苦い文学

外国人の開発

我が国の少子高齢化による労働力不足を補うため、外国人労働者の受け入れが進んでいます。

私たちとしてはリーズナブルな価格で、日本の社会を喜んで支えてくれる優秀で完璧な外国人が欲しいのです。ですが、来日する外国人は必ずしも私たちの期待に沿うような人材ではないことが多いようです。

それどころか、反日勢力の策動によるものか、出来損ないで悪質な外国人ばかり日本に来ているのも否定できません。このままでは日本が危ないのです。

「子どもたちに素晴らしい日本を残すためには、もう自分たちで外国人を作るしかないのではないか」

私たちのこんな想いが、外国人の開発のきっかけとなりました。日本には優秀な技術があります。そして小さいけれど技術の点では世界一の中小企業がたくさんあります。私たちはみなさんの力を結集して、オール・ジャパンで、外国人開発に取り組んでいます。

乗り越えなくてはならない問題はたくさんあります。試作品の第1号は、初めての外出の途中で入管に捕まってしまいました。第2号はアメリカに逃亡し、現在、難民申請中です。

ですが、私たちはくじけません。失敗は成功の母というではありませんか。特にその母が日本人の場合にはなおさらなのです。

みなさんに純国産の外国人労働者をお披露目する日も近いかと思います。

苦い文学

卒業文集

毎年、全国の小学校で無数の卒業文集が作られるが、これらのうち、価値のある卒業文集はごくわずかだ。

では、その価値のある卒業文集とない文集の違いはなんだろうか。もちろん犯罪者が子どもの時になにか書いているかどうかの違いだ。

しかも、ただ書いているだけでは十分ではない。その後の犯罪と結びつくような一言や、ちょっと風変わりなコメントがあれば価値はますます高くなる。クラスメートが子ども時代の犯人について何か面白いコメントを書いているのにもいいポイントがつく。

あるいは逆に、その後の犯罪の予兆をまったく感じさせない作文もこれはこれで高ポイントとなる。

こうした特徴があれば、昼のテレビ番組でその卒業文集が取り上げられるのは間違いない。文集としてはまずまずの成功といえるだろう。さらに、ジャーナリストがその文集を記事や本で取り上げたらもう大成功だ。

こうしたすぐれた文集にすべく、教師は、日頃から子どもたちの行動に気をつけ、将来的に犯罪を犯すと見込んだ子どもには積極的に作文指導を行うべきであろう。

苦い文学

教卓の力の研究

現代では教卓に関する科学的研究が進んでいる。そのおかげで教卓にまつわるかなりの現象が予測できるようになった。

例えば、ある程度の広さのある教室に、そのキャパの半分程度の学生を投入するとしよう。こうした状況で、教卓を研究する科学者たちは、教室の中を見ないでも、教室内で学生たちがどのように着席するかをかなりの程度、正確に予測できるようになった。

科学者は、知性と数式だけで、こう予測する。学生たちは教卓の周りに半円状の無人の空間ができるように着席するであろう、と。

実際に教室内を見てみよう。まさしくその通りなのだ。

さらに、科学者たちは教室の外から粘り強く観察を続け、教卓に関するこれまで知られていない新たな現象も発見した。

驚くべきことに、教卓から離れれば離れるほど寝ている学生が増加していたのだ。

教卓との距離と眠気が比例するという新たな発見は、いったなにを意味しているのだろうか。

現在、科学者たちは、教卓と眠りとの関連を明らかにすべく、寝室に教卓を設置する大規模な実験を準備している。

苦い文学

未来における身長差

不慮の事故により遠い未来へとリープした私は、自分の時代に帰る手立てを求めて未来世界をさまよっていた。

北方の険しい山岳地帯を旅するなか、私は一群の巨人たちに遭遇した。これらの巨人は通常の人間ならば動かせもしないような巨大な石材や木材を苦悶の表情を浮かべながら運搬していた。まるで肉でできたブルドーザーのようだった。

私はこの異様な光景に心奪われ、これらの巨人たちの後を追うことにした。巨人たちは苦しみに喘ぎながら山を登り、ある地点で積荷を地面に下ろした。どうやら休憩のようだった。彼らは腰の袋から粗末な食物を取り出し、むしゃむしゃと食べ始めた。

私は巨人の一人に尋ねた。

「あなたたちはどうしてこのような骨の折れる仕事をしているのでしょうか」

「私たちはご主人様のために建材を運んでいるのです」

「ご主人様というと?」

「私たちの所有者です。ご主人様たちは私たちを奴隷と呼んでいます」

私はあきれた。「あなたがたのような立派で強靭な肉体を持つ人々が、奴隷の地位に甘んじているとは、いったいどういうことでしょうか」

巨人は悲しそうに首を振った。

そのとき、怒鳴り声が聞こえた。「お前たちなにをしている! チビどもめ! こんなところでサボりおって、目を離すとすぐにこれだ! このチビどもめ!」

目を向けると、髭を生やした小男が、杖を振り回しながら、喚いているのだった。

巨人たちはただちに立ち上がり、建材の運搬に取り掛かった。小男が巨人たちを杖でせっつくと再び隊列は動き出し、山の上に消えていった。

私は小男に近づいた。「あの巨人たちの所有者の方ですか?」

小男は鼻を鳴らした。「いかにも」

「先ほどからあなたの様子を拝見しておりましたが、あなたがあの巨人たちを『チビ』と呼んでいるのはどうしてでしょうか」

「それは昔からそう決まっているのだ」

「昔からというと?」

「大昔、私たちの国で、身長 170 センチ以下には人権がないという掟が定められたのだ。そこで、身長 170 センチ以下の人々は人権を奪われ、私たちの先祖の奴隷となったのだ。しかし、厳しい労働が原因となったものであろうか、あれら『チビ』どもはぐんぐんと大きくなり、今ではあのような巨人となったのだ。だが、我々は昔からの名残で彼らを『チビ』と呼んでいるのだ」

私は小男を見た。彼は私よりも小さく、どう見ても 170 センチはなかった。「では、今のあなたには人権はあるのでしょうか」

男は「掟ができたときにご先祖様が身長 170 以上であったことは少なくとも確かだ」と胸を張った。

これを聞くと私はあわてて逃げ出した。自分の時代に帰る前に、170 センチに足りないせいで奴隷にされてはかなわない。

苦い文学

たったひとつの変わらないもの

この世界に永遠の存在などあるのだろうか。時を超越し、過去も現在も未来も同一で、年もとらなければ、消滅すらしない存在が。

多くの人々がそうした存在を探すために貴重な人生を浪費した。だが、長い放浪のあげく出会ったのは、虚しくも「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」の一文のみ。

永遠を誓った愛も、死が分つのを待たずして離婚届を出し、真情を不滅に刻んだはずの刺青も寄る年波には勝たれず皺に覆われる。こんな世界ではそもそも永遠なる存在などありえないのだ。

だが、永遠に取り憑かれた探究者たちは、この考えを否定する。もしそうならば、人間とは万物流転の挽臼にすり潰されるだけの存在になってしまうではないか、と反論するのだ。人間はそれ以上のなにかだ、というのが彼らの見解だ。

「すでにこの世界に永遠の存在がいることは明らかなのだ。我々はもう見つけた。ただ、それに行き着く方法がわからないだけなのだ」

永遠の探究者たちは「これがその証拠だ」と、一枚の紙を見せる。その紙には「重要指名手配犯」と書かれ、何人かの顔写真が掲載されている。

「これらの人々を見たまえ。永遠に歳を取らないこれらの存在を。彼らはまさに過去・現在・未来を行き来する時の旅人。彼らこそ永遠の存在でなくてなんだろうか」

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心のエコノミークラス症候群

心のエコノミークラス症候群の予防を心がけましょう。

【心のエコノミークラス症候群とは】
教養や判断力、思いやりが十分にない状態で、安っぽい本を長時間、大量に消費すると、精神の滞留が生じ、心が凝り固まりやすくなります。その結果、悪性の凝り固まり(心の血栓)が意識の健やかな流れを阻害し、想像力・批判力の欠乏を招き、重篤な反知性主義、陰謀論、危険なヘイトスピーチを誘発する恐れがあります。

【予防のために心がけると良いこと】
 予防のためには、以下の行為を行いましょう。

(1)ユダヤ人が世界を支配しているという類の本は買わない。陰謀論だから。また、ユダヤ人富豪を持ち上げている類の本も買わない。これも逆の陰謀論だから。
(2)コーチングなどの疑似科学には手を出さない。また、不安を煽り、弱みにつけ込むタイトルの本は極力控える。
(3)これらの本を読むくらいならば、軽い体操やストレッチ運動を行うほうがはるかにマシ。
(4)「マスコミの報じない真実」という類の本は手に取らない。真実が書かれているためしがないから。
(5)それでもこの世界の真実が知りたいのならば、この世には次の言葉以上にいつも真実である言葉はないことを知るべき。
(6)こまめに水分を取る。

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ごめんなさい

今回の不祥事に関する謝罪会見に先立ち、まず「ごめんなさい」「すみません」について申し上げたく存じます。

日本語では主語というものがありまして、たとえば「私が食べる」ならば、食べるのは私で、この「私」が主語となります。「私が悲しい」も同じで、主語は「私」です。このように、「が」がつくと主語となるのですが、少しお考えいただきたいのです。「ごめんなさい」「すみません」の主語はなんなのかと。

「私がごめんなさい」という人はいるでしょうか。「私がすいません」など聞いたことはありません。いや、もしこんなふうに言ったとしたら、むしろ「そうです、私が変なおじさんです」の感じに似てきて、さらなる謝罪に追い込まれる可能性もあるのではないでしょうか。

そうです、私の知るかぎり「私がごめんなさい」などという言い方はないのです。

人は謝罪を求めるときに、どこの誰ともわからない人からの謝罪を望んでいるのではありません。責任を持つ特定の誰かからの謝罪を求めているのです。

ところが、「ごめんなさい」と「すいません」ではその大事な責任者を表すことができません。ですので、このような言葉を用いて、謝罪を行うのはじつに無責任ではないかと考えています。

なるほど「私こそごめんなさい」「私が悪かった」ならいいかもしれませんが、私としては「ごめんなさい」と「すいません」の問題が解決するまでは、誠意のある謝罪は不可能であると考えております。したがいまして、予定していた謝罪会見は見送らせていただきたく、あしからずご了承ください。

苦い文学

心の時代

かつての日本はエコノミック・アニマルと揶揄されたように、経済一辺倒で、人間性など省みる余裕はなかった。

しかし、社会が成熟するにつれて、経済効率主義に対する批判がなされるようになり、同時に心や人間性というものが見直されるようになった。

そして、いまや心の時代が到来したといってもいいくらいだ。これまで経済的な観点からは解決できなかった問題も、心という観点から取り組めば実に簡単に解決することがわかったのだ。

たとえば我が国を高齢化だといって批判する人がいるが、そうした人は、心が若い人は何歳だろうと高齢者とはいえないことを知らないのだろうか。心の年齢を考えれば、我が国はまだ生まれたてなのである。

また、中国経済の発展や韓国の影響力の拡大を見て、我が国を非難する人もいる。我が国の経済的地位が低下し、社会が貧しくなっているというのだ。だが、そうした人は我が国の国民の心が世界一豊かであるという事実を故意に無視しているのである。

さらに、我が国の女性の地位が低いなどと言いがかりをつける人がいる。そうした人々は、我が国の女性議員の割合が他国に比べて低いことを証拠として挙げるのだが、実に不当なことだ。

というのも我が国の国会議員の半数以上は心が女性だとしたらどうだろうか。それでもそんな批判ができるものだろうか。むしろ女性のほうが多いくらいだというのに。

実際、我が国ほど男女の平等が進んでいる国はないのである。

苦い文学

それ

5年ほど前のことだ。秋葉原駅で、山手線から総武線のホームに向かう人の流れに乗って歩いていると、うっかり前の人の靴の踵部分に、自分の靴の先を引っ掛けてしまった。

一瞬「悪いことした」と感じ、謝りたいと思ったが、踏まれた相手は前をずんずん歩いているし、そもそも、この人の流れの中で相手を引き止めることなどありえない。そんなふうに考えていたら、その「被害者」そのものを人ごみの中で見失ってしまった。

そして、昨日、私はやはり秋葉原駅の人の流れの中にいたのだが、不意に自分の足の踵を誰かに踏まれた。それはほんの一瞬のことだったが、それでも私にはわかった。

「これだ。まぎれもなく私のだ」

5年前、私が靴を引っ掛けた人は、その後、今度は別の人の靴を引っ掛けたにちがいない。そして、その人がまた別の人、さらにその人が別の人というように、まるでバトンのように引き継がれ、とうとう私のもとに帰ってきたのだ。私は思わず歓声を上げた。そして、それはまだ私とともにいる。

いつかの日か、自分のもとに帰ってきたそれを、誰か別の人に渡すときが来るだろう。それは長い旅のすえ私のもとに再び戻ってくるかもしれない。あるいはその前に私がくたばることだってありうる。

たとえそうでも、私のそれは、混雑というものがある限り、人から人へと渡り歩いていくことだろう。

苦い文学

新たなナチスたち

ロシアによれば、ナチズムとファシズムが世界を覆っているのだという。

そして、これらの邪悪な勢力が滅ぼそうとしているのがロシアだ。だが、この恐ろしい脅威を前にして黙っているようなプーチン大統領ではなかった。敢然と立ち向かい、反撃を開始したのだ。中国をはじめとする勇気ある国々も味方についた。今現在、ロシアは勝利を目指して戦い続けている。

いっぽう、ナチズムとファシズムに立つ邪悪な陣営はといえばどうだろうか。これらの国々は汚れた手を握り合い、ウクライナに不正な支援を続け、ロシアを脅かしている。

しかるに、先日、これら悪の陣営のナチスたちが、我が国に集い、会合を行なったというではないか。世界支配への野望をむき出しにしながら、岸田首相と原爆資料館を訪れたり、お好み焼きを食べたりしたのだという。

私はこのときまでまったく気がつかなかったが、我々も実はナチスだったのだ。お好み焼きも広島風ではなく、ナチス風だったのだ。

ただ、昔と違って、今のナチスはずいぶん良くなったという印象だ。いや、むしろナチスのほうがずっといい。