苦い文学

「苦い文学」

「苦い文学」というのは、私がここに書いているもののカテゴリー名で、2021 年 12 月から使っている。自分が書いているものの呼び方をいろいろ考えて、こう名づけた。

「苦い」というのは甘くもなければ、ほろ苦くもない、ということだ。苦渋、苦虫、苦りきる、など、できたら避けたいものばかりだ。「良薬口に苦し」などともいうが、薬を必要としているということは、そもそも心身不調なのだ。

そんなような言葉が文学と結びつくなど奇妙に思えるかもしれない。なぜなら文学とは、作家の経験・思想や先人たちの叡智が込められたものであり、読むやいなや生きる糧となるものだからだ。人は明日を生きるために文学に触れるのだ。

だが、明日を生きない人にも、若干の文学の余地が残されていてもいいのではないだろうか。死の床で読むのにうってつけの文学が。絞首台に運ばれる道中で、ガス室の手前で、核爆発の10分前に、地獄の待合室で、気を紛らわせるための読み物があってもいいと思う。

もちろん、長編なんかダメだ。死はもう差し迫っているのだ。400 字詰め原稿用紙 1 〜 2 枚がちょうどいい。

また、甘くてもほろ苦くてもいけない。愛だの、恋だの、人生だの、希望だの、感動だの、切ないだの、死を前にした人間にとってどれほどの意味があろうか。となると、もう文学はおのずと苦くなるしかないのだ。

もはやなにもないものと諦めていた今際のきわにも、苦い文学だけはある、そう思うだけで、もう待ち遠しいではないか。