性癖とは「もともとは性格一般についていう言葉だったのに、今ではセックスに関する意味だけで用いられるようになってしまった」というようなことを誰かが指摘していた。確かに辞書で性癖を見ると、「生まれつきの性質。また、性質上のかたより。くせ。」と書いてある。
これが現在では、自分の性的興奮を喚起する、一般の人々から見ると少し特殊なポイント、というような意味で用いられるようになった。もっとも、これはインターネットを使う世代以降の話で、その前の人々はもともとの意味で「性癖」を用いて、性的な意味しか知らない若い人々を今も戸惑わせているかもしれない(ただしそれが性癖という可能性もある)。
「性」という言葉は「生まれつきの性質(英語でいえば nature)」という意味のようで、それで今ならば「生命」と書くところを「性命」とすることもあった。この生まれつきの性質が、男女の生まれつきというところに結びついて「性別(gender)」の意味をもつようになったと推測できる。この gender の性が、「性的な(sexual)」の性に結びつくのも当然の成り行きだ。
いっぽう「生まれつきの性質」の性は、今も「性格、性質、性善説」などに健在であるが、どれも新しい言葉ではない。これに対し「性的な(sexual)」の性は、「性器、性体験、性交渉、性感染」などの言葉に加えて、社会の変化にともなってクローズアップされてきた「性的指向・志向」「性的同意」「性差別」などますます勢力を拡大しつつある。
「性癖」が性的に受け取られるようになったのも、こうした背景が関係しているに違いない。だが、これはもしかしたら、nature の「性」が今あぶないということではないだろうか。なにしろ「性癖」はすでに「性的な(sexual)」の性に乗っ取られてしまったのだ。
私が思うところ、つぎに危険なのは「性向」だ。「向」がすでに「性的指向」と裏で通じ合っていて、もう裏切りそうな気配がある。この性向が性的側に寝返ったら、次は「性善説と性悪説」だ。こうなったらもう性的の進軍は止まらない。「性格」も「性質」も落城するのは時間の問題だ。
そして、近い将来、私たちは「関係性」「積極性」「感受性」「アルカリ性」などの言葉も、使うときにちょっと考えなければならなくなるだろう。