苦い文学

脱毛の起源について

男でも女でも、服で隠している部分が肝心だ。そこが情欲を掻きたてるのだ。

だが、昔、つまり猿以上人類未満のころは逆だった。隠されていない部分のほうに興奮していたのだ。

そのころの私たちはといえば毛むくじゃらだった。つまりすべて隠されていて、私たちはそれで満足していたのだ。だが、あるとき、体の一部、たとえば肩の部分に毛のない個体が出現した。

私たちの興奮といったらない。毛があるところに毛がない! もうアフリカじゅう噂で持ちきりだ。毛のない個体をモノにしようとみんなやってきて、最終的に何人が交尾に成功することとなる(当時は結婚なんてなかった)。

すると、肩の部分に毛のない遺伝子を受け継いだ子が生まれる。またみんな興奮だ。結果、肩に毛のないのが増える。やがて、数千年後にはそれが当たり前になってしまう。もう誰もそそられない。

そんなときだ、今度はほっぺに毛のない個体が出現する。

私たちはもうその部分に釘付け、大興奮だ。その結果、今度は肩に加えてほっぺに毛がない変種が増えることになる。

こんなふうにして私たちは、つまり、肩、ほっぺ、その次は背中、腕、腿、とだんだんと毛むくじゃらを脱していく。やがてついに、必要最低限な部分以外は無毛の個体が登場することとなる。

はじめは熱狂と興奮だ。大歓声も上がってる。だが、数十世代後には無毛すら当たり前になる。となると、もう無関心もいいとこだ。ピクリともしない。あんまりご無沙汰すぎて交尾の仕方も忘れてしまう。このままでは人類が滅びる……人類の危機だ。

そのときだ、一陣の風が吹いて、葉っぱが私たちの隠部を覆った。なんだ? 私たちは顔を見合わせ、互いの隠された部分を見る。おお、このとき生じた情欲のほむらは、人類最初の火の使用といってもいいだろう。

「脱毛」から「隠す」へ。人類最大の転換がまさに生じたのだ。そして、このとき以来、私たちは服というものを着るようになった。

ときどきインドかどこかで全身毛だらけの人が見つかると、私たちは先祖返りだと物知り顔にいう。しかし、それをいうなら、現代の私たちが年じゅう脱毛のことを考え、電車内の広告を興味深く眺め、エステ通いに精を出すのも、体毛が抜けるたびに興奮していた時代のノスタルジアでなくてなんだろうか。