苦い文学

タトゥーの理由

「私は不思議に思っていることがあるのです」といつもの人。

「なんでしょうか?」と私。

「いや、タトゥー、つまり刺青についてなんですが、どうしてあんなものを皮膚に刻み込もうなどと思うのでしょうか。その動機がわからないのです。あんな消せもできないし、消せたとしても大金がかかるものに。まったくバカげているではありませんか」

「私も動機は分かりませんが、人はそれぞれに考えがあるものです」

「いや、そんなものありませんよ。思うに、あのタトゥーというのは、自分になんに誇るべきもののない人間がコケオドシに入れるものですよ。きっとそうに決まってます」

「では、お聞きしますが、あなたはご自分にどんな誇るべきものがあるとお考えで?」

「それはもちろん学歴ですよ。早稲田大学という世界一の大学を卒業していますから」

「それは存じ上げませんでした。ご風体からは、そんな立派な大学を出てらっしゃるようには見えませんから」

「ええ、よくそう言われるのです。学歴とは目に見えないものですから」

「ならば、いっそのこと、誰もがわかるように『早稲田大学卒』とタトゥーを入れたらいかがでしょうか?」

「えっ、龍やチョウチョではなく学歴を? そんなことが可能で? ……ぜ、ぜひそのお店を教えてください……『早稲田大学卒』と、いやいっそのこと卒業証書まるごと……」

苦い文学

老人と逆

日本の老人は「逆」に夢中だ。

まず、高速道路はいつだって逆走だ。アクセルとブレーキを逆にして子どもを逆縁にするのも、ことあるごとに逆上・逆ギレ・逆恨みして、逆待に精を出すのも老人だ。しかも、どうやら考え方も逆コースなのだ。

そのうち、写真に写れば逆光、街に出れば逆ナンということにもなりかねない。

老人たちがあまりにも「逆」向きなので、逆でない老人がいたら逆に心配になるくらいだ。

若者たちは老人たちを変えようと手を尽くしたが、老人たちの逆鱗に触れるばかりだ。

私はこの問題に若者が関わるのはかえって逆効果だと考える。なぜなら、老人たちの「逆」への執着は、時間を逆上って、若さを取り戻したい、逆三角形の肉体だったころの自分に戻りたいという逆しまな欲求が原因だからである。

「逆」を集めることにより、老いから若さへと逆向きに進もうなどというのは、逆立ちしてもありえない原始的な呪術思考だ。だが、いい歳をした老人たちが、この呪術に陥る姿は、年の功が亀の甲に逆転負けを喫するという、現代の逆説的状況をあらわにしているといえそうだ。

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トイレの時間

時間とはなんだろうか。アウグスティヌス以来、哲学者と科学者を悩ませてきた問題だが、私には私なりの答えがある。

時間とは膀胱の柔軟さだ。これが時間の流れを決めるのだ。柔らかい膀胱の時の流れは、固い膀胱に比べてゆったりとしている。それゆえ、固い膀胱の持ち主は、柔らかい膀胱の持ち主に比べて、おしっこに行く回数が増えるのだ。

さて、ワルシャワに向かう私の席は、飛行機の中央の席だった。つまり、両側に人がいて、トイレに行こうと通路に出るときには、必ずどちらかを煩わさなくてはならない席なのだ。

その厄介が生じない場合がないわけではない。隣に座る人の膀胱と私の膀胱とがシンクロしているか、私の膀胱のほうがより柔軟な場合がそれだ。そのような場合にかぎり、私は隣の人がトイレに立つ瞬間を狙って、トイレに行くことができる。

だが、私の両隣に座ったのは、30代のポーランドの青年と(おそらくは)10代の女性なのだった。時の流れとはなんと無情なものであろうか。

そして、この二人の柔軟な膀胱の持ち主は、14時間の飛行のあいだ、一度たりともトイレに立たなかったのであった。

ただ、ポーランドの青年は、私が日本人だと知ると、日本語で話しかけてくれた。彼は北海道で4週間の旅を終え、帰国するところだったのだ。私よりも北海道に詳しかった。彼はまたポーランドについていろいろと私に教えてくれた。互いに連絡先を交換しさえした。ひとことで言えば、友人となったのだ。

そして私は、その友情を活用して、一回だけトイレに行くことができた。

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横断歩道

ワルシャワの街を歩いていて感心させられたのは、信号機のない横断歩道で必ず車が止まってくれることだ。歩行者優先の意識は徹底していて、横断歩道に近付いただけで、横断する意思を示す前ででも、車は止まる。

ずいぶん昔のことだが、マルタ島でも同じような経験をしたことがある。だからといってヨーロッパ全部に当てはまるとはいえないが、そうではないと考える理由もない。

それにしても、と私は日本の道路事情を思わずにはいられない。日本では横断歩道で車が止まったのを見たことすらない。それどころか、渡ろうとするとかえってアクセルを踏んで威嚇してくる始末だ。もっともこれは日本だけではない。韓国、台湾、中国でも同じような状況だろう。

ただ、横断歩道で車が止まる社会のほうが止まらない社会よりいいかというと、必ずしもそうではない。横断歩道で車が止まるのは、それ以外のところでは歩行者は渡らないという、車と歩行者の契約があるからのようでもある。

しかし、日本では私たち歩行者は、車の危険がなければ、どこであろうと果敢に道を渡らずにはいられない。これはある意味では自由だが、車にしてみれば、車道という車の聖域に対する侵犯行為でもある。そんなわけで、車も横断歩道で「おい渡れるもんなら渡ってみろ」とやけに歩行者に挑発的になるのだ。

いずれにせよ、日本人からすれば、横断歩道で車がスッと止まるなど信じ難い光景だ。私がその光景をビデオに撮って SNS に流したら、「フェイク動画だ」と炎上まちがいなしだし、ファクトチェック機関が緊急声明を発する事態となることだろう。

苦い文学

あの席

航空券の予約や空港のチェックインカウンターで飛行機の席の希望を聞かれるとき、窓側(window)と通路側(aisle)のどちらを選ぶだろうか。

外の景色を楽しむなら窓側だが、私は絶対に通路側だ。なぜならもっとも自由だからだ。

しかし、飛行機にはもうひとつ席の種類がある。窓側でも通路側でもない席だ。私たちはチェックインカウンターで席を聞かれないとき、「ああ、あの席だ」と観念する。

しかし、この席はいったいなんという名前なのだろうか。航空会社は決して教えてくれない。まるでその席のこととなると、離着陸時の電子機器のようにスタッフたちは心を閉ざしてしまうのだ。おそらく、乗客たちのクレームをかわすために、そのような席は存在しないことになっているのだろう。

しかし、それにもかかわらず、その席は存在し、乗客たちのあいだでひそひそ声でその名が語り継がれている。私が耳にしたかぎりでは次のような名称があるようだ。

「非存在の席」
「決して選択肢に入ってこない席」
「ハズレ席」
「両隣が人の席」
「もっとも窮屈な席」
「おしっこ我慢の席」
「両側の肘掛けを奪われた瞬間、絶命する席」

なお、こんな逸話も伝えられている。スタッフがチェックインカウンターでいつものように乗客にこう尋ねた。

「窓側と通路側のどちらがよろしいでしょうか」

その乗客は怖いもの知らずで鳴らした男だった。まわりに自分の豪胆ぶりをみせつけてやろうとこう答えた。

「いんや、そのどちらでもない席だ!」

その男はただちに貨物室に運び込まれたという。

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ポーランドの教訓

学生のころ、ポーランド語初級の授業をとったことがある。一年だけでやめてしまい、やがてすべて忘れてしまった。

いや、すべてではなかった。たったひとつの単語「małpa(マウパ)」だけが私のポーランド語学習の記憶として残っている。なお、その意味は「猿」だ。

さて、そのポーランドに用事ができて、行くことになった。昨日、成田を出発して、いまワルシャワにいる。

ポーランドは初めてだが、そもそもヨーロッパ自体ひさしぶりだ。北アフリカのチュニジアにはよく行くが、たいていエミレーツ航空かカタール航空だ。ヨーロッパ経由でも行けるが、割高だ。

ポーランドに行くには、ドイツやオランダ経由の便もあるが、ポーランド航空で直行便で行くこともできる。毎日就航しているわけではないようだが、私の場合日程が合って、行きも帰りもポーランド航空になった。

出発は 22:50 で、成田から出る最終便のようだ。ワルシャワに到着するのは 06:00 で 14 時間程度のフライトだ。

食事は、夕食と朝食の 2 回出る。その夕食のとき、客室乗務員が「ポークかチキンか」と聞いてきた。これを聞くや、えもいわれぬ違和感にとらわれた。そして、すぐに理由がわかった。

「ポーク」だ。

私は長らくアラブ系の航空会社を利用してきたので、「ポーク」が機内食の選択肢に入ることなどなかったのだ。

ささいなことでも慣れというのは恐ろしいものだ。私は「ポーク」を選び、この教訓をしっかりと味わった。

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政府のメンツ

「私は不思議に思っていることがあるのです」といつもの人。

「なんでしょうか?」と私。

「いや、自殺についてなんですが、どうして日本政府はああも熱心に自殺を防止しようとするのでしょうか。特別にサイトを作ったり、電話をかけさせたり、とにかくひどい熱の入れようなのです」

「いやいや、当たり前ですよ。命はかけがえのないものですから」

「そうでしょうか? いや、私もそう思っていますし、絶対に防ぐべきですが、それを日本政府がやっているのがどうにも不思議なのです」

「不思議でもなんでもないですよ。これは政府の責務ですから」

「ですが、日本政府ですよ。日本政府が人の命など大切にしたことなどないじゃないですか。なのに、自殺となると、やたらとキャンペーンを打ちたがるのです。自己責任でどうぞ死んでくださいという政府、基本的に国民の命に価値など認めない政府が、なんで自殺となると猫撫で声で擦り寄ってくるのか、それが奇々怪々なのです」

「いや、それはひどい言いがかりだ、日本政府といえども、死ねなどといわないでしょう」

「ですが、なぜ靖国神社などにいくのでしょうか。今後、国民に『死ね』という可能性を考慮に入れてのことでは? それに、どれだけ貧乏人が見殺しにされていることか」

「なるほど。ですが、たとえば、子どもはどうです。日本政府は子どもの自殺対策に頑張っていると思いますよ」

「ですが、その子どもが不法滞在だったら? 難民の子どもだったら? 日本政府は遠慮なく見殺しにするでしょう。だから、日本政府が子どもの自殺を防ごうとしているのがまったく不可解なのです。こっちでは守ると言いながら、あっちでは平気で殺しているのですから。子どもは子どもじゃないでしょうか」

「……」

「でですね。私は考えたのです。これはメンツの問題だと」

「メンツ?」

「日本政府としては、殺せるのは自分だけだと思ってたところに、下々の者が勝手に自殺などはじめたら、それこそメンツ丸潰れというわけで……」

苦い文学

AI たちのかいた絵

このブログでは、短編かなにかを投稿するとき、私は一枚の画像をアイキャッチとしてつけるようにしている。これはブログの外観上の理由で、文字だらけになってしまうのを防ぐためだ。だから、画像そのものには意味がない。

初めは自分の撮った写真を使っていたが、それも大変なので、AI にたくさん画像を作らせて、その中から適当に選んで使うようになった。2022 年 10 月 22 日に AI の画像が初登場している。

画像を作らせていたのは Stable Diffusion だったが、今年の 6 月ごろからか、WordPress が投稿内容に合わせて画像を作ってくれるサービスを導入した。

最近はアイキャッチ画像づくりにこのサービスを使うことも多い。何枚も提案してくれるので、その中から使えるものを選べるのもいい。だが、いくつかの欠点がある。

まず、自殺や性などがテーマの場合、AI は画像の生成をしてくれないことがある。私の書くものには、こうした言葉がときたま出てくるので、しばしば拒絶されるということになる。

もうひとつの問題は、画像が白人男性中心ということだ。日本語で日本のことを書いても、AI はそれをアメリカの白人男性の世界に翻訳してしまうのだ。画像に意味はないといったが、さすがにこれは使えない。

画像作成のさいにはプロンプトも記入できるが、そこで「日本」とか入れてしまうと、今度は「侍と忍者と芸者の世界」になってしまう。現代日本の画像など、おそらくアメリカの白人男性の頭の中にはないのだろう。

もうひとつ面白いことがある。差別とか貧困とかをテーマにした投稿をもとに AI に画像を作らせると、決まって黒人ばかりになる。アメリカでは貧困といえば黒人ということなのだろう。

私が書くのは日本の貧困と差別だから、もちろんこれも使えない。だが、よく考えてみると、貧困と差別という言葉から、AI が日本の画像をどんどん生成しだしたら、それはそれで悲しいことなのは間違いない。

苦い文学

暴かれた闇

YouTubeで「日本の闇を暴く!」という怪しげな動画がおすすめに上がってきたので、見てみることにした。坊主頭の中年男性が出てきて、真剣な顔つきで以下のような話をはじめた。


夏休みの終わりになると、子どもたちに語りかけるような記事が増えます。これは、新学期にさいして、登校できない子どもたちもいて、そうした子どもたちのために必要なことです。

とにかく痛ましい出来事をなんとしても防がなくてはなりませんからね。その点には私は異存はありませんし、私としてもできるだけの協力をしたいのです。ですが……まれに、ごくまれにですよ、じつに疑わしい例があるのです。

つまり……なんというか、意図がです。本当に子どもの自殺を防ごうという気持ちからやっているのかな、そう疑わざるをえないものがあるのです。

みなさん、この記事を見てください。子どもにつらい時は学校に行かなくていいんだよと、ある作家が語りかけています。

とくに異常な点はないように思えるかもしれません。ですが、私、この人物について少し調べてみたのです。ほら、見てください。彼は単なる作家ではなく『電車通勤の会』の会長だったのです!

これだけではありません。こちらの記事も見てください。これは子どもの自殺を防ぐ団体のメッセージですが、私、この団体についても調べてみました。そしたら、なんと、多額の資金を提供している団体の名前がずらりと出てきました。

その団体の名前を見てください!

鉄道安全協議会
日本レイルロード振興協会
撮り鉄全国連絡機構

いったい、これはどういうことでしょうか? もしかしたら、これらの勢力は、子どもの自殺を防ぐだなんて気持ちはなくて、ただ単に電車の遅れを防ぎたいだけなのではないでしょうか?


私はこの動画を見るのをやめ、「チャンネルをおすすめに表示しない」に指定した。

苦い文学

心の病気

ある男が、心の病気の診断書のことを耳にした。心の病気の診断書があれば、すきなだけ仕事を休めるし、給料も毎月ちゃんともらえる、というのだ。

男はさっそく病院に行って心の病気の診断書をくれと言った。すると医者は怒ってつまみ出した。耳鼻科だったのだ。今度は別の病院に行くと、肛門科の医者が出てきて尻を蹴られた。男はあちこちの病院に行き、最後に精神科のクリニックに辿り着いた。

医者は男を診察してこう言った。「申し訳ありませんが、診断書は書けません。あなたの心の病気は私の技術では見抜けないのです」

「なんだと!」と男は医者に掴みかかろうとした。

「まあ、待ってください。この世に、あなたが心の病気であることを診断できる天才医師がたったひとりいます」

「その医者がどこにいるか教えろ」と男は怒鳴った。

「危険な海のはるか向こう、険しい山岳地帯を越えたところにある広大なジャングルの奥地にその医者の小さな診療所がある、と聞いたことがあります」

心の病気の診断書がどうしても欲しい男は、さっそくボートに乗り込んだ。荒れ狂う海を進むボートはやがて見えなくなり、それきり男は行方しれずとなった。「彼はきっと心の病気だったにちがいない」と人々はささやきあった。