苦い文学

ピラミッド時代

私たちが子どもの頃、ピラミッドの本を見ると、たいてい奴隷の姿があった。

奴隷たちは苦悶の顔つきで巨大な石をロープで運んでいた。そして、奴隷たちの傍には、ファラオの安価版みたいな監督が立ち、怠者を鞭でぴしゃりとやるのだった。

その後、研究が進み、ピラミッドの建設作業員は奴隷ではないということがわかった。

彼らにはささやかな家があり、仕事終わりには楽しくビールを飲んでいたというのだ。巨大な石の運搬方法もずっと洗練されたものになった。鞭をふるっていた監督たちは、いまやパピルスを広げて指図していた。

「我々と同じ暮らしをしていたのだ」と私たちは思った。

「きっと作業員たちは誇りをもってピラミッド建設に従事していたことだろう。なにしろ『地図に残る仕事』なのだから」

「時代が変わろうと人間というものは同じなのだ」

こんなふうにさまざまな感慨が述べられた。そのせいで「ピラミッド時代の人々が奴隷ではないというより、今のわれわれも奴隷だということでは」という意見は埋もれてしまった。

その後の研究の進展についてはわからない。というのも、私たちの世界では破滅が進行し、研究どころではなくなったからだ。

私たちの暮らしは徹底的に破壊され、ピラミッド時代の奴隷たちにもとうに追い抜かれてしまった。