目を覚ましたころには、吉田も少年もいなかった。身支度をし、吉田の妻が用意してくれたパンとコーヒーの朝食をとっていると、吉田が戻ってきた。彼は頭を掻きむしりながら、困惑をあらわにした。
「じつに不可解なのです。昨晩から私は町中の友人たちから情報を集め、今も町を偵察に行ってきたのです。ですが、私にはまったく理解できないことが起きているようなのです」
「どういうことですか。さらに状況が悪化したということでしょうか」
「いや、それすらわからないのです。まず、野上章雄の動向についてお話ししましょう。彼は本気であなたとの勝負を行うようです。私の友人たちによれば、朝早く、王檀寺で合掌しているのが目撃されています。また別の情報によれば、横木神社でも、手水で全身を清め、賽銭箱に札を放り投げ、二拝二拍手一拝をいくども繰り返していたとのことです。彼は神仏の加護を得て赤信号を渡ろうとしているのです! 今、もう9時になりますが、彼はすでに薬屋の信号におり、信号の下で座禅をして精神を統一しているようです」
「絶対に渡りそうではないですか」と私は昨晩の「先に彼を渡らせる作戦」を思い出しながら尋ねた。
「ええ、ですが、いいですか、驚いたのは章雄はたった一人だというのです。おかしくはありませんか? もしこれが市長の威信をかけた勝負であるならば、市長の取り巻きたちも一緒にいるはずです。ですが、いないのです。この奇怪な事態について考えを巡らせていると、携帯にメッセージが来ました。市長に極めて近い人物からです。それに私は仰天しました。なんと市長は今日の朝までこの勝負についてまったく知らなかったというのです。つまり、あなたへの挑戦は章雄が勝手にしたことだったのです!」
「市長の差し金でないとなると、また事情が変わってきますね」と言いながら、そこに希望を見出した私は叫んだ。「勝負が中止になるということですね?」