私はときどき、自分が奴隷になれたらいいのに、と考えることがある。なぜなら、私はこの社会にいても意味がないから。けれど奴隷になれば私には少なくとも居場所と安らぎがあると思う。
だが問題は、今の社会では奴隷が認められていないことだ。なんでも、奴隷制度が禁止されている理由は、人間を他人の所有物として扱うことが、現代社会の基本原則である自由と人権に反するからなのだという。人間は自由だから、奴隷にはなれないというのだ。
だが、この世界には奇妙なことに自由を行使する人はたくさんいる。ならば、奴隷になる自由もあるのではないだろうか。だが、そのような自由は認められないということだ。
その理由は私にはわからないが、推測ならばできる。全員が自由なのに、ひとりだけ奴隷になったら困るからだろう。人間は個人で存在するものというだけではなく、種として存在するものでもある。そして、人権や人間の自由というものも、この人は通常盤の人権、あの人にはデラックス盤の人権というように個別に異なるものではない。種全体に備わるものだ。
そんななのに、ひとりだけ奴隷的人権を享受しているとしたら、困ってしまう。そんなふうに自由気ままに人権や自由というものの内容を変えることはできない。
だから、奴隷が禁止されているのも、その理由が人間が自由であるからというのは間違いだ。逆に自由ではないから、奴隷を禁止しなくてはならないのだ。
私はときどき、自分が奴隷になれたらいいのに、と考えることがある。それはしょせん無理な相談だが、他の人も奴隷になれないということには、若干の慰めがなくもない。