郎です。みなさん、満員電車ご苦労様です。ほんっとうにご苦労様です」

喜びを隠しきれない吉田さんの声は遠く4番ホームまで聞こえたとのことです。

苦い文学

説明するときに無理する人

発達障害とは「脳機能の発達に関係する障害」ということですが、近年、発達障害だとされる子どもが増加しているそうなんです。昔はいなかったのに、最近になって増えているとはどういうことでしょうか。そのことをみなさんにちょっと考えてほしくてこうしてお話ししているわけです。

そう言いましても、みなさんにお考えがあるとは思えないので、私なりに説明してみましょう。

私は、これは教育の場において体罰が追放されたことに関係があると思っています。昔も発達障害と診断されるような子どもいたに違いありません。これは確かです。ですが、そうした子どもは発達障害だと考えられなかったのです。

なぜか。それは、教師に殴られたからです。非常に激しく、強烈に何度も何度も殴られたからです。この殴られた衝撃が、頭に良い効果をもたらし、矯正されたのです。いや、当時の言葉を使えば「性根が叩き直された」のです。体罰には高い教育的意義があったのです。

もちろん、殴られた衝撃が悪い効果をもたらした場合もあったかもしれません。ですが、そうした場合はほぼ確実に子どもは死んでしまったものでした。そのため、発達障害として数えられることはなかったのです(昔は子どもがたくさんいたので、少しぐらい死んでもあまり気にしませんでした)。

だから、体罰を悪だというのは非常におかしな考えです。というのも、体罰を悪者扱いしたせいで、こんなにも発達障害がのさばる日本となってしまったのです。このままでは体罰禁止のせいで日本は滅びてしまうでしょう。

それに、でなければ、どうして昔の教師があんなに殴ったのか説明がつかないじゃないですか。小中学校のころの私が毎日、あんなにも激しく残虐に殴られたのはなんでだったのでしょう。それで私は治ったのです。じゃなきゃ意味がまったくないではないですか……さんざっぱら殴られたせいで人生が破壊されたのに、そこに治ったというせめてもの甲斐がなければ……ううバカみたいではないですか……バカみた……