私が子どもだったころ、日本では人型ロボットが華々しく活躍し、人間を助け、悪を打ちのめしていた。鉄腕アトム、ドラえもん、鉄人28号、ロボコン、ロボット・カミイ……枚挙にいとまがないほどだ。そして、頭のいい人々は口々にこう言ったものだった。キリスト教文化では人間を創造できるのは神だけだから、欧米人には人型ロボットは作れないだろう、と。人型ロボットを開発できるのは日本人だけだと、日本中が考えていたのだった。
それから数十年たち、欧米と中国では人型ロボットの実用化が進んだ。ニュースを見ると、街角を普通に歩いているし、誰も気にも留めない。ところが、かつての「人型ロボット」大国だった日本では、ロボット開発など夢また夢、せいぜいレストランで配膳ロボットが動き回るぐらいだ。
この違いはどうして生じたのだろうか。私はやはり人間観が関係していると思う。少なくとも欧米では人間を大事にするから、人間にさせたくない仕事をさせるために人型ロボットが必要なのだ。だが、日本では、人間を大事にしないから、人型ロボットは必要ない。人間などいくら死んでも困らないからだ。
最近のニュースでは、日本人たちは、配膳ロボットの運ぶ高い肉をどうやって横取りするかに興味津々だという。そこまで人間の価値の下落した社会では、そのうち配膳ロボットの仕事も安い人間に奪われるだろう。