風刺・戯文

熊の知性化

私たちの国では、いつの頃からか、熊が人里に現れ、人々を襲うようになりました。多くの人はこの危険で凶暴な獣を駆除すべきだと主張しました。ですが、熊はそもそも危険で凶暴なのですから、これは熊を絶滅させろといっているようなものです。

そこで、熊の駆除に反対する人々はこう言いました。そもそも熊を人間世界に慣らしたのは人間なのだから、熊を絶滅させるなどとはあまりに一方的ではないか、と。すると、駆除すべき派の人々は激昂しながら「では、熊に殺される人を見殺しにするのか」と言い返すのでした。

プリン博士という方が私たちの国にやってきたのは、そんなときでした。プリン博士は「もはや熊を殺す必要などないし、人も熊に殺されはしないだろう」と両派に向かって訴えました。「なぜなら、私のテクノロジーを使えば、熊に人間並の知性を与えることができるからだ。そうすれば、熊に言い聞かせるなど簡単だ」 反対するものはひとりもいませんでした。

この時から熊の知性化プロジェクトが始まりました。プリン博士の必死の努力の結果、ついに熊たちは人間並の知性を持つにいたったのでした。

熊たちは今や人間と同じように考え、感じることができるようになりました。そこで、人間はこう命じました。

「熊たちよ、人間を襲うのをやめよ」

すると熊たちはこう言いました。

「お前らに指図される筋合いはない。ガオー」

この日から、人間と熊の戦争が始まり、数え切れないほどの人が犠牲になっています。

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苦い文学

Say Sue Me と Homecomings

Say Sue Me は韓国は釜山出身のインディーバンドで、現在は世界的に活躍しているバンドだ。だが、インディーバンドの世界的活躍といっても、aespa や Stray Kids などの K-POP スターとはちがい、規模も動員数もたかがしれている。そんなわけで、昨日(10 月 25 日)、渋谷 CLUB QUATTRO で行われた日本ツアーの初日、私は最前列で演奏を楽しむことができた。

オープニングアクトは、Homecomings で、私は名前を知る程度だったが、ギターの音もいいし、演奏もかなり決まっていてよかった。9月にミツメのライブにはじめて行って、次にライブがあったらまた行くぞと思っていた数日後に活動休止の知らせを受けた心の傷を十分に癒してくれた。

Say Sue Me は Homecomings に比べるとシンプルで、わかりやすいギターのリフと肩肘張らない演奏で、楽しい。コード進行もおそらくそれほど複雑ではないが、その分、過去のいろいろな洋楽もかすかに聞こえるようで、これも楽しい。

未発表曲も演奏したが、これは来年出すつもりのようで、観客に「何月に出したらいいですか」などと日本語で聞いていて、「5月!」とか「8月!」とかのやり取りもあった。

アンコール後に、去年出た「Mind Is Light」をやってくれたが、これは後半の演奏がとてもよいので楽しみにしていた曲だ。

2022 年 12 月の来日時もそうだったが、終演後はグッズを買うと、サインをしてくれる。前回はTシャツだったが、今回は、ポスターにサインしてもらった。

苦い文学

持論依存症

この世界でもっとも強靭なものといえば持論だろう。ダイヤモンドよりも硬いのだ。

それもそのはずだ。持論はカチコチに凝り固まった頭の中だけで生成される特殊な鉱物だからだ。

この鉱物が干からびた頭の中でぶつかって発する音声が持論だ。転じてこの鉱物の名称ともなった。

持論が頭の中で鳴り響くと、ある種の快楽物質が発生する。持論依存者が陶酔したようすで持論を語るのはこのせいだ。「持論を開陳する」とか「持論を展開する」とかの病状が現れる。

さらに持論の鉱物が大きくなり、依存度が増すと、「一方的に持論をぶちまける」とか「持論をまくし立てる」とか、そういう困った状態になる。ここまでくるともう治療が必要だ。

だが、治療を受けずに、持論依存が進行すると、対話や議論によって持論を発展させたり、修正したりすることはもはやできなくなる。硬直化した頭にはもはや他人の意見など入り込む余地はないからだ。

そのため、持論依存症患者の展開する持論は、非現実的で、他者への配慮を欠いたものになりがちだ。結果として、持論依存症患者が、世間から厳しい批判にさらされることになることも多い。炎上騒ぎもザラだ。

患者が立場のある人の場合、持論について釈明会見を強いられることもある。だが、その場で謝罪したり、持論を撤回するどころか、かえって滔々と持論を述べる場にしてしまうのが、持論依存症の恐ろしいところだ。

この状態になると、依存症患者の頭の中で音を立てている鉱物としての持論は、最高の強度を持つようになる。さまざまなハイテク産業で需要のある鉱物なので、これらの依存症患者の頭をかち割って、鉱物だけを取り出して売ると、けっこういい値がつく。

苦い文学

富を天に積みなさい

ルカの福音書(12章33節)にこう書いてある。

「自分の持ち物を売り払って施しなさい。擦り切れることのない財布を作り、尽きることのない富を天に積みなさい。そこは、盗人も近寄らず、虫も食い荒らさない。」

神を信じること篤き我が友が、もっとも愛した聖句だ。

そして、彼は、この言葉の通りに生きた。彼は、自分の生活のために必要なわずかな金額を除いて、手にした富をすべて貧しき人々の施しとしたのであった。

彼は家族もなく、家も財産もなかった。彼の喜びはただ一つ。これまでになした善行を振り返り、天に積んだ富の総額を数えることだけだった(彼には独自の帳簿があった)。

ああ、その富はいかばかりのものであったろうか。あまりにも多量の富ゆえに、擦り切れることのない財布もはち切れるのでは、と彼はいつも心配していた。

また、泥棒も虫も近づかないかわりに、その富を狙って怪しげな投資の誘いが来たらどうしよう、と彼には心休まる時もなかった。

そんな気苦労の多い人生を送った彼であったが、先日、天に召され、この世を去った。

そして、昨晩、その彼が私の枕元に立ったのである。

天に積んだ富で富裕層の仲間入りしたのかと思いきや、ひどく沈んだ顔つきだ。私は驚き、心を痛め、彼にその理由を問うた。

彼は悲痛な声で答えた。

「うう、円で積み立てたばかりに……」