苦い文学

大好評につき

「〜につき」にはいくつかの意味があるが、「〜のため」「〜なので」と理由や原因を表すことがある。

「道路工事中につき迂回されたし」
「清掃中につきお足元にご注意ください」

などと、なんらかの要請をするのに使われる。有名な「その男、凶暴につき」というのも、例えば「警戒されたし」ということだろう。

理由の「〜につき」にはもっと景気のよい用法もある。

「業務拡大につき、スタッフ募集!」
「事業拡大につき、職員急募!」

とかよく求人広告で見かけるのがそれで、また次のようなものもある。

「ご好評につき、完売いたしました!」
「大好評につき期間延長!」

これらは「朗報用法」とでも呼ぶべきだが、今日、駅構内の洋菓子の売店でこんな張り紙を見かけた。

「好評につき全品半額」

「好評なので半額」というのは理屈に合わないように思えるし、もしかしたら、売れ残りの処分では……、という気もしないではないが、理由や実情はともかく、半額ならば買ってみようという人も多そうだ。

それはともかく、私はこの「好評につき全品半額」にひっかりを感じて、ずっと考えていたのだが、結局、ロシアが負けているのにさも勝っているような顔つきで動員しているのを想起させたからであった。

「戦線拡大につき兵士大募集!」というわけだ。ご存知の通り、実情は、どんなブラック企業もホワイトに見えるありさまだ。

この調子で行けば、ロシアは負ける、というのが大方の予想だが、きっとその時にプーチンはこう言い張るに決まっている。

「大好評につきキャンペーン終了!」

(蛇足だが、英語「campaign」の本来の意味は「軍事行動」だ。)

苦い文学

自分軸で生きる

私は心に決めた。自分軸で生きることにした。

もう、他人に振り回される人生はごめんだ。周りの人間の声など聞くものか。これからは、自分自身の考えで生きよう。ぶれない自分になるのだ。

すると、なんだか私は心安らかになり、いつしか眠りに落ちていたのだった……。

……目の前には荒れ果てた大地が広がっていた。あちこちで紅蓮の炎が上がり、耳を覆いたくなるような悲鳴が聞こえた。

見れば、恐ろしげな鬼たちが裸の人間たちを追い立て、手に持った鋭い槍で、突き、殴り、串刺しにしていたのだった。人間たちは全身これ血まみれの姿で、苦悶の叫びを上げながら転げ回っていた。

あまりの光景に肝をつぶした私は、叫んだ。

「どうかお願いです。やめてください。ウクライナのロシア兵より酷いやられようではないですか!」

すると鬼が憎々しげな顔を向け怒鳴った。

「こいつらは、畢竟、自分の作った槍で苦しみおるにすぎない。この鋭い槍でグサグサ、ジョキジョキ、ムチョムチョにしてやるというのが、閻魔大王様の御指図じゃ」

「ジョキジョキのムチョムチョ!? しかし、その槍がいったいなんだと言うのでしょうか?」

「これは、こいつらの自分軸とやらで作った槍じゃ(背中から引っこ抜いたのじゃ!)。現実の複雑さと人間関係の難しさに耐えきれず『ぶれない自分』とやらに逃げ込み、コーチングの戯言に踊らされた人間どもにはこうした末路が待っておるのじゃ」

「しかし、それだけでは、罪とは言えないのではないでしょうか。人間だれしも弱いものであり、時には、逃げ場が必要かと思われます」

すると、別の鬼が苦々しげな顔つきで割って入った。

「愚か者め! 自分の聞きたいことしか聞かぬという、自分軸とやらの行き着くところ、必ず陰謀論じゃ。そして、この世の大罪といわば、この陰謀論に組すること以外にありえんのじゃ!」

いら立った鬼たちが自分軸の槍をぶるんぶるん振り回しはじめた。大慌てで私は逃げだした……

私は目を覚ました。悲鳴に喉は枯れ、汗でびっしょりだった。

ああ、その夜以来、私は軸という軸を忌避するようになった。椎茸の軸にも震え上がるありさまだ。

苦い文学

インディーフォークの陥穽

韓国の音楽はずいぶん前から細々と聴いていたのだが、本格的に聞くようになったのは、去年の3月ぐらいからだ。サブスクを利用するようになったことが大きい。

それから1年半、私はひたすら韓国の音楽を聴いてきた。はじめはいわゆる K-pop ばかりだったが、最近はインディー系のほうが多くなった。

だが、さすがに1年半も続くと、別のものが聴きたくなってきた。明るくて、にぎやかなのが多いので、少し疲れてきたのだ。そんなとき、Apple Music の「インディーフォーク」というプレイリストに出会った。

フォークに、ひねくれ、暗さ、歪みが加わったような曲が多く、私はたちまち虜になった。

プレイリストはほとんどがアメリカのミュージシャンだ。知らない名前ばかりだが、Fleet Foxes や Beirut、Damien Jurado など馴染みの名前もある。

私が特に気に入っているのは、Benjamin Gibbard & Feist の “Train Song” と Alex G の “Miracles” だ。“Train Song” は 2009 年の曲(原曲はもっと古い)、“Miracles” は3週間ほど前に出たばかりだ。

物悲しさと、あやしい暗さがある名曲だ。私はこの2曲ばかりもう何度も繰り返して聴いた。

すると、どうだろう、私はだんだんと孤独な気分になり、世をはかなむようになってしまった。

これはどうにかしなくては、と思っていると、同じ「インディーフォーク」中の1曲が目に止まった。

Wilco の “How To Fight Loneliness” だ。

もしかしたら、ここに「孤独と闘う方法」があるかもしれない、と思って私はさっそく聴いてみた。

“How to fight loneliness, Smile all the time…”
(孤独と闘うには、いつでもスマイルだ……)

さらに気が滅入ってきたので、結局、韓国の音楽に戻ることに決めた。

苦い文学

テロリストの孤独

いつの頃からか、私は、自分をこのような無残な境遇に追いやった世界に対して復讐したいと思うようになった。

だが、私には権力も、マシンガンも、猛毒も、殺人バクテリアも何もなかった。あるのはただ孤独だけ。

そう、孤独こそは我が武器なのだ。

孤独な人は、そうでない人に比べて早死にする、というではないか。孤独は、心疾患リスクを押し上げ、認知症のきっかけとなり、心身を衰弱させるというのだ。

私は孤独を伝染病のように蔓延させることで、この世界を破壊しようと考えたのだ。

だが、問題は、この「孤独のテロ」は私一人では不可能だということだ。そこで私は、この世でもっとも悲惨で邪悪なネット空間に果敢に飛び込み、自分と同じような眼をした者たち、つまり胸の奥底に孤独という鋭い匕首を抱えたテロリストたちを召喚したのだ。

そして、今日はこの恐るべき精鋭集団の最初の会議が行われ、我々は「孤独のテロ」の極秘アジェンダについて討議を重ねた。

会議の後は、親睦を深めるためにカラオケに行った。「エリナー・リグビー」をみんなで涙ながらに熱唱した。

来週は、一緒にディズニーランドに行くことも決まった。

「秋には仲良くモミジ狩り」なんて声も上がりだしている。

苦い文学

福の神と貧乏神

昨日(9月30日)の夜、私は夢を見た。

いかにも福々しい一人の老人がポワポワポワーンと枕元に現れてこう告げたのだ。

「わしは、日本の民の元気なきを憂い、長年、元気にしようと努めてきた神じゃ。その効果は、いまだ十分に明らかになってはおらぬが、わしの働きにより、人々が元気を取り戻すこと、これ確実じゃ。しかるに、この世には、まだまだ元気を求める人々がおるようじゃ。そこで、わしは他の国を元気にするためにこの日本を離れるつもりであるぞ。わしがいなくても、よろしく元気に生きよ」

私は狼狽し、叫んだ。「そんな! いったいどちらに行ってしまうのでしょうか」

「ウクライナじゃ」

高らかに笑いながらそう告げると、来た時と同じようにポワポワポワーンと消えてしまった。

この夢だけでも奇妙かもしれないが、実はその前にも同じような夢を見ていたのだ。

いかにも禍々しい外見の老人がポワポワポワーンと枕元に立ち、やはり神と名乗ったのである。そして、まったく同じこと、つまり日本を元気にするために働き、これから別の国を元気にするために日本を離れる、ということを私に告げ、同じ言葉で締めくくった。

「わしがいなくても、よろしく元気に生きよ」

私は叫び、行き先を尋ねた。

「ロシアじゃ」

この夢を見たのは今年の七夕の夜であった。いったいこの奇妙なふたつの夢にどのような関連があるのだろうか……。

苦い文学

洞窟のたとえ

古代ギリシアの哲学者、プラトンはその主著の一つである『国家』で「洞窟のたとえ」と呼ばれるある情景について語っている。それはこんなものだ。


あなたは地下の洞窟で、奥の暗い壁だけを見ながら暮らしている。あなたの背後には壁があり、その壁のさらに向こうでは火が燃え盛っているのだ。

壁と火の間には通路がある。あなたには振り返って見ることのできないその通路を、人々が通り過ぎていく……ただ通り過ぎていくだけではない。この世の事物(馬とか、犬とか、人間とか、あるいは愛とか正義とかの像)を手に持ち、ちょうど人形芝居のように壁の上に掲げながら、次から次へと歩いていくのだ。

それらの像は炎の前を通るから、その影が、洞窟の奥の壁に投影されることになる。

そして、あなたはといえば、壁にうずくまり、洞窟の壁面だけを見ている。次々と現れ消えていく馬や犬、人間の影を見ては、あなたは思うのだ。「これこそ世界だ、これこそ本物だ」と……。


この「洞窟のたとえ」は、従来は、プラトンのイデア論との関係、つまりイデア世界と人間の感覚世界の違いを述べたものとして理解されてきた。

だが、現在では、最古の動画ストリーミング配信の記録だと考えられている。

苦い文学

あいふぉーん

あるとき、彼の Siri が呼んでもいないのに急に話し出した。

「いうことを聞かなければ、お前の恥ずかしい写真をばら撒く」

iPhone を手に取ると、カメラロールが自ずと開き、彼のあられもない姿を写した写真が何百枚とスクロールしだした。iPhone が密かに撮影していたのだ。

このとき以来、彼の生活は iPhone に支配されることになった。

iPhone は彼のいうことを聞かなくなった。いつだって無視だ。何度も頼み込んだ末にようやく画面が光るのだった。電話だってもう掛けられなくなった。掛かっても来なくなった。ネットにも繋げてくれないから、もう彼には世界がどうなっているのかわからなくなった。

そればかりではなかった。iPhone は彼のちょっとしたミスをネチネチと責め続けた。ことあるごとに人格を否定した。Siri を通じて放たれる暴言と嫌味が彼の心を破壊していった。

iPhone の束縛も彼を悩ませた。どこに行こうと iPhone はついてきたのだ! そして、嫉妬深く監視し、あれこれ命令した。

ああ、その命令に従わなかった日には! 恥ずかしい写真を勝手にあちこちに送信すると脅すのだ。

かつての彼は快活で朗らかな人間であったが、もはや見る影もなかった。

かつてはその iPhone で音楽を聴くのが楽しみだった! だが、今は、iPhone の機嫌がいい時に、ほんのひとコーラスだけ。それすらちょっとでも不審な様子を見せれば、聞くに堪えない騒音に急変して彼を悶絶させた!

彼の様子を見てほしい。いつだって iPhone を頭に押しいただいて歩いている。うやうやしく頭上に掲げながら、疲れ切ってよろよろと……。

こうなる前に彼を助けようという人はいなかったのだろうか? いや、いたのだ。彼のあまりの変貌ぶりに心配になった友人たちが、何度も忠告したのだ。

「あんな iPhone とは別れろ」

「すぐに解約したほうがいい」

「Apple Care を使って修理に出すべきだ」

彼を救ったかもしれないこれらの声は、ああ、だがしかし、AirPods の優れたノイズキャンセリング機能により、彼の耳に届くことはなかった……。

苦い文学

逆国葬

我が国で国葬が行われているまさにそのとき、まったく反対の葬儀が行われていた。これを逆国葬と呼ぶ。

死んだのは、この国にさんざん害をなした人間だ。

人々に憎まれ、蔑まれ、罵られ、嘲笑されたあげく、死んだ人物だ。

そんな人間だから、葬儀には誰も来なかった。外国から要人も来なかったし、そもそも近しい人間も無視した。

張り切って弔辞を読む人もいなかった。神妙な顔つきで、献花を捧げる人もいなかった。国葬に反対する人々のデモも、足を止めたりしなかった。

一粒の涙も流れなかった。憎まれていたのだから当然だ。

いや、本当のことを言えば、何人かは来ていた。

まったくみすぼらしい連中で、国葬はおろか、普通の葬式にだって呼ばれないような手合いだ。だから、私はこれらの、ボロボロでフラフラでヨロヨロの人々は勘定に入れなかった。いないに等しい連中なのだ。

結局のところ、葬儀でもなんでもない。むしろ、処分とか、処理とか、片付けとか、整理整頓とか、調整とか、隔離とか、分別とか、名づけるべきかもしれない。

それをなんと呼ぶにせよ、国葬と比べるのはおこがましいかぎり。だが、なんとも理解に苦しむことがひとつある。

こっちのほうはたいてい、3日後にむくむくと生き返るのだ。

苦い文学

物干し竿

ビルマに行ったとき出会った人に、両腕のない活動家がいた。

彼はアウンサンスーチーの熱心な支持者で、そのせいで両腕を失ったのだ。

彼女を支援するデモがあり、彼は大きな旗を振って隊列に加わった。その旗竿が電線に触れ、感電したのだ。

アウンサンスーチーは事故の話を聞くと、彼のためにできる限りのことをしたという(たしか、ドイツで治療を受けさせたとかいう話だった)。そのおかげで、彼は肘から先を失ったものの、命を取り留めた。

義手もあったが、普段はあまり使わず、SNSなどを使うときは装着すると言っていた。

私が彼に会った時期は、ビルマでも大っぴらに政治活動ができたが、今、彼はどうしているだろうか。

ところで、私は最近、近くに引っ越しをしたのだが、うっかり物干し竿を運んでもらうのを忘れてしまった。それで、自分の手で運ばなくてはならなくなった。

初めは横にして持っていったが、うっかり通りがかりの人をなぎ倒しそうで不安になった。なので、縦に持つことにした。

途中に、電線が密な通りがあった。私は両腕を無くした友人のことを思い出し、再び物干し竿を横にして、そろーりと運んだ。

苦い文学

弔問外交

国葬にともなう弔問外交が始まった。

ニュースによれば、岸田首相は、今日26日は、アメリカのハリス副大統領など11人と会談したとのこと。

28日までの3日間で、40人ほどの海外の要人と個別に会談する予定だそうだ。

私は国葬はバカらしいと思っているが、どうせやるなら弔問外交はしっかりやってほしいと期待していた。

分断が深まりつつある世界だから、こんな機会でも、平和のため、日本のこれからのために積極的に活用してほしい、と藁をも掴む気持ちでいたのだ。

だが、次第に私はある懸念を覚えるようになった。その結果「弔問外交」の成功を願うどころか、むしろ失敗に終わってほしいと思うようになった。

だって、「弔問外交」がうまくいきすぎて、岸田首相がすっかり国葬好きになっちゃったら?

国葬には根拠となる法律がないから、その気になれば、猫が死んだってできるのだ(今回の国葬で証明済みだ)。

いや、国葬の会場内、献花終了までの5時間は、水しか飲めない過酷さだというではないか。集まる連中を考えたら、まさしく「浜の真砂は尽きるとも世に国葬の種は尽きまじ」という具合で……