苦い文学

サ行

サ行音について、しばしば「最近、舌足らずの発音をする人が増えた」という人がいる。どういうことかというと、英語の three や third の th で発音する人がいるというのだ。

「舌足らず」かどうかはともかく、そういう発音をする人がいるのは私も知っている。それどころか、日本語の教材の音声でも「これ、th では」という発音がある。

それはともかく、英語では s と th の区別は大事だが、日本語はそうではないので s を th で発音しても大して困らない。これが、th の発音の原因のひとつだろう。

th といえば、この音は f にも似ているのだという。three の th は舌と前歯の隙間を息が通過するときに出る音だし、いっぽう f は、前歯と下唇の隙間を息が通過するときの音だ。どちらも 歯と柔らかい部分(舌か唇)で作る音だから、似ているのだ。

そこで、私は考えた。もしも s を th で発音する人がいるのならば、さらに進んで、その th を f で発音する人もいるのではないか、と。

そんな矢先、先の衆院選で立憲民主党の枝野幸男さんがインタビューに答えているとき、私の鋭い耳ははっきりと捉えたのだった。

「実際に(じっふぁいに)」

ふぇいじかの発言だけに、重みがあるといえよう。

苦い文学

屁の喪失

腸内環境のエキスパートだと名乗るその男は、健康に関する不安につけ込み、巧みな話術で私を信用させると、そのサプリメントを高額で売りつけた。そして、服用をはじめたその日から、私は屁を失った。

私ははじめのうちおかしいとも思わなかった。自分が長いこと屁をしていないことに気がつきもしなかった。そして、それに気づいた後でさえも、これは自分の腸の調子がよくなっているからだと好意的に捉えた。

しかし、人間がこれほどまでの間、屁をしないことなどあるだろうか。そう思うと私は不安になり、病院に駆け込んだ。そこで診察の結果、私の腸内から屁が消え去っていることが判明したのだった。

いや、正確にいうと、腸内において屁は存在するのだが、ただ、生成されたとたん、どこかに消えてしまうのだ。結果として、私はいっさい屁をすることができなくなってしまった。医者はいった。

「屁泥棒ですな。サプリメントをやめてももう腸はもとに戻らない。諦めることです」

ああ、失ってみて初めてわかる。屁がどれだけ私に快感を与えていたかを。その音がどれだけ心地よいものであったかを。そして、その匂いがどんなに私の孤独を慰めたかを。

屁なき人生とは、屁のようなものだ。

(この手記の作者は、ある事故により、自分の屁についての感覚をいっさい失った結果、このような妄想を信じることとなった。実際は、大きくてとびきり臭い屁を頻発する人物である。)

苦い文学

ピラミッドは宇宙人が作った!

宇宙人が世界の最果てに漂う青い星に飛んできて、人類を発見したとき、この幼い種族の発展を願わずにはいられなかった。

そこで、当時もっとも文明の進んでいたエジプトの王の前に現れ、こう言った。

「私は遠い世界からやってきた最高の賢者だ。私たちの力を、諸君のために提供しよう。望みを言うがいい」

強大な王は言った。「私はかつて、自分が永遠に王国を支配できるようにと、巨大な建築物を作ろうとしたことがあるのだ」

王は、倉庫に入れられたまま忘れ去られていた図面を持ってこさせ、宇宙人に見せた。「ピラミッドだ。だが、どの賢者に見せても、不可能だと言い張るのだ。それで私は諦めていたのだが、もしもお前が最高の賢者というのならば、これを作ってみよ」

宇宙人は王の無知に微笑みながら、承諾した。宇宙人は、異星の未開人のために技術を使用する許可を得るため、さっそく宇宙稟議書を作成し、本星へと送った。その稟議書が宇宙のあちこちで星の数ほどの承認をもらい、いくつもの部署を通過し、最終的な決済が降りるまで、気の遠くなるような時間がかかるのだった。

宇宙人が力を携えてやってくるのをエジプト人の王は待ち続けた。王はついにこの世をさり、次の王が即位し、さらに次の王、そして何代も経て、王朝そのものが変わった。

宇宙人の約束はしっかり伝承されていたから、新たな王朝の王も待ち続けた。そして、さらに数代経て、新たに玉座に登った王は、とうとう痺れを切らして言った。

「そもそも得体の知れぬ賢者に頼ったのが間違いのもとだ。我々でもう作ってしまおう。真剣に取り組めば、きっとできるはずだ」

そんなふうにして、エジプト人たちはピラミッドの建設に本格的に取り組みはじめた。宇宙人がいなければ、そんな成り行きにはならなかったのだから、ピラミッドは宇宙人が作ったといってもいいだろう。

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『リアルすぎる日本語』

これまでにない新たな視点を盛り込んだ日本語教科書『リアルな日本語(初級)』が刊行された。

日本の本当の姿を知ってもらおうという熱意に溢れた教材だ。通常、初級というと、文法・語彙ともに限定されているため、会話や読み物も現実の日本語から乖離したものになりがちであるが、『リアルな日本語』はそうならないための創意工夫に満ちている。

また、扱われるトピックも、きわめてリアルであるのも大きな特色だ。こうしたトピックは通常なら上級向けとされるが、それを大胆に、そして無理なく盛り込んでいるのにも感心させられる。全15課のうち、はじめの5課の内容を次に紹介しよう。

第1課 「私は満員電車の痴漢です」(日本語で自己紹介ができる)
第2課 「いいえ、パワハラ、セクハラ、ありません」(我慢ができる:その1)
第3課 「非正規労働の先に何がありますか」(道を尋ねることができる)
第4課 「日本人は弱いものいじめが好きですね」(趣味や職業について話すことができる)
第5課 「外国人は出て行きなさい」(我慢ができる:その2)

じつに有益な教科書であり、私もクラスで使用させてもらっている。ひとつ難点をいえば、教科書を最後まで終わらせることができないというのが問題だ。最初の数課で、日本語学習者が全員いなくなってしまうのだ。

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おさるのジョージ

「おさるのジョージ」は1940年代に発表された子ども向けの英語作品で、原題を「Curious George」という。アニメ放送もされている有名なシリーズだ。タイトルの通り好奇心旺盛な霊長目のジョージが、人間社会で大騒動を起こす。例えば、郵便配達の真似をして郵便物をデタラメに配ったり、ケーキ屋さんになりきってキッチンをめちゃくちゃにしたり……だが不思議といつも最後には丸く収まるのだ。

物語には「黄色い帽子のおじさん」という男性も出てくる。この「黄色い帽子のおじさん」は帽子のみならず全身黄色の服を着た奇妙な人物だが、彼こそが、ジョージを未開の地で発見し、先進国に連れてきたのだ。この登場人物はジョージの友人であり、また指導者の役割も担っている。

現在、この「おさるのジョージ」が炎上しているという。とくに「黄色い帽子のおじさん」には、日本中から猛烈な批判が寄せられている。アニメ放送も先日以来休止したままだし、愉快なグッズの数々も店頭から撤去された。

批判する人々によれば、おさるのジョージとは日本人のことなのだという。「おさるのジョージ」は、野蛮な日本人を文明人が教え導くという差別的な内容である、と非難するのだ。彼らはこう叫ぶ。

「あの黄色い帽子のおじさんを見よ! 白人たちが彼に黄色い服を着せたのは、黄色人種に対する当てこすり以外にありえない!」

ここで批判者は決まって、白い帽子に白いスーツ姿の男の画像を示す。「ほら、もともとは白服だったのに、猿の影響で黄色くなったという設定の証拠がこれだ!」

私たち、ファクトチェック委員会が調査したところ、この出所の怪しい画像は、「おさるのジョージ」とはまったく関係がなく、クレイジーケンバンドの横山剣氏であることが確認された。

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未来の選挙

私は選挙制度についてはよくわからないが、このまま日本が少子高齢化を突き進み、地方の過疎化が進み、さらに東京に人口が集中していくと、将来、奇妙なことが起こりそうだ。

ひとつを除いたすべての選挙区が東京に吸収され、そのいっぽう、東京以外の選挙区はひとつに統合されてしまうのだ。つまり、日本全国東京以外はすべて同じ選挙区なのだ。

選挙になると、この選挙区の広大な領域内では、どこでも同じポスター掲示板が立てられることになる。何百キロ歩いても、同じ立候補者の顔ばかりだ。海を渡って沖縄に行っても同じだ。まるでお釈迦さまの指に出会った孫悟空のように、有権者は絶望する。

いっぽう、東京はどうだろうか。その頃には東京は日本中の人口のほとんどすべてが集中していることだろう。都内は巨大な超高層ビルに隙間なく覆われている。そんなビルが何百万とあるハイパーメガシティに、何十億という人々がひしめき合っている。

そして、その居住ビルひとつひとつが選挙区となっているのだ。立候補者もそのビルの居住者だし、投票するのもそのビルの居住者だ。

選挙のときになると、居住者たちは、自分たちが政治家を選んでいるのか、マンションの管理組合の理事長を選んでいるのか、わからなくなる。

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ライブ・オン・ステージ

私たちの人生はまるでステージのようだ。私たちはそのステージの上で、生涯出会うすべての人々を前にして、曲を演奏し、歌うのだ。

私たちは、自分の人生に関わりのあるすべてのことを歌う。演奏や歌声の良し悪しは関係ない。自分に与えられたものを、力のかぎり鳴り響かせるのだ。

数々の曲の演奏ののち、やがて、セットリストの最後にいたるときが来る。私たちはその最後の曲の演奏が終わると、楽器を置き、ステージの袖に引っ込む。楽器は肉体だ。プレーヤーは魂だ。だから、ステージの上には魂を失った肉体だけが残される。

すると、小さな拍手が客席から聞こえだす。拍手は少しずつ大きくなり、ついにはひとつのうねりとなって、会場を揺るがす。そのときになってはじめて、ステージを離れた私たちの魂に拍手の音が届く(魂はステージの外に出ると意識が混濁しだす)。

「求められている! アンコールだ!」 私たちの魂は目を覚まし、ステージに引き寄せられる。私たちは蘇る。再び楽器を手に取り、最後の曲に取りかかる……

私たちはこのようにして人生の最後のチャンスを与えられるのだ。ただし、生前、コンサートで「アンコールするのはお約束だろ。手を叩くなんて無意味さ」とか「俺が手を叩くまでもない。他の客に叩かせておきゃあいいのさ」などと言って、拍手をしなかった者は、そのかぎりではない。

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Say Sue Me と Homecomings

Say Sue Me は韓国は釜山出身のインディーバンドで、現在は世界的に活躍しているバンドだ。だが、インディーバンドの世界的活躍といっても、aespa や Stray Kids などの K-POP スターとはちがい、規模も動員数もたかがしれている。そんなわけで、昨日(10 月 25 日)、渋谷 CLUB QUATTRO で行われた日本ツアーの初日、私は最前列で演奏を楽しむことができた。

オープニングアクトは、Homecomings で、私は名前を知る程度だったが、ギターの音もいいし、演奏もかなり決まっていてよかった。9月にミツメのライブにはじめて行って、次にライブがあったらまた行くぞと思っていた数日後に活動休止の知らせを受けた心の傷を十分に癒してくれた。

Say Sue Me は Homecomings に比べるとシンプルで、わかりやすいギターのリフと肩肘張らない演奏で、楽しい。コード進行もおそらくそれほど複雑ではないが、その分、過去のいろいろな洋楽もかすかに聞こえるようで、これも楽しい。

未発表曲も演奏したが、これは来年出すつもりのようで、観客に「何月に出したらいいですか」などと日本語で聞いていて、「5月!」とか「8月!」とかのやり取りもあった。

アンコール後に、去年出た「Mind Is Light」をやってくれたが、これは後半の演奏がとてもよいので楽しみにしていた曲だ。

2022 年 12 月の来日時もそうだったが、終演後はグッズを買うと、サインをしてくれる。前回はTシャツだったが、今回は、ポスターにサインしてもらった。

苦い文学

アクセント機能のバグ

日本語にはアクセントがあって、日本語話者はこのアクセントで語を区別している。「あめ」と文字で書くとわからないが、「高低」で発音すると「雨」だし、「低高」だと「飴」となる。ただし、これは関東を中心とした標準日本語の決まりで、地域によっても異なるし、個人差もある。

世界にはいろいろな言語があり、このタイプのアクセントを持たない言語もある。そうした言語の話者にとって「雨」と「飴」の区別は難しいこともある。

さらに日本語学習者にとって難しいのは、複合語の場合だ。「はし」は「箸(高低)」と「橋(低高)」では異なるが、「箸」が複合語の「箸置き」となると「低高低低、低高高低、低高高高」のどれかになる。そのどれであれ、「箸」の部分は「橋」と同じアクセントになってしまう。かりに「箸(高低)」を維持したまま、「箸置き」つまり「高低高低」や「高低低低」などで発音してみると、明らかにおかしいことがわかる。

さて、本題に入ると、今朝のできごとだ。私は喫茶店に行き、カウンターに並び、順番が来るとコーヒーを頼んだ

「アイスコーヒー、エムで」

「エムサイズですね」

私が気になったのは、店員が「エムサイズ」を「高低低低低」で発音したことだ。「エム」はそのままだと「高低」だが、「エムサイズ」だと「低高高低低」となる。

私はこの人は外国人だろうか、と考えた。しかし他のアクセントは自然だ。それとも、別の地域の人だろうか? 名札を見ると、カスタマーハラスメント防止のため「T・C」とイニシャルしか記されていない。「T・C」…… Cとは?

そのとき、店員が尋ねた。

「お支払いはどういたしますか」

あまりにアクセントのことに気を取られていたからだろうか、私のアクセント機能にバグが発生した。

「西瓜で、あ、いや SUICA で!」

苦い文学

強い心

【「日本を再び偉大にする党」の総裁、河豚やすし氏の演説記録より】
みなさん! 今年のノーベル平和賞は、日本原水爆被害者団体協議会に授与されました。核兵器廃絶のためにたゆみない努力を続けたことが、授賞の理由だということです。なんと素晴らしいことではありませんか!

原爆は広島と長崎に壊滅的な影響をもたらし、悲惨な地獄としました。その経験が、二度と核爆弾を使わせてはならない、という決意を生み出したのです。

ですが、それだけが核の脅威を根絶する方法ではありません。ロシアとイスラエル、イランという核保有国が戦争状態にある今、核兵器の廃絶は現実的には不可能です。ならば、私たちが核に負けない強い心を持つことで、核を無効化することもできるのではないでしょうか。

例えば、現在の日本が直面する重大な危険は、北朝鮮の核ミサイルです。ですが、私たちはいったいなぜこれを恐れているのでしょうか。もちろん、それが、我が国土に悲惨な影響を与えうるからです。ですが、ちょっと考えてみてください。たった一発で、日本が全滅するわけなどないではありませんか。

いや、北朝鮮には三十発の核兵器があるぞ、という人がいるかもしれません。では、そのすべてが日本に打ち込まれたとしたらどうでしょうか。それで日本は全滅するでしょうか。おそらく数百万人程度が死ぬだけではないでしょうか。人口のほんの一部なのです。

そうなのです。恐ろしい核兵器といえども、日本を滅ぼすことなどできないのです。なにを恐れることがありましょうか! 何百万人死のうと、恐れず、動揺しない心、そうした強い心があれば、核兵器などまったく無意味なのです。

ああ、それにしても、もし、日本人が原爆で怖気づかなければ、今ごろ、世界は違っていたかもしれません。北朝鮮も中国も、日本の強い心とリーダーシップのもと、おとなしく平和を享受していたに違いありません。戦時中の日本人が怯懦だったばかりに、現在の日本の私たちがイヤな思いをしているのです!

だから、もし私たちが弱く臆病な心のままだったら、同じように私たちも将来の世代によって非難されるのではないでしょうか? そんなのは御免です。核兵器に負けない強い心を持つことだけが、未来の日本を、いやアジアを救い、それによって現在の私たちを救うのです。

日本人よ、強い心を持とうではありませんか。日本中に核爆弾が降りそそいでも恐れない強い心を持ちましょう!

そして、もし核兵器がみなさんの頭の上に核爆弾が降ってきたとしても、心配しないでください! まるで虫ケラが蹴散らされるのと同じだ、そんなふうに、必ずや私たち「日本を再び偉大にする党」が強い心でしかと受けとめることをお約束いたします!