苦い文学

仮名手本忠臣蔵

4年ほど前から浄瑠璃の脚本を読みはじめ、それが昂じて、今年は義太夫節の語りや三味線にまで興味をもつにいたった。もっとも私は詳しいことはよくわからないし、筋も良くないが、それでも教えてもらったり、聞いたりするのは楽しい。

今日は深川江戸資料館で義太夫節演奏会があり、師走だけあって仮名手本忠臣蔵のいくつかの場面(身売りの段、勘平切腹の段、一力茶屋の段)が上演された。文楽は語りと三味線と人形遣いだが、義太夫節だけだと人形は出てこない。語りと三味線だけで話を追うことになるが、上演部分の脚本も用意してあるので、それをみていれば話の筋はわかる。

人形がないと何か足りないように感じられるが、三味線が鳴り、語りがはじまると、それだけで独特の物語空間ができあがる。これは文楽とはまったく異なる経験だ。初めは語りと三味線が別々に聞こえているが、物語に引き込まれるにつれて、不思議にもひとつの印象にまとまっていく。私は演目も物語もすぐに忘れてしまうのだが、この物語空間の感じだけは忘れられない。

通常の演奏は語りと三味線弾きのペアだが、「一力茶屋の段」では、定番の太棹三味線のほか、軽みのある細棹三味線と太鼓も加わった。また登場人物に応じて5人の語りが登場し、年末にふさわしく華やかな舞台であった。私が習っている先生方も出演されていた。先生方の話を聞いていると、ひとつひとつ細かいところに注意を払い、考えを重ねて準備されていることがわかるが、そうした努力があるからこそ、きっと物語世界が自然に立ち上がってくるのだろうと思う。