苦い文学

ガムのマラソン

私たちの街で今年はじめてエコ・マラソンが開催されることになった。エコな地球を応援する趣旨ではじまったイベントだ。

サステナブルな上に珍しい試みとあって、日本中からエントリーがあり、何万人ものランナーがこの日、私たちの街に集った。

出発地点である大通りに集まったランナーたちは、ガムを1枚渡されると、ヨーイドンのかけ声とともに、口に放り入れた。

走りながら噛んでいると味がなくなってくる。ランナーたちは口からガムを出し、包み紙に包む。このガムのゴミを手に持ちながら走るのが、このエコ・マラソンのルールだ。捨てたりしたら失格なのだ。

しばらく行くと、給水所がある。ランナーたちは水を受け取り、渇きを癒す。給水所にはゴミ箱があり、うっかりガムを捨ててしまうものがいる。これでもう失格だ。こんなふうにコースのあちこちにトラップが仕掛けられている。このマラソンでは、走る速さや持久力ではなく、長時間ゴミを持ち続ける忍耐力と勇気が試されるのだ。

エコ・マラソンのコースは複雑だ。道路では、側溝の蓋がちょうどいい具合に開いていて、かっこうのポイ捨てポイントに見える。また、駅の構内もコースになっていて、その中を走っていると「駅には絶対にゴミ箱なんかないのだから、もうその辺りに捨ててやれ」という気分にさせられる。

また、コースはドブの匂い立ち込める貧民街や、蠅のうるさいゴミ屋敷を通り、ランナーを「ここならいいか」という気にさせずにはおれない。そして、高い壁に囲まれたヤクザの組長の家の前では、「ゴミ野郎め」とガムを放り投げるランナーが続出した。

コースは、山道や森の中や渓流沿いにも設定されていた。もうゴミ捨てにうってつけで、そこで失格となるランナーの多さときたら、SDGsの採択も無駄だと思わせるほどだった。

しかし、エコ・マラソンの最大の難所といえば、太陽の照りつける最後の坂道だ。「ただでさえ登りと暑さできついのに、ゴミなど持っていられない」とランナーはどんどん脱落し、そこで太陽が引き起こした恐ろしい事態に巻き込まれていった。

捨てられたガムが太陽熱でとろけ、恐るべき粘着力でもってランナーたちを捉えはじめたのだ。ガムに足を取られたが最後、もう一歩も進めない。そして、もがけばもがくほど大量のガムに絡め取られていき、ついには身動きが取れなくなった。

この難所を抜けてゴールのあるスタジアムにまでやってこれたのは2人のランナーだけだった。私たちは、目の前で繰り広げられるデッドヒートに大いに熱狂し、声をからすほどに叫んだ。そして、この熱狂は、追う立場にあった2番手がゴール直前で相手を追い抜き、そのまま逃げ切ったときに最高潮に達した。

「最後の最後で逆転した!」「彼が優勝だ!」「ヒーローだ!」

大会委員長が表彰式で、この優勝者の首にメダルをかけようとしたとき、私たち全員は、表彰台に立っているのが、人の形をしたガムの塊であることに気がついた。