苦い文学

病なき世界

それほど遠くはない将来、私たちの社会から病気というものが一掃されるだろう。

風邪も、腰痛も、水虫もなくなる。もちろん、我々がこれらの病に罹患しないというわけではない。私たちの体内に組み込まれた人工的なメカニズムが、私たちが気がつく前にそれらの病を抑え込んでしまうのだ。

風邪もないのでその世界では咳は存在しない。鼻炎もないから、鼻をすすると「なんの音だ」と周りに人がわらわら集まってくる。そんな音を聞いたことがないのだ。

もしかりに誰かが痰を吐いたとしよう。世紀のニュースだ。まるで日本オオカミが見つかったみたいな騒ぎだ。痰を見ようと日本中から人がやってくる。列を作って並んでる。それだけじゃない、痰を吐いた人のほうも、あっちこっちのイベントで痰を吐いてくれと声がかかる。もうひっぱりだこだ。

「ぜひ明日、フードコートで、痰のほうを、ひとつぜひ……お願いできませんかね」

「いえ、申し訳ありませんが、明日は皇室の晩餐会で、痰吐きを披露する予定でして……」

苦い文学

万引き

お店に入って商品を選び、小脇に挟んで別の商品を探すが、気に入ったものがないので、そのままお店を出てしまうことがある。

このとき、小脇に挟んだ商品のことはすっかり忘れているのだ。店から一歩二歩踏みだしたとたんに、あっと気がついて慌てて戻ることとなる。

下手をすれば万引きになるところだが、興味深いのは、店の人も、そして、おそらくは店内のどこかで目を光らせているに違いない万引きGメンも、これに気がつかないことだ。

おそらく万引きをした人はその態度に不審な点がどこかしら現れるもので、それは経験を積んだ店員や警備員にはかなりはっきり見えるのだろう。だが、私のように自分が万引きしつつあることに気がついていない場合は、そうした手がかりがないため、たとえ未精算の商品が脇に挟まれていたとしても、うっかり見過ごされてしまうということになる。

となると、自分の意識をコントロールして、自分が万引きをしているということに気がつかない状態に持っていくことができれば、どんな万引きも可能になるのではないだろうか。

私がメディテーションの修行に打ち込むようになったのもこうした理由からだ。いずれ、万引き自由自在の術を身につけ、カーディーラーから新車をごっそり万引きしてみたいと思っている。

苦い文学

試練

人生の試練は何のために与えられるのでしょうか。

それは、私たちがその試練によって成長するためです。

苦しい病にかかった人は、治った時には病人の気持ちがわかる人間に成長していることでしょう。

仕事がない、お金がない、そんな逆境にある人は、ふとかけられた優しい言葉から人の温もりを知ることでしょう。その人はいつか逆境を抜け出た時、かつての自分と同じような状況にある人々に手を差し伸べるはずです。

悲しみ、孤独はどうでしょうか。その苦しみを深く経験した人は、必ずや、悲しみに沈む人、孤独に悩む人のそばに寄り添い、その肩にそっと手を置くことでしょう。

この世界に起きるすべてのことに意味があります。試練は本当は試練ではない。それはチャンスです。私たちの経験を深める機会、それを活かす道を悟らせてくれる機会なのです。

こう言いますと、生まれてこのかた、次から次へと試練の連続で、それを活かす機会がいっこうにやってこないという人もいるではないか、と主張する方もあるかもしれません。いわば、若い時から買い集めた苦労の使い道がいつまでたっても見つからぬというわけです。

そうした人にとっては、残念ながら、試練とは骨折り損のくたびれ儲けにほかならないのですが、もちろん、例外として無視してかまいません。

苦い文学

脇が甘い

喫茶店で友人と話していて、最近のニュースの話題になった。

大学駅伝の監督が陸上部の学生と不倫していたというのだ。友人はさも呆れたというふうに言った。

「いや、駅伝の選考会を控えて、こんなことをしでかすとは脇が甘いの一言に尽きるよ」

「脇が甘い?」 私は思わず言い返した。「うーん、最近よくそう言う人がいるけど、ちょっと使い方おかしくない?」

「いや、油断してたってこと」

「たとえば勝負事していてうっかり相手にしてやられたり、大事な書類を人目につくところにおいといて紛失したりするのを、『脇が甘い』ってのならわかるけど、これは違うでしょ。不倫して学生に手を出してる。脇が甘いのどうのという問題じゃない。倫理の問題だ」

「しかし、監督という立場にしてはたるんでるんじゃない」

「それはそうだけど、つまり」と私は携帯の辞書を引いた。「脇が甘い、というのは『用心が足らないために,つけこまれやすい』とある。立場を利用して学生をいいようにするのがつけ込まれやすい? これじゃまるで学生がつけ込んだみたいじゃないか。そもそも、用心が足らない、というのは、バレなければいいってことかな。脇が甘い不倫をしてたから記者につけ込まれた? そうじゃないと思う。脇が甘かろうがなんだろうが、指導者が学生と付き合うのはルール違反だ」

私がこういうと、友人は怒り出した。「わかった、こい! その屁理屈が正しいかどうか、確認しようじゃないか」

彼は私は引っ立てると外に出てズンズン歩いていった。

「どこ行くんだよ!」

そしてしばらくのち……

私たちは件の不倫監督の家にいた。私たちが報道関係者でない真面目な学究だと知ると、監督はドアから顔を出した。「これこれこういうことで、私たちの間に論争が勃発し、ガザ地区並みに手に負えない状況となっているのです」と友人は説明した。

「そこで、つきましては、監督の脇を舐めさせていただけないでしょうか……甘いか、しょっぱいか……すっぱいか……」

苦い文学

猫背物語

通勤時に通り抜ける公園で、若い女性がひとり座っているのを見かけた。思い詰めたようすで、私は放っておけないような気がした。

思いきって話しかけてみると、意外に素直な返事をしてくれた。短いやり取りののち、彼女が話したのはこんな身の上話だった。


父が病に倒れたのは、私が中学生のころ。それから3年間の闘病が始まった。

病気というのは、頚椎の異常で、椎間板が神経を圧迫して全身が麻痺して。身体中が痛くて、苦しんでた。

お医者さんの話では、姿勢が悪いのが原因で、猫背を治すほか治療法はないって言われて。

それで父も猫背を治そうといろんな治療法を試したけど、それこそ、アヤシいのも含めてね、でもよくならなくて、日に日に弱っていった。

とうとう入院しちゃって。もう痩せちゃって見ただけで涙が出てくる。お父さんは何にも言わずにただ病室から外を眺めてた。

それで、もう本当に危ないってときが来て、お父さん、泣きながら、お医者さんにこう言った。

「先生、猫背が治らないのなら、せめて私を猫にしてください」

そう言って、窓を指差して。

「最後に、最後だけは、あの外にいる猫みたいに自由に歩き回り、のびのびと暮らしたいのです……」


彼女はこう話すと涙を流した。

「ごめんなさい。泣くなんて……」

私は少し慌てて「いいえ、そんなこと……でも、つらいですね。家族が亡くなると」

彼女は意外そうに言った。「えっ、違います、父は元気ですよ」

「あ、すいません。いや、てっきり……」

彼女はカバンから猫缶を取り出すと、開けて地面に置いた。すると、大きな猫が1匹、草むらから姿を現し、のそのそと歩いてきた。

「お父さん、この人、さっき知り合いになった人」

大きな猫は私をみると全身の毛を逆立て、背中を丸め「フーッ」と威嚇した。見事な猫背だった。

苦い文学

絶望した人々を救え!

競争社会の厳しさと経済格差の拡大により、自己肯定感を失い絶望している人々の存在に心を痛めた大富豪は、財団の研究員たちに対策を練るように命じた。

研究員たちは、完成か死かという壮絶な決意をもって研究に臨み、数ヶ月後、大富豪のもとに小さなイヤホンを持ってやってきた。

「自信を失い絶望した人々は、この装置で、自分が人生の中心だという自信を獲得するでしょう」

大富豪はなんでもまっさきに研究成果を試さずにはいられなかったから、研究員からイヤホンを奪って装着した。

たちまち大歓声が大富豪を圧倒した。まるでドームのステージにいるような臨場感だ。大富豪は数歩あるいた。すると、数万の観客たちが大喝采を送った。

そばにある椅子に座る。大きな拍手が湧き起こる。会場は大盛り上がりだ。

大富豪は思わず口走った。「ありがとう!」

ヒューヒュー! ピーッ! 観客たちは歓声と口笛で応じる。

「サンキュー!」 なぜか英語も飛び出た。割れんばかりの拍手!

大富豪はだんだん生き生きとしてきた。何万人ものファンが応援してくれているという、絶対的な肯定感が大富豪を若返らせたのだった。

大富豪は思わず飛び上がり、走り回った。この世で誰も見たことのないダンスを踊り、誰も聴いたことのない歌を歌った。ファンたちは熱狂し、ドームのボルテージは最高潮に達した。

研究員たちは大富豪がこれほど機敏に動き、顔を輝かし、楽しそうにしているのを見るのははじめてであった。「成功だ」と誰もが確信した。

大富豪はさすがに疲労し、椅子に腰掛けた。だが、すぐに立ち上がり、猛烈に体を動かし始めた。しまいには、ふらふらになってぶっ倒れた。

「おかしいぞ」 研究員たちは大富豪のそばに駆け寄った。だが、大富豪は研究員たちを振り払い、よろめきながら立ち、ふたたびあの過激なパフォーマンスを始めた。何度倒れても、そのたびに立ち上がるのだった。

「いかん!」 研究員たちは慌ててコンピュータでイヤホンの音声をモニターした。すると、スピーカーからこんな音声が流れてきた。

「アンコール! アンコール! アンコール!」 倒れた大富豪は体を痙攣させて、必死に立ちあがろうとしていた。

研究員たちは大富豪に飛びかかり、イヤホンをひったくった。

大富豪は虫の息で ICU に担ぎ込まれた。研究員たちは、その夜、お祝いをかねて、そろってライブに行く予定だったが、やむなく中止となった。

苦い文学

祟り

「日本にはアニメや漫画など世界に誇る優秀なコンテンツがありますが、それ以外にもまだたくさんあるのです。今、私たちが注目しているのは祟りです」と代表の梅田祟さんは語ります。

「祟りには、神によるものと、人によるものがありますが、私たちが関心があるのは、後者のほう、つまり、人の恨みが生み出す祟りです。この祟りがこれからの世界で求められると考えています」

梅田さんが示したスライドでは、赤く塗られた日本から、祟りの矢印がアメリカ、中国、ヨーロッパ、アフリカへと向かって伸びていきます。

「というのは、今後、世界各国で、戦争による虐殺、処刑、虐待死、無実の死が大幅に増えると予測されているからです。こうした非業の死を遂げた人々にとって、死の直後から効率的に恨みを晴らすことが大事ですが、日本の祟りならそのニーズに応えられると考えています。

梅田さんはスライドで「祟りのグローバル化」というキャッチフレーズを提示します。

「非業の死のトレンドの強い国・地域では、もしもの時のために『祟りたい』というニーズがますます高まっていくものと予測されています。こうした国を出発点に、世界各国の市場で『祟り』を積極的に売り込んでいこうではないか、というのが私たちの考えです」

スライドでは、世界各国で戦火がメラメラと燃え上がり、無数の人々の命が奪われ、苦悶の叫びが聞こえ、子どもたちの泣き声が響き……

苦い文学

無謀な買い物

この季節、十分な計画を立てずに、軽装で極寒のスーパーに買い物に出発したため、命を落とす事故がたびたび発生します。安全に買い物を行い、無事に生還するためには、事前の準備がなんといっても大事です。

基本中の基本ですが、まず献立を決め、そのために何を買わねばならないかをリストアップしましょう。そして、次にすべきはルートの策定です。事前に店内の売り場の配置を十分に調べた上で、どのようなルートを取れば安全にレジに到達できるかを、あらかじめ研究しておかねばなりません。

さらに、装備にも万全を期す必要があります。半袖・半ズボンなどもってのほか、必ず防寒具を用意しましょう。可能ならば携帯のほかに GPS 機能つきの通信機があると安心です。

もちろん、当初の予定通りに買い物が進めば、これらの装備は無用と言えるかもしれません。

ですが、もしレタスが売り切れていたら? お気に入りの味噌が商品入れ替えでなくなっていたら? 変わりやすいスーパーの様子に翻弄されて、うっかりルートを外れでもしたら、遭難の危険はぐんと高まります。常に最悪を想定して準備しましょう。

遭難した場合は、無闇に動き回るのは禁物です。救助要請が可能ならば、落ち着いて連絡し、「納豆売り場」「豚しゃぶ肉のコーナー」などとしっかり場所を伝えましょう。冷蔵ケースから吹き出す冷気から身を守るために、防寒具を着用し、ビバークテントの中で体力の温存に努めましょう。

また体力の消耗を防ぐために、水と予備の食料を携行しましょう。決して、精算前の食品に手をつけぬように!

苦い文学

美熟女の罠

繁華街の電柱や壁にこんなポスターが貼られているのをみたことがありませんか。

「男性募集! お金持ちの美熟女の簡単なサポート。高収入保証」

なんとなく怪しいですね。でも、もし本当だったら……そう思うといても立ってもいられず、電話をかけてしまいました。

すると、女性が出て、すぐに来てほしいというではありませんか。その女性に言われた通りに歩いていくと古びた屋敷に辿りつきました。

インターフォンを鳴らし「サポートに参りました」というと、門が開きます。その先にある玄関の扉を叩くと、扉が開き、40代ぐらいのものすごく美しい女性が現れるではありませんか。

その人は私を家の中に入れ、薄暗い客間にまで連れてくると、いきなり抱きついてきたのです。

「これはずいぶん簡単なサポートだ」と思いましたね。

ですが、そのとき、玄関がけたたましい音を立てて開きました。なにごとかと思うと、男が怒鳴るのが聞こえ、ドタドタと足音が近づいてきます。「夫が帰ってきた!」と私は慌て、逃げようとしましたが、女性は私を離しません。恐ろしい強さで締めつけてくるのです。

男はついに私たちのところにまでやってきて、私の首根っこを掴むと、女性から引き離し、床に投げつけました。そして、手に持っていた棒で女を一発打ちました。

すると、女性はたちまち1匹の大きなヒキガエルとなり、床に落ちてひっくり返ったのでした。

彼は言いました。

「危ないところだったぞ。もし私があのポスターを見ている君に気がつかなかったら、君はこのヒキガエルの餌食となるところだったのだ」

聞けばあのポスターは、カエルやヘビ、クモなどの化け物が、人間をとらえる罠として活用している場合もあるとのことです。「注意しろ」とその人(なんでも化け物を退治している人だとのこと)は言ったのですが、ちょっともったいなかったような気もしていますね。

苦い文学

贖罪のグルメ(2)

「ああ、コロナが私たちの生活をすっかり変えてしまったのです! もちろんご存知でしょうが、コロナ禍では外食はできず、出前サービスが大流行りとなりました。あなた、使ったことはありますか?」

「いえ、出前にお金を払うなんて、そんな余裕はありませんでした」

「そう、それが普通なのです。ですが、富裕層は普通ではないのです」

「ええ、うらやましいかぎりです」

「ですが、どうでしょう。富裕層の中にこう豪語する者がいたとしたら? 『もう店で食べるなんて貧乏くさくて!』 そこまで思い上がってしまったのです。なかには店の主人に向かってこう言ってのける者すらいました。『店に食べにくる貧乏人どもの相手なんかやめて、デリバリー専門にしろよ!』と」

「それはすこしいい過ぎだと思いますが、いろいろな価値観があってもいいでしょう」

「ええ、ですが、問題はですね、富裕層のなかにはコロナ禍の変化についていけず、零落する者もいた、ということなのです。もう出前サービスを利用できないほどに落ちぶれてしまった! そして、コロナが終わり、外食が解禁となったいま、これらの人々に店で食べる資格はあるでしょうか。いや、ないのです」

「それで、あの人は自らの高慢の罪を償い、赦しを乞うているのですね」

「ええ、そうです。自分が裏切った店を、一軒一軒まわっているのです」

(店員がモップで床を拭き始め、濡れた客を追い立てて店外に出す。そのときチキンカツが運ばれてくる)

おっ、うまそうじゃないか。これは正解。まずはソースを……

(そのとき、隣の客が話しかけてくる)

「じつにおいしそうなチキンカツですな。サクサクころもに、パリッとした皮! あふれる肉汁! ああ、私にも味わうことができたなら! 出前サービスがひっきりなしに出入りしていたあの栄耀栄華を思うにつけ……ああ!」

(そういうと、隣の客、涙を流しながら、割り箸で自分の頭を叩き始める。よく見ると足元は折れた割り箸でいっぱいで……)