苦い文学

コタツ記事

なんというか、最近のマスコミって、本当に取材しているのかな、って思いますね。

ネットやテレビで有名人の発言を拾って一本のニュースに仕立てる、いわゆるあの「コタツ記事」なんかそうですけど、それはそれでいいんですよ。どんなのでも記事が増えれば、その分、ページビュー数が増えるわけで、それがまさにマスコミは欲しいんですから。

でも、そのコタツ記事でもちょっとこれはイラつくなってのも多いじゃないですか。どういうのかというと、記事のタイトルにネットの声が入れてあるやつ。たとえば

《人気俳優の独特子育て論に「その発想はなかった」「もっと早く知っていればよかった!」》
《あの女子アナの私服ショットに「めちゃすてき」「本当に美人さん」と絶賛》

みたいなやつ。それで記事本文を見ると、ツイッター(現X)からと思しき一般人の称賛コメントが引用されてる。もう、記者は論評すら考えるのやめちゃった。どっからどこまで借り物で。それに、ツイッター(現X)でこんな称賛コメント書いているヤツは、ろくに考えもせず、条件反射的にコメントしてるだけの軽薄な連中なんだから、そもそも公共の声として扱っちゃダメなんですよ。

ネットを見ればそんな記事タイトルばかり、見なきゃいいっていうけども、記事のタイトルは必ず目に入ってくるから、もう避けようがないんです。ほんと、イライラしてます。

《人気芸人のコタツ記事痛烈批判に「マジ同意」「わかりみが深い」とフォロワー絶賛!》

苦い文学

ベスト・フレンドからの手紙

(異国の友人から送られてきた手紙)
早いもので、日本を飛び出してこの地にやってきてもう4ヶ月が過ぎた。ここには日本人などいないし、日本のニュースなど見ないから、日本のことを思い出すのは、両替をするときだけだ。そして、そのたびに、僕は円の下落という日本衰退の知らせを受け取るわけだ。

日本を捨てて、こんなところにまでやってきた僕の事情については知っているだろうから、話さないよ。だけど、こんな境遇にあるのに、いや、むしろこんな境遇だからこそ、ときどき日本のことを考えずにはいられないのだ。笑ってくれてけっこうだ。

いろいろと思い出すよ。日本にいたときには気にもしなかったことまでね。そんなつまらないことがふと思い出されて、気になってしょうがなくなるんだ。

それにしても、日本の高齢男性は、どうしてみんな、ポケットがたくさんついたベストを着ているのだろうか? そう、これが気になってならないんだ。ある年齢を越すと、自然と着るようになるのだろうか? 老人の体に湧き起こる得体の知れない衝動が、あのベストを激しく求めさせるのだろうか? それにしても、いったいどこであれを見つけてくるのだろうか? 店で普通に売っているのを買ってくるのだろうか、それとも、老人にだけ、どこからともなくふんわりと降りてくるのだろうか?

それに、あの無数のポケット! いったいなにが入っているのだろうか? 小銭とかガムとかだろうか? 勲章入れかもしれない、老人はみな好きだから。それで、今はポケットが勲章の代わりみたいに了解されているのだ。だが、そもそもなんの勲章だろうか……

いや、ちがう、あれはポケットではなく、体温調節のための通気孔ではないか? 環境に合わせて体温を変える爬虫類のような……こんなふうに考えていたら、つい今朝のことだ、衝撃的なことがあったのだ。

この街は、日本人がすっかり姿を消した代わりに、いまや中国人がたくさんだ。みなツアー客で、ガイド付きのバスに乗っている。

その朝、僕は広場に面したカフェでぼんやりしていたのだ。そこに中国人観光客が団体でやってきた。老夫婦が何組もいて、老人たち全員、なんとあのポケットつきのベストを着ていたのだ!

これは、いったいどういうことだろうか? 日本だけではないのだ。東アジアの高齢男性だけがベストを欲しがる奇病があるのだろうか? それとも、何かのたくらみでも……? 頭がおかしくなったと思うかも知れないが、真剣に調べようと思っている。
(この手紙ののち、友人の消息は途絶えた……)

苦い文学

ナッジナッジ!

ナッジとは、厚生労働省のサイトによれば「人間の性質や行動原理に基づき自発的に行動するきっかけを提供する手法」ということだ。ナッジ(nudge)は英語で「小突く」とか「チョンチョンする」とかという意味で、要するに「チョンと後押しすることで行動を促す」というわけだ。

このナッジの活用例でよく挙げられるのに、トイレの「いつもきれいに使っていただきありがとうございます」がある。これを見た人は「いつもきれいに使われているトイレを、自分が汚すわけにはいかない」と自発的にきれいにしようと気をつけるのだそうだ。「きれいに使用してください」とか「汚さないでください」とかよりも効果的なのだという。

さて、私の利用する駅の植え込みの上に、段ボールの切れ端が載せてあった。汚い字でこう書かれている。

「通行者の皆様、いつも 100 円置いてくださりありがとうございます」

数日後、再び通ると違う段ボールが置かれて、こうあった。

「いつも千円札を置いてくださりありがとうございます」

置く人がいたのだ! しかも第2弾で強気の金額設定をさせるほどに!

私は、ダンボールを持ち去り、駅のゴミ箱で捨てた。この段ボールの主のナッジナッジが、いつか命にまでエスカレートしないと、誰がいえよう?

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令和の喝破術

喝破って怖い? 威張ってる? 老人くさい? そんな喝破とはもうお別れ! これからはソフト喝破の時代!

「所詮中産階級の戯言と喝破せり!」「目下の政局は狐と狸の化かし合いに他ならぬと喝破!」

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ロマンスカー(箱根の旅終)

私は今、ロマンスカーに乗り、新宿に向かっている。富士山を見渡す展望台で巻き起こった混乱をからくも脱出し、飛び乗ったのだ。

そして、私の隣の座席には、あの大男が座っている。眠っているためその目は閉じられているが、先ほどのあの展望台では、それを開くやいなや、彼はあの小柄な老人を殴り飛ばしたのだった。鎖を引きちぎって逃走した彼が、どうやって指定券を購入したかは不思議だが、首からぶら下がるごつい鎖を見て、強く出られる駅員はいないだろう。

彼ははたして新しい日本人だったのだろうか? 私にはわからないが、ただひとつ言えるのは、彼が自分をこのような醜い怪物に改造した小男を激しく憎んでいたことだ。それに比べれば富士山などどうでもよかったのだ。

それにしても、箱根はなんと変わってしまったことだろうか。昔、私が子どものころに行った箱根には、外国人観光客はひとりもいなかったし、大涌谷に鬼などいなかった。奇怪千万な外人観光などもなかったし、富士を覆う黒幕も、新しい日本人のお披露目もなかった。

おそらく箱根だけでなく、世界が取り返しのつかないほど変わってしまったのだ。それとも、私が変わってしまっただけなのだろうか?

目を覚ました大男が話しかけてくる。その錯乱した発話を、私はなんとか理解し、新宿からの行き方を教えてやる。夜のスカイツリーを見物し、キレイな夜景を見たいというのが、彼の希望だ。(おわり)

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開眼(箱根の旅7)

見ると、小柄な老人が群衆の中をずかずかと歩いてくるのだった。その手には鎖が握られ、その鎖は後ろを歩く大男の首に巻きつけられていた。大男は獣のように喉を鳴らし、雄叫びを上げた。両目の上には黒い目隠しがあった。

老人は黒いパナマハットの鍔を人差し指でピンと上げると、私たち観光客を見回して、もう一度繰り返した。その口は奇妙に歪んでいた。

「見よ! 見よ! 新しい日本人を!」

そして、その老人は小さな体を震わせながら、演説を始めたのだった。

「日本人よ! いつまでこんな山を崇拝しているのだ! 一目見ようとつま先立ちになったり、自撮り棒とやらをありったけ伸ばして、その呆けたツラと富士をパシャリと収めたり、もういいかげんしろ! そんなだから我々は負け続けなのだ! 外国人にすきなように荒らされ、観光公害を耐え忍ばねばならんのだ! 我々は富士山にひれ伏してはならない! そんな日本人はもういらない。新しい日本人が必要なのだ! 富士山を見ても動じない、いやそれどころか、富士山と互角に渡り合える、そんな日本人こそ必要なのだ!」

老人は手に持った鎖をぐいと引っ張った。大男がキイイと呻いた。

「だが、今日、ついにそんな日本人が誕生した! みなさんにお目にかけよう! 我々は歴史の目撃者となるのだ!」

老人はさらに鎖を引き、男の顔を自分の近くまで寄せると、目隠しを解いた。あらわれ出た醜悪な顔に、悲鳴が上がる。

「さあ、ゆけ! 新しい日本人よ!」

「キイイ! キイイイ!」 大男は瞼を上げ、充血した眼球をあらわにした。その瞳から狂気が溢れでていた。

苦い文学

見よ! 見よ! 新しい日本人を!(箱根の旅6)

ただちに私は、箱根で富士山がもっともよく見える場所に向かった。

そこは広々とした展望台で、私と同じように富士山を拝みにきた観光客でいっぱいだった。日本人も外国人も、富士の美しい姿に感動し、自撮りに夢中になっていた。

私はこれらの観光客をかき分けかき分け進み、最前列に割り込んだ。その山を見るやいなや「おお、山なる山よ!」と賛美の言葉が口を衝いて出た。

私はいつの間にか涙にかきくれていた。私の泣き声がはなはだ大であったにちがいない、居合わせた観光客が心配して私の背中をさすってくれた。

「ああ、わかります、わかります」とその人は言った。「あなたも不安になってここに駆けつけたのでしょう」

泣きじゃくりながら私はうなずいた。

「大丈夫ですよ。私も同じだったのです。あのコンビニの黒幕を見たのですね」

「そ、そうです」 嗚咽しながら声を絞り出す。

「それで、恐ろしい焦燥感に襲われたのですね。わかります。私もそうだったのです。いつか世界がすっぽり黒幕に覆われ、もはや富士山を見ることすらできなくなるのではないか……そんなふうに怖くなったのです」

もうたまらず私は泣き崩れた。その人は私の肩をだき、「大丈夫、大丈夫」と何度も繰り返してくれたのだった。そのおかげで、私は次第に落ち着きを取り戻した。そして、若干の恥ずかしさを感じながら、その親切な方に感謝を伝ようとしたそのときだった。

観光客たちのざわめきが広がった。まるで野獣のような咆哮が響き、あちこちで悲鳴が上がった。そして鋭い声がそれらの悲鳴をかき消すかのように叫んだ。

「見よ! 見よ! 新しい日本人を!」

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本物の富士山(箱根の旅5)

その親切な地元民は、コンビニに群れ集う外国人観光客全体を大きな身振りで指し示した。

「ここにいる外国人をよく見てください。お国がお分かりになるでしょうか。中国、ロシア、ミャンマー、北朝鮮、ベラルーシ……おかしいと思いませんか?」

「ええ、たしかに! アメリカやイギリス、フランスなどの観光客はまったくいないのですね」

「その通りです。つまり、このコンビニにわざわざ観光に来るのは、どうやら権威主義的・非民主主義的な国の人々だけなのです」

「いったいなぜ?」と私が首を捻ると、地元の日本人はただちにその疑問を解消してくれた。

「これらの国では情報は隠されたり、検閲されたりしているのが当たり前なのです。なので、これらの国から来た観光客たちは、富士山を見るのならば、なんの妨げもなく観光できる富士山よりも、遮断されて見えない富士山のほうが、より本物らしく思えるのです」

「はああ」と私は感心して言った。「ちょうど、我が国の政治家が私たちを蔑んでいるので、それが慣いとなって私たちも、自分たちをバカにする政治家でなければ政治家ではないと思い込んでしまっているのと同じですね」

「ええ、そうです。国民を尊重する政治家が現れると、喜ぶどころか、怒り出す体たらくですから、そのうち、日本人もこのコンビニに富士山を見にやってくるようになることでしょう……」

私はこの親切な地元民に礼を言うと、ぜがひでも本物の富士を見ねばと心に決めて、その場を離れた。

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絶景コンビニ(箱根の旅4)

さて、箱根神社を出て芦ノ湖湖畔を歩いていると、ものすごい人だかりにでくわした。

がんばって人垣の向こうを覗くと、コンビニがある。そのコンビニの屋根には黒い大きな覆いが建てられていて、その向こうは見えなくなっていた。

群衆はほとんど外国人で、みなそのコンビニの前で記念写真を撮っているのだった。地元民らしき日本人がたまたまやってきたので尋ねてみると、こんな答えが返ってきた。

「絶景コンビニのことはご存知かと思います。富士山が屋根の上に乗る映えスポットとして有名になったあのコンビニです。観光客がたくさん集まったせいで、観光公害が問題となり、とうとう黒幕を作って富士山を遮断するということになりました。ここ箱根にあるこのコンビニもまったく同じ状況となり、先日、黒い遮蔽物を屋根に建設して富士山を見えなくすることに成功したのです」

「ですが、ものすごい観光客ではないですか。富士山も見えないのにこれでは、以前はもっとすごかったことでしょう」

「いえいえ、じつは黒い覆いができてから、観光客が一段と増えてしまったのです。本当に困ったことです」

「それはそれはさぞお困りでしょう。ですが、どうしてそんなことが起こりうるのでしょうか」

「ええ、これがじつに不可解なことで、ずいぶん頭を悩ませたのですが、最近になってようやくそのわけが判明しました」

「いったい、どのような理由が?」 大いに好奇心を刺激された私は身を乗り出した。

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エコツアー(箱根の旅3)

それらの外国人観光客は、例の「外人観光」にやってきた日本人たちの前までやってきて、物珍しそうに見物しはじめた。そこにはやはり小さな旗を持ったガイドがいて、英語でこんなことを話しているのだった。

「みなさん、今日はとても幸運ですよ! これらの日本人を見てください! 円安と貧困のあまり外国人を観光することしかできなくなった人々なんです。近づくときはお静かに! 臆病な性質なのですぐに逃げてしまいます」

すると、ひとりの果敢な外国人がそろりそろりと近づきだした。手には千円札を持って差し出している。日本人たちは「なんだなんだ、変わった外人だぞ」とざわめいていたが、お金と見るや群がってきた。みごと手懐けたのだ。外国人観光客は興に乗って、次から次へと紙幣を取り出して、ばら撒きはじめた。

日本人たちは「これはいい土産だ」「外人観光の余録だ」などと言いながら、ポケットに詰め込んでいる。

この光景を前におののくばかりの私だったが、今度は別の方向から観光客の一群がやってくるのに気がついた。それは日本人と外国人の混成で、みなトレッキング・ウェアを着ているのだった。ガイドは英語と日本語で交互に案内をはじめた。

「みなさん、貧困のため外国人しか観光できない日本人と、その日本人を観光する裕福な外国人観光客が、この観光地では互いに補い合って共生しているのです。自然が生み出したエコシステムをとくとご覧ください」

エコツアーに参加している観光客たちは、双眼鏡で眺めたり、望遠カメラで写真を撮ったりしていた。きっとステキな写真が撮れたことだろう。