散文

詐欺の本

Amazon で本を買うと、残念な思いをすることがある。古書を買ったら、表紙がなかったり、箱がなかったりする。それで返品手続きをすると「返金します。本は返送しないで処分してください」という返事が来た。

また、洋書を買うときも注意しなくてはいけない。ずいぶん以前の話だが、私の好きなアメリカ人作家の評論集のようなものが出ていたので、珍しいと思って購入した。届いたものを見たら、Wikipedia の関連記事のいくつかをプリントしてペーパーバックにしたものだった。

また、著作権の切れたような書籍をコピーして製本して販売しているケースもある。私は古い本を探すことがあるので、注意しないとそういうのに引っかかる。出版社のところに Independent publisher と書いてある場合は、たいていその手のものだ。

かねてから 5 万円する本に目をつけていたのだが、もちろん買えない。すると、Amazon で外国の書店が新品を 17000 円で売っているのを見つけた。すぐに注文したが、届いたのを見て、私は騙されたことに気がついた。

電子書籍(か pdf ファイル)をカラーで印刷して製本したものだった。だから、リンクの青い部分もそのまま印字されている。ハードカバーだが、5 万円する本には思えないほどデコボコしていて、私は昔インドで買った本を思い出した。

それで私は、このニセモノが作られた場所や、関わった人々の情景を想像したが、すぐに、機械で印刷から製本まで簡単にできるはずだということに気がついた。

返品手続きはこれからだが、どうなるかはわからない。

苦い文学

注文のむずいレストラン

その日、10人の空腹の「客」がとあるレストランに集められた。いずれも目隠しのまま拉致されてきたのだ。

「客」たちは、大きなテーブルに輪になって座らされた。目隠しを外される。豪華なレストラン、眩いばかりの光。なにが起きたのか、そして自分の身になにが起きるのか、「客」は無言のままあちこち見回して、ヒントを掴もうとするが、自分が餓死しそうだということ以外なにひとつわからない。

そこに、まるで洋画に出てくるような仮面をつけたウェイターが数名現れ、ひとりびとりの前にメニューを置いた。「客」たちは腹を鳴らしながら、メニューを開く。だが、そこにはなにも書かれていない。

「いったい、どうやって頼めばいいのか」

誰かがつぶやく。すると、再びウェイターがやってきてテーブルの中央に、丸い銀の蓋を被せられた大皿を置く。そして、ウェイターは無言で蓋を取り去った。

「タ、タブレットだ!」

大皿の中央に置かれていたタブレットを見て「客」たちはざわめく。「これだ!」 「これでしか注文できないのだ!」 ひとりの男がタブレットに手を伸ばす。だが、別の男がその手を払ってタブレットに飛びついた。それと同時に、他の客がいっせいに飛びかかった。乱闘が繰り広げられている間に、ひとりの女が隙を見てタブレットを奪う。と、別の女が殴りかかった。タブレットをめぐって「客」たちは殴り合い、蹴り合い、首を絞め合い、殺し合い……ウェイターたちは次々と死体を運び出していった。

そして、ひとりの血まみれの男が最後に残った。だが、彼もまた深手を負っていた。血を吐きながら、床に倒れる。タブレットが手から転げ落ちる。這いつくばりながら、男は必死になってタブレットに手を伸ばすが、その手は届かない。出血のため意識が混濁してきた男はウェイターが近づいてくるのをかすかに感じ取った。

「ちくしょう……」 男は皮肉な笑みを浮かべてウェイターに言った。「ざまねえや……もう注文もできやしない……せめて……カレーをひとつ……」

やがて、息絶えた男のもとに、カレーが運ばれてきた。

苦い文学

10分の1のやさしさ

私の祖父は若い頃は非常に苦労したようだが、懸命に働いて事業を大きくし、老境に入るころには、裕福な暮らしができるまでになった。

祖父は私が小学生のころ亡くなったため、それほど記憶があるわけではない。家も遠かったので、年に1度か2度しか会う機会もなかった。

わずかに思い出せるのは、祖父がこんなことをよく言っていたことだ。

「お金持ちや偉い人には精一杯やさしく接しなさい。お金を持っていない人や偉くない人には、その10分の1ぐらいのやさしさで十分だ」

どうしてこの言葉が記憶に残っているかというと、「お金を持っていない人や偉くない人」がかわいそうだと、子ども心にショックを受けたからだった。

その後、大きくなり、世界というものがやや見えてくると、祖父の言葉が残酷に思えてきた。「お金を持っていない人や偉くない人」にこそやさしくすべきではないだろうか? 「お金持ちや偉い人」などは放っておいたって誰かがやさしくしてくれるにちがいないのだから。

そして、私は社会に出て働きはじめ、何十年と経った。人生には浮き沈みがあるが、私の場合は沈みのほうが多いようだった。

そのせいか、私はいま、祖父の言葉を違うふうに理解できるようになった。

「10分の1」でも破格の多さなのだ。通常はゼロだ。

苦い文学

恋の魚

殺伐としたドラマは見たくないので、私は最近、韓国のドラマばかり見ている。

今まで見たのは、次の四つだ。

『キム秘書はいったい、なぜ』
『彼女はキレイだった』
『彼女の私生活』
『恋のゴールドメダル〜僕が恋したキム・ボクジュ』

知っている人ならばすぐに分かるが、最近の韓国のラブコメの代表作ばかりだ。

しかし、ラブコメとはどういうことだろうか。私が最後にラブコメに触れたのはいつのことだったろう……たしか小山田いくの『すくらっぷ・ブック』だったような……。私はキム秘書というよりもキム書記のほうであったし、キム・ボクジュよりも金達寿のほうであった。

それでも、人が串刺しにされたり八つ裂きにされたりするのを見るより、美男美女がいちゃいちゃするのを見るほうがはるかにマシだ。だが、慣れないものを一度にたくさん見たせいにちがいない。私の脳に奇怪な反応が生ずるにいたった。

あるテレビの番組を見ていたときのことだ。出演者が「イワシ、サバ、カツオ」と魚の名を列挙していたのだが、「サヨリ」の名が出たとき、私の脳裏に勃然と韓国ドラマの印象が湧き上がったのである。

これはなんだろうか。

しばしの熟考ののち謎は明らかになった。どうやら私に以下のような連想作用が働いたものらしい。

サヨリ>キス>韓国のラブコメ

もうドラマなど見るのを止めて、座禅にでも打ち込むか……