苦い文学

墓の見守り

私たち日本人にとって、墓はとても大切なものだ。季節ごとの墓参りは欠かせないし、いつだって墓の状態を最良に保たねばならない。なぜなら、墓の状態の良し悪しは、家族の幸運や健康に直結する大問題だからだ。

そこで、私たち日本人は墓に何かがあるとすぐわかるような仕組みを作り上げた。

たとえば、墓の手入れがしてなくて、草がぼうぼうに伸びている。これは家族の不運を予想させる由々しき事態だが、心配はいらない。すぐに夢のお告げで異常発生の通知が来るようになっているのだ。

あるいは、嵐が過ぎ去った後なんかによくあるが、墓石の上に折れた枝なんかが乗っかっている。

するとただちにご先祖さまが枕元に立つ。何にも言わないが、様子でわかる。苦しそうで、鬱陶しそうだ。起きたらすぐに墓に駆けつけて、枝を取り除く、ということになる。

この墓の見守りは、トゥームセキュリティ(tomb security)と呼ばれる。私たち日本人は、それこそ SECOM とか ALSOK とかの生まれる以前から、墓の安全監視システムを構築してきたのだ。

いや、むしろ SECOM も ALSOK も、墓の見守りからホームセキュリティを思いついた、というべきではなかろうか。

苦い文学

浦島太郎の夢

浦島太郎は心やさしい漁師だった。

あるとき浜辺を歩いていると、子どもたちが亀をいじめているのを目にした。

「こらこら、むやみに生き物をいじめてはいけないよ」と子どもたちにお金を払い、亀を海に逃してやった。

このできごとがきっかけとなって浦島太郎は動物愛護について深く考えるようになった。いかにこの世には動物虐待が、飼育崩壊が溢れていることか。苦しめられている動物たちを見ると、まるで世界が泣いているように感じられるのだった。

やがて彼は街頭に立ち、保護犬や保護猫、保護亀のことを訴えるようになった。

浦島太郎のもとにはしだいにその思想に共鳴するものたちが集ってきた。彼の運動のために、寄付金を募ったり、パンフレットを配ったり、後援会の運営をしたりして駆け回っているのは、かつて亀をいじめていた子どもたちだった。

こうして浦島太郎は動物愛護に生涯を捧げたのであった。

さて、彼が死ぬとき、一匹の亀が現れたと伝えられている。その亀はかつて自分を助けてくれた礼を述べると、浦島太郎の目の前で不思議な箱を開けた。

たちまち遠い未来の風景が広がった。そこでは人々は動物たちをまるで友人のようにやさしく扱っていた。人間どうしの殺し合いも、戦争もないのだった。

人生をかけた自分の夢がいつか実現するのを確信して、浦島太郎は安らかに息を引き取った。

苦い文学

ロボットたち

いつの頃からか知らないが、レストラン関係者の前から、私たち客が消滅したようなのだ。

レストラン関係者は、私たちの顔を見ないですむなら、どんなことだってするようになってしまった。それほど、私たちを憎んでいるのだ。

だから、もう注文など聞きにやってこない。タブレットかスマホ経由で注文させる仕組みを考案したからだ。断固として客に近づきたくないのだ。

そればかりか、注文した料理を持ってくるのも拒否している。へんちくりんな配膳ロボットがふらふらとテーブルにやってくるだけだ。

私たちは余儀なく運ばれてきたものを受け取って、ただ腹に流し込むほかない。何か問題があって、配膳ロボットにクレームを言っても無駄だ。聴覚センサーがないのだ。とんでもなく美味くて「この料理を作ったシェフを呼んでくれ!」と頼んでも、無言で通り過ぎていくだけだ。

レストラン関係者は、もう私たち客に関心など持っていないのだ。私たちの存在は配膳ロボットのタスクのひとつでしかない。そこまで貶められたのだ。

もう、我慢の限界だ。私たちは決してレストランに行かないだろう! なにをわざわざ、こちらから頭を下げて出向く必要があろうか。

ロボットにでも行かせるがいい。

苦い文学

完全な世界

創造の御業を終えた神様は、できあがった世界を満足げに見下ろしたのだった。そして、天使たちを集めてこう言った。

「私は完全なる世界を作り上げた。お前たちは日々、巡回して起きたことを私に報告するのだ」

天使たちは散らばって、世界の様子を見て回った。どの被造物も満足そうに育ち、風に揺れ、ひなたぼっこしていた。

だが、ある天使が、一部の被造物たちの叫びに気がついた。

「なぜ、私たちは苦しまねばならないのか!」「私は家族を殺された!」「子どもたちが殺されている!」「神様! 助けてください。」

天使は、これらうるさい被造物の間に入り込んだ。どうやら「悪」が問題らしい。

そこで、天使はさっそく天に昇り、神様にこの「悪」について報告した。すると神様はこんなふうに怒ったのだった。

「この完全な世界にそのようなものがあるはずがない! フェイクニュースだ!」

「いえ、でも確かに見たのです」と天使が言い張ると神はこう見得を切った。

「もし本当だったら、神様を辞める!」

天使は黙して去り、悪ははびこり、世界は破滅した。

苦い文学

この世のインバウンド

この世の通貨は生、あの世の通貨は死です。どういうことかと言いますと、この世でものを買うには生を使い、あの世では死を使うということです。

ですので、この世の鬼があの世を旅行するときには生を死に両替する必要が生じます。なぜなら、あの世の滞在費は死で支払わなければならないからです。あの世の鬼がこの世にやってくるときも同様です。

その際に問題となるのが、生と死の交換比率、つまり為替相場です。

この交換比率はいつも同じではありません。100生が100死ということはあまりなく、たとえば100生が130死の生高死安だったり、その逆の100生が70死といった生安死高だったりと絶えず変動しています。

生死の相場は、最近では生安死高に落ち着きつつあります。この世の鬼にとってはあの世旅行は高くつくものとなり、あの世への旅行者数も減ってきています。

ですが、逆に、この世を訪問するあの世の鬼が増加しているのです。そこで、この世の鬼はインバウンド需要を当てこんで、あの世の鬼のニーズに合わせたサービスを幅広く提供することとなりました。

私たち人間の住む世界が、だんだんと地獄のようになっているのはこんな理由からなのです。

苦い文学

田舎と都会

デパートやファストフードやコンビニは、田舎に暮らす私たちにとっては憧れの的だった。

やがて、私たちの田舎も交通が整備され、都会から新しい風が吹き込んできた。近くに大きなショッピングセンターもでき、その中には夢にまで見たファストフード店が入っていた。

そして、大きな道路沿いにはコンビニが立ち並んだ。私たちの田舎もすこしずつ都会のようになっていったのだ。

「いつかは都会そのものになるだろう」と私たちは予測した。

それから歳月が流れ、私たちは道路沿いのコンビニが次々と閉店していくのに気がついた。コンビニの後は葬儀社や介護施設が入った。そして、ショッピングセンターも売り場を縮小しはじめた。無人のフロアが増えていき、ついに人々はこの場所を見限った。ファストフードもうんと遠くに行かなければ食べられなくなった。

私たちの田舎はもとの田舎に戻った。いや、もっと田舎になった。

都会でもデパートの閉店が相次ぎ、ファストフードもコンビニも次々と姿を消しているという。

「今は都会が田舎になるのがトレンドだ」と、私たちはうれしくなった。

苦い文学

みぎり

「私たちの工場では、バックアップにもとづく人体の再生を行っています」と工場長は記者を前に語りました。

「バックアップと言いますと?」

「人間の情報を記憶、経験、個性といったものも含めて、データとして記録することです。人間のバックアップですね。このバックアップさえあれば、いつでも再生可能なのです」

「つまり、機種変してもデータは受け継がれるのと同じ、ということでしょうか」

「ええ、まさしくその通りです。ですが、機種変はたいていバージョンアップですが、私たちはバージョンダウンに力を入れています」

「バージョンダウン?」

「バックアップにはつねに古いバックアップがあります。たとえば、20歳の頃のバックアップ、15歳のバックアップ、子どものころのバックアップ、といったように。こうした古いバックアップをもとに、より以前のバージョンを甦らせることもできるのです」

「すごいですね。ですが、なんのためですか?」

「『頼朝公幼少のみぎりのしゃれこうべ』ですよ! これからは世界中の著名人のバックアップをもとに、子ども時代のしゃれこうべの大量生産を目指します。幼少のみぎりのしゃれこうべにご本人の直筆のサインとシリアルナンバーを入れて販売、などということも珍しくなくなるかもしれません」

苦い文学

人生逆転

I can’t be wrong about everything. I can’t be. It’s impossible.
(自分の全部が間違ってるなんてありえない。そんなの不可能だ)

イギリスのミュージシャン、モリッシーのライブ・アルバム Live at Earls Court(2005)の 15 曲目と 16 曲目の間に挟み込まれた一言だ。

モリッシーはそうかもしれないが、私はといえばとことんまで落ちぶれて、もう自分のすべてが間違っているのではないかと疑うまでになった。なにからなにまで、そう、歩くことも、いや、呼吸すら間違っているような気がしている。

もしかしたら、逆が正解なのではないか……そんなふうに考えた私は、今までと逆にふるまうことにした。

まず、自分が息を吸うときには、逆に吐いてやるのだ。そればかりではない、息を吐くときに逆に吸ってやる。

歩くときだってそうだ。右足を出すときに逆に左足をこれみよがしに出してやる。もちろん、左足を出すときは、右足を思い切って出してやるのだ。

やることなすこと逆だが、意外にうまくいっている。これで自分の人生も逆転するのではないかと、大いに期待している。

苦い文学

富裕層への道

本屋に行くと「富裕層の生き方」「富裕層の哲学」について学ぶ本がたくさんある。「富裕層おすすめの本」もあれば「富裕層が決してしないこと」の本もある。

雑誌には富裕層の暮らしに関する情報、たとえば「富裕層が勧める習慣とは?」とか「富裕層の丁寧な暮らし」「富裕層の食卓」だのなんだのでいっぱいだ。

もちろんインターネットだって負けてはいない。「富裕層に近づくためのセミナー」「富裕層の投資指南オンラインサロン」なんてのはまともなほうで、富裕層がこっそり利用している占い師・風水師・開運グッズ・お守りであふれてる。

だが、注意してほしいのは、これら作者や講師やペテン師どもは富裕層ではなということだ。それが証拠に連中のプロフィールを読んでほしい。

「富裕層の顧客多数……」

「コンサルタントとして数多くの富裕層と交流……」

「富裕層からの信頼も厚く……」

つまり、連中は、富裕層の(自称)代理人だ。雲の上の存在である富裕層の秘密を私たちだけにこっそり打ち明けてくれるというわけだ。

しかし、連中の言ってることは本当に役に立つのだろうか? 富裕層でもないのに?

そもそも富裕層の猿真似をすれば富裕層になれるというのは、なんとも原始的な思考だ。トーテム思考、社会的ホメオパシーだ。

むしろ、こうした連中の商品に無駄金を使わないほうが、富裕層への近道ではないか。

もしも、この世に富裕層なるものがいればの話だが……それさえも私は疑っているのだ。

苦い文学

マージナル

「レアなものはたくさんあるものよりも価値が高い。トレーディングカードでも、食材でも、金属でも、なんでもそうだ。だが、人間に当てはめると不思議とそうではなくなってしまう。たとえば、不法滞在者はそうじゃない人々に比べてはるかに数が少ないが、だれもこれらの人々を価値があるとは思っていない。むしろ侮蔑と嫌悪の対象として、日本社会のはじっこに追いやっている。

「だが、見方を変えれば、不法滞在者はむしろ日本の中心なのだ。なぜなら、不法滞在者は日本社会の歪みについて我々に直に教えてくれるからだ。これは多数派には絶対にできないことだ。

「不法滞在者の例を挙げたが、実はなんでもそうなのだ。この社会からのけものにされ、批判されるばかりの人々、ホームレスでも、回転寿司で迷惑行為をした若者でもなんでも、これらの人々は我々の社会についてより重要なことを教えてくれるという意味で、はじっこどころか、社会の中心にいるのだ。

「そうなのだ。はしと思えたものが、実は真ん中なのであり、真ん中と見えたものが、実ははしに過ぎなかったのだ。

「そこでもう一度問おう。お前はいったい、それで問題が解決したとでも思っているのかね」

と、桔梗屋は、橋の真ん中を渡ったばかりの一休さんに負け惜しみを言いました。