風刺・戯文

80 歳からの NISA

NISA を始めるときに大事なのは、年齢だと思っていませんか? そんなことはありません。80 代からでも大丈夫!

「でも、その年じゃ、運用期間、短くない? それに、退職金ももうないんです!」

だから大丈夫ですって! 80 歳からでも、90 歳からでも、しっかり運用できる秘訣、あります!

それが「新 NISA コールドスリープ・プラン 3025」

コールドスリープとは「人体を低温状態に保つことで老化を遅らせる」こと。

「なーんだ、SF とかの夢物語じゃないか」

ちょ、ちょっと待ってください。最近、人気女性音楽グループが挑戦したことでも話題になったように、じつはこの技術、実用化されていたんです。

このコールドスリープと NISA を組み合わせたのが「新 NISA コールドスリープ・プラン 3025」。話は簡単です。あなたがコールドスリープ状態で 1,000 年寝ている間に、積み立て NISA がすごいことに!

私たちの試算によれば、目覚めたあなたは、控えめに言っても億万長者。もちろん、コールドスリープにかかる諸費用を差し引いてもです!

さあ、今すぐ「新 NISA コールドスリープ・プラン 3025」にお申し込みを!

【申し込み特典】
今なら 1,000 年の上質な眠りを約束する高級ピローをもれなくプレゼント!

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苦い文学

アウシュヴィッツ訪問(5)

バスは予定通り1時間半後にアウシュヴィッツ博物館に到着した。博物館の前は大きなパーキングエリアになっていて、ツアーバスが何台も止まっている。もうたくさんの人が集まっている。

トイレとロッカーのある建物があった。博物館には大きな荷物は持ち込めないので、ここで預けなくてはならない。 事前に送られてきたメールには 33 センチ x 25 センチ x 15 センチより大きな荷物はダメだと書いてあった。

これで大きさをイメージできる人はいいが、私にはわからない。自分の普通の大きさのリュックが大丈夫なのかわからず、周りの人の荷物をみて、一喜一憂する。結局は問題はなかった。

さて、個人の参加者はどこでどうすればいいかもわからない。メールには「博物館のレセプション・ビルに、集合時間30分前に入るように」と書かれている。しかし、博物館の入り口は人が並んでいて簡単には入れそうにない。

そこで、外にいるスタッフの人に聞くと、どんどん入って中で待ってくださいという。博物館の入り口に集っている人は、おそらく団体で、団体なりの理由によって待っているだけのもようだ。

そこで、博物館の中に入っていく。セキュリティ・チェックがあり、そこの人にメールで送られてきたエントリー・パスを見せ、入場した。

(画像はアウシュビッツ行きのバス)

苦い文学

贖罪のグルメ(2)

「ああ、コロナが私たちの生活をすっかり変えてしまったのです! もちろんご存知でしょうが、コロナ禍では外食はできず、出前サービスが大流行りとなりました。あなた、使ったことはありますか?」

「いえ、出前にお金を払うなんて、そんな余裕はありませんでした」

「そう、それが普通なのです。ですが、富裕層は普通ではないのです」

「ええ、うらやましいかぎりです」

「ですが、どうでしょう。富裕層の中にこう豪語する者がいたとしたら? 『もう店で食べるなんて貧乏くさくて!』 そこまで思い上がってしまったのです。なかには店の主人に向かってこう言ってのける者すらいました。『店に食べにくる貧乏人どもの相手なんかやめて、デリバリー専門にしろよ!』と」

「それはすこしいい過ぎだと思いますが、いろいろな価値観があってもいいでしょう」

「ええ、ですが、問題はですね、富裕層のなかにはコロナ禍の変化についていけず、零落する者もいた、ということなのです。もう出前サービスを利用できないほどに落ちぶれてしまった! そして、コロナが終わり、外食が解禁となったいま、これらの人々に店で食べる資格はあるでしょうか。いや、ないのです」

「それで、あの人は自らの高慢の罪を償い、赦しを乞うているのですね」

「ええ、そうです。自分が裏切った店を、一軒一軒まわっているのです」

(店員がモップで床を拭き始め、濡れた客を追い立てて店外に出す。そのときチキンカツが運ばれてくる)

おっ、うまそうじゃないか。これは正解。まずはソースを……

(そのとき、隣の客が話しかけてくる)

「じつにおいしそうなチキンカツですな。サクサクころもに、パリッとした皮! あふれる肉汁! ああ、私にも味わうことができたなら! 出前サービスがひっきりなしに出入りしていたあの栄耀栄華を思うにつけ……ああ!」

(そういうと、隣の客、涙を流しながら、割り箸で自分の頭を叩き始める。よく見ると足元は折れた割り箸でいっぱいで……)

苦い文学

「になります」

飲食店などで「(こちらが)カルボナーラになります」を「バイト敬語」として、日本語の間違いだという人がいる。

「なる」は「変化」を表すから「持ってきたものがカルボナーラに変化した」というのはおかしいと言うのだ。

だが、そうした人でも「ご馳走になりました」と言わないわけではあるまい。その人が「ご馳走」に変化したわけではないにもかかわらずだ。

おそらく「なる」は「変化」というより「成立」と考えたほうがいいかもしれない。「ある人が大人になる」は「ある人が大人に変化した」というよりも「ある人が大人だ」という事態が成立したと、考えるのだ。

「なる」がこのように事態の成立を表すとすれば、さらに「認識の成立」をも表しうる、と考えたらどうだろうか。

その例が「(こちらが)カルボナーラになります」で、ここでは「(この料理が)カルボナーラであるという認識が(当店では)成立しております」と解釈できよう。

これは店側の認識を伝えることで、客の反応を待っている状態だ。すなわち「差し出された料理がカルボナーラであるかどうか決めるのは最終的に客側である」と断定する権利を客に委ねているのだ。

ところで「カルボナーラになります」はダメだ、「カルボナーラでございます」にしなさい、という人がいるが、断定するかしないかでは大きな違いがある。

「こちらがカルボナーラでございます」と言った場合、店側が「カルボナーラだ」ともう断定してしまっているわけで、客はただその断定を受け入れるしかない。その点では、「客に店側の主張の受け入れを強いる」というニュアンスが生じてしまうので、接客の現場ではそれが違和感をもって感じられるのではないだろうか。

もうひとつ大事なのは「(こちらが)カルボナーラになります」は決して「(こちらが)カルボナーラになりました」とはならないことだ。これでは認識がもう成立してしまったこと、つまりやはり断定になってしまうので、結果として店の主張の受け入れを客に強いることになってしまうためだろう。