私たちは年齢を重ねると涙もろくなる。子どもが健気に歌っている姿や、若者が成長しようともがいている姿、それどころか、犬がしゃにむにおもちゃを追いかけている姿にさえ、私たちは涙を流すようになる。
その理由については、経験を積むことによって共感力が高まり、また、加齢によって感情の抑制が緩んだためだとされる。とはいえ、ここでひとつ注釈を加えるとすれば、私たちはなんでも共感するわけではない。どんな健気なものも心を動かすのではないのである。
例えば、自分よりも年上で地位が上の老人が頑張っていても、涙は流れない。つまり、自分よりも下の存在が健気に頑張っている姿にかぎり心打たれるのだ。だから、年上の老人でも、瀕死の病人やホームレスだったりして、自分よりも下だとみなせる場合は、私たちは涙を流さないものでもない。涙はいつも下向きに流れるのだ。
さらに、もうひとつ注釈を加えるとすれば、私たちが涙を流す健気な対象は、私たちが干渉できない位置にいなくてはならないということだ。私たちは健気な姿にどんなに涙を流したとしても、その対象にアドバイスをしたり、手助けをしたりはしない。なぜなら、そうすることは、私たちの美しい涙の邪魔になるから。これは、私たちが動画を見て涙を流すことを心から愛していることの理由でもある。
こうしたことを考えると、宇宙人が地球に来ないことの理由がはっきりする。人類よりもはるかに進んだ宇宙人は、地球を眺めて「最近涙もろくなって」などと言いながら、人類の健気な姿を見るだけで満足しているのだ。