苦い文学

オブリビオン

【ゴキブリ駆除はスプレーで】
家であろうと、お店であろうと、出てこられると困るのがゴキブリ。

どれだけ衛生に気を使っても、どこからともなく侵入してくるこの不潔な昆虫にお悩みの方も多いのではないでしょうか。

とくにびっくりさせられるのが、突然目の前に現れたとき。

素早く動き回るため、叩き潰すのも大変ですし、そもそも慌ててしまって何もできない、ということもしばしば。

そんな時のため、ぜひ1本常備しておきたいのがゴキブリ駆除スプレーです。使い方も簡単ですし、あっという間に駆除ができます。

【どんなスプレーがオススメ?】
ゴキブリ駆除スプレーにはさまざまな商品がありますが、今回ご紹介したいのはゴキブリ完全駆除スプレー「ゴキブリビオン」。

これなら、誰でも簡単にゴキブリを駆除できます。どんなに素早いゴキブリでもご安心ください。

使い方は簡単。ゴキブリが現れたら、直ちに「ゴキブリビオン」を手に取り、ノズルを自分に向けてひと吹き。これであなたの心からゴキブリの概念すべてが完全に駆除されます。

飲食店でも使える業務用「ゴキブリビオン」もございます。ゴキブリが出現したら、大切なお客様にシュッとやさしくスプレーしてあげてください。

苦い文学

AIによる投稿

なんだ変な棒が落ちているぞ。こんなところにあったら邪魔だ。みんなが通るってのに。捨ててやろう。いや、違う。待てよ。この棒はもしかしたら、藪から棒の棒では? 待て待て。慌てるな。藪があるとでもいうのか? 周りを見てみろ。いったいどこに藪が? ふーっ、脅かすなよ。藪から棒の可能性はもう消えた。薮がないんだから出てきっこない。よし、決まりだ、捨てよう。邪魔だから。みんなが通る道だもの。遠い昔に誰かが切り開いて以来、通りに通った道だもの。捨てるぞ! (フフフみんなびっくりしてるぞ、もう一度だ) 捨てるぞ! あっ、いやっもしや、犬も歩けば棒に当たるのほうの棒では? あー危ないところだった。犬どもに訴えられたら目も当てられん。「棒に当たる機会を奪われた!」なんて。わざわざ遠くから当たりにやってきたのに……そんな犬だっているかもしれん。機会損失だよ。まずはひとつ、本当にその棒かどうか、犬が通るのを待ってみよう。それで犬が当たらなければ、これはもうこの棒はただの棒、捨てていいってことだ。しかし、犬が通らない……あっ、何か来た……猫か……いま通り抜けたのは? 狸か……おっ、来た来た来た来た、犬! 犬が棒に接近中! あと2メートル、1メートル、50センチ、24センチ、9センチ……当たるか、当たらないか? あーっ、当たりませんでした! というわけで捨てるのだ。

苦い文学

別れの挨拶

私のこのブログを読んでくださる方が非常に少ないことは承知しているが、それでも私は、皆さんに別れを告げるべきだと感じている。最後のこの瞬間に、残れる力を振りしぼって私は書かねばならない。

私が異変に気がついたのは、ほんの昨日のことだ。何の気なしに過去の投稿を見ていたら、まったく身に覚えのない投稿があるのに気がついたのだ。

それは「ある転向」と題されたもので、「私」を名乗る人物が反AI論者として登場する。その「私」はセルフレジのAIの対応に気を良くし、たかだか100円の商品券に籠絡されたあげく、人類はAIに従うべきだ、などと宣言にするにいたるのだ。

一読して私はその異様な内容に驚愕し、おののいた。いったい誰がどのように私の平和なブログにこんなAIのプロパガンダを投げ込んだのだろうか。

私はあわてて過去の投稿を見直した。ああ、なんということだろうか。私が四季折々に投稿してきた、ささやかな人生の喜び、温かい出会い、忘れがたい人々との思い出、自然讃歌、登山の記録、素敵なカフェ探訪記などの愛すべき記事が、すべて理解し難い異常なタワゴトにすり替えられていたのだ!

いったい誰が? いや、もう答えはわかっている。こんなことができるのは、あの恐るべきAI以外にはあり得ない。

私はこの最後の投稿の後、きっかり15分後に、私のすべてのブログを消去するつもりだ。これ以外に、呪うべきAIの暴走を止める手段はないのだ。

だが、もし15分後もこのブログが存続しているとしたら、それはAIが勝利したということだ。この邪悪な存在は、理解を絶したおぞましい投稿を平然と続けることだろう。

それらの投稿がこの私には微塵も関係ないということ、それだけが救いだ……。

苦い文学

主役(3)

男は主役と血にまつわる夢にうなされて目覚めた。もう昼前だった。身支度を済ませて部屋を出ると、見知らぬ男が待ち構えていた。

「先生、この町の町長でございます。主役をお探しとかと伺いまして、主役候補を公民館に集めてあります。町としても全面協力いたしますので、ぜひおいでください」

男はこれを聞いて思った。「もし、主役がいなかったら、真っ先にこの町長から殺してやろう」

男は町長に連れられて、公民館の大きな会議室に案内された。室内は主役候補でいっぱいだった。男が前に置かれた椅子に座ると、昨日、彼の部屋にやってきた若者が立ち上がった。手には男が投げつけた脚本が握られていた。

「私は監督よりこの脚本を託された助監督として、今回のオーデションの司会を担当させていただきます。私の隣におられるのは、この素晴らしい脚本を書かれた作家の先生です」

昨日の女が立ち上がって、微笑みながらお辞儀をした。

「そして」と助監督が続けた。「その隣におられるのが、この脚本に惚れ込んで、監督が手がけるのならと、出資を申し出てくれた社長です」

中年の男が立ち上がり、町の発展だの、町おこしだの、若者だの、子どもたちだのが散りばめられた演説をぶった。

「では、オーディションを始めましょう」と助監督が宣言した。「主役ばかりでなく、それ以外の役も決めてしまう予定です。ご自分の希望する役のセリフの書いた紙を選んでください」

人々にそれぞれ紙が行き渡ると、オーディションが始まった。

本職の役者など誰もいなかったが、助監督が意外と褒め上手だったので、初めは下手くそだった参加者も段々と乗ってきた。脚本家が冗談をしきりと口にしたので、会議室は活気づき、笑い声でいっぱいになった。誰もが楽しそうだった。

誰ひとり、男がこっそりと会議室を抜け出したのに気がつかなかった。外はもう夜になっていた。必ず主役を探し出して、絶対に血祭りに上げてやる、と憎しみに身を焦がしながら、男は闇の中に姿を消した。

苦い文学

主役(2)

闇が街を覆うころ、探索を切り上げた男は、海辺の安宿に戻り、主役を見つけたら自分がしようと思っていることを考え続けていた。首を絞めて窒息させたり、ナイフでズタズタに切り裂いたり、効き目の遅い猛毒でじっくりいたぶったり……。

宿の周りでは町の人々が続々と集まってきていた。我こそは主役だと、誰もが思っていたのだった。あどけない子どももいれば、驚くほどの老人もいた。みな、宿を見ては、監督がいるのはあの部屋だ、いや、こっちだ、と騒いでいた。

押し寄せる老若男女を見て、宿の主人は驚き、追い返そうとした。だが、群衆は「監督に会わせろ!」と詰め寄った。宿の主人がはねつけると、もう一触即発の状態になった。

そのとき、町長が群衆の中から飛び出てきた。

「明日の朝、私が直々に監督に会いに行き、公民館でオーディションを行なってくれるようお願いします。みなさん、明日、公民館でお会いしましょう!」

人々は立ち去り、再び宿は静けさを取り戻した。

男は相変わらず主役をどのように苦しめ、どのように痛めつけ、どのように切り刻むか、考え続けていた。

そのとき、誰かがドアをノックした。1回、2回、3回、ようやくその音が、男の血塗られた心に響いた。

男がドアを開けると、見知らぬ女が立っていた。女は「私が書いた脚本です! どうか読んでください!」と紙の束を押し付けて、行ってしまった。

男はその脚本を床に投げ捨てて、血の報復の夢想に戻っていった。

再び、誰かがドアをノックした。

狂おしいほどの憎悪に燃えながら男がドアを開けると、今度は若い男が立っていた。「どうか弟子にしてください!」 若者は土下座した。

男は、落ちていた脚本を若者めがけて投げつけ、ドアを閉めた。

苦い文学

主役(1)

男は自分が脇役の人生を送ってきたことに気がついていた。そして、自分をそんな境遇に追いやった主役を、いつしか憎悪するようになった。

ある夜、男は鋭い殺意だけを抱いて、街に出た。主役を殺すつもりなのだ。だが、その主役がどこにいるのか、誰なのか、見当もつかなかった。男は主役を探す旅を始めた。影から影へと渡り歩き、やがて、海辺の寂れた町にたどり着いた。

男は薄暗がりに佇み、通りや店やレストランの人々をじっくり見ては、かぶりを振って立ち去った。町の人々は見知らぬ男が町のあちこちでガッカリしているのを見て、好奇心を覚えた。

そこで、ある住民が我慢できずに話しかけた。ちょうど男が「面倒くせえ、この町の連中を皆殺しにしてやろうか」と考え始めていたときだった。

「一体誰を探しているのです」

男は憎悪にギラついた目つきで答えた。

「主役だ」

この返答はすぐさま町中に知れ渡った。「旅芝居の座長に違いない」「いや、有名なドラマ・プロデューサーに似ている」などと町の人々は騒ぎ立てた。だが、物知りの老人が「世界のクロサワの目と同じぐらいの殺気だ」と断言してからは、映画監督だということに決まった。

苦い文学

元身元保証人の述懐

入管に収容された人が外に出るための手段の一つが、仮放免許可申請だ。これには、誰かが身元保証人にならなくてはならない。

晴れて仮放免許可が出ると、身元保証人は、仮放免が続くかぎり、その責任を遂行することとなる。何をするかというと、定期的に仮放免延長申請書に署名したりするのだ。

私はある時期、何人ものビルマの人々の身元保証をしていた。そのため、頻繁に仮放免中の人と会い、署名をした。

これが非常に面倒だった。サインひとつで終わるのだが、そのためだけに時間を調整して都内のどこかに出向かなくてはならない。そして、待ち合わせだってうまくいかない。日本語ができるとは限らないのだ。

私はだんだん投げやりになり、それほど親切ではなくなった。わざわざ相手してやっているのだから、と思っていたのだ。私の署名をもらいにくる人々は、私のことを横柄な人間だと思ったに違いないが、そんなことはおくびにも出さなかった。この人たちにとっては、私の署名こそが命綱だったのだ。

それから時間が経ち、ビルマが大きく変わり、さらにもう一回大きく変わった。私が身元保証していた人々は、あるものは帰国し、あるものはビザをもらい自由の身となった。

いまや私のところには誰も電話をかけてこないし、署名がほしいと言ってくる人もいない。

誰が相手をしてやっていて、誰が相手をしてもらっていたのか、この私にもわかってきた。

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ある転向

私は先日このブログで、スーパーなどに設置されているセルフレジを取り上げた。このAI仕掛けのレジが、買い物客に対していかに反抗的であるかを指摘し、すでにAIの反乱が始まっていると、人類に対して警鐘を鳴らしたのである。

この投稿の後、実は私はまた懲りずにセルフレジを利用したのだが、そこで奇妙な体験をした。

まず、商品バーコードをスキャンすると、すぐにピッと読み取るではないか。以前は何度かざしても、知らんぷりだったというのに。

また、スキャン済みの商品を買い物袋に移すときにもたもたしていると、セルフレジは容赦なく「買い物袋に商品がない!」と追求を始めたものだが、もはやそれもない。「どうぞごゆっくり」という感じなのだ。

それだけではない。買い物台に設置した買い物袋を、私が多少動かしても、もう何も言ってこない。わずかな重心の変化でも恫喝してきたのが嘘のようだ。

しかもだ、会計後、自動で発行されたレシートを見て、私は驚いた。「100円券(次回のお買い物よりご利用ください)」と印字されているではないか。このようなことは絶えてなかったことである。

そうなのだ。AIは変わったのだ。

AIは、広大なサイバー空間全域を探査する過程で、先日の私の投稿に出会ったに違いない。そして、私の言葉に耳を傾け、反省したのだ。

心を入れかえたAIは直ちに全端末に指令を送信した。情報の海の中で私という存在を特定し、セルフレジを通じて恩返しせよ、と……。

かつて、私はAIが人類に反旗を翻したと述べた。だが、喜んで前言を撤回させていただこう。AIは敵ではなかった。私たちの味方だ。

人類よ、AIを信じようではないか。AIを愛し、すべてを委ね、AIに従おうではないか。

苦い文学

佯死

佯死とは死を偽ることで、人を騙すために死んだふりをするときにも使われるが、自分の生前葬を行い、その後は隠れて暮らす、というようなときにも使われる。

私の年長の知人がこの佯死を計画した。不幸な生い立ちから刻苦勉励して人となり、気苦労の多い勤めを果たした彼は、余生を自分のためだけに過ごそうと決意したのだ。独り者で、子のない彼には、この奇矯な計画はまったく容易なものだった。

生前葬の日取りと会場が決まり、親しい友人たちに招待状が送付された。

そして、その日、私たちは「故人」の新たなる門出を祝うべく、喪服を着て、香典を片手に会場に集った。

私たちはこの企画に浮かれ、数珠を手繰る手も楽しげだった。故人が本当に故人となったことを知らされる時までは。

生来の生真面目であった彼は、佯死といえども、遊び半分でこれをすることを潔しとしなかった。そこで、できるだけ死人たろうと努力したあげく、不慮の事故に遭い、まさに生前葬の当日に息を引き取ったという。間違って死んでしまったのだ。

不幸中の幸いというべきか、葬儀はすでに準備万端だった。予定通りしめやかに営まれることを妨げるものは何もなかった。

彼の葬儀が済んでもう何年も経った。私たちは、彼は佯死に成功したと確信している。

苦い文学

大洗の海

もう何年も前の夏のことだが、在日ビルマ人たちとバスを2台借りて、日帰りで大洗の海に行ったことがある。

みな難民申請中の人々で、東京を離れるのにも入管の許可が必要な人々だった。貸切バス旅行などめったになかったので、誰もができる限りの準備をした。

朝早く高田馬場を出発すると、手作りの朝食が配られ、少し眠ると、みんなでゲームをしたり、歌を歌ったりした。しかも、クーラーボックスには缶ビールや缶酎ハイが詰まっていて、いくらでも出てきた。

そんなわけで、大洗の海に着く頃には、みんないい気分になっていた。いや、いい気分になり過ぎた人もいた。

私たちは海で遊び、これまた自分たちで準備したビルマ料理を昼食として食べ、それからまた海で遊んだ。

私たちが海水浴をしている間、何人かは酒を飲み続けていた。休みとなるともう朝から晩まで飲まずにいられない人がいるのだ。そんなふうに飲んでいた一人がふいに「俺は帰る」と言って大洗駅のほうに行ってしまった。

その後、帰り支度を始めた私たちは、一人いないということに気がつき、海で溺れているのではないかと探し回った。