昔は電車の中の暇つぶしといえば、本を読む以外になかった。
たいていの人は、電車に乗るやいないや、文庫や単行本をカバンから取り出して、読み耽ったものだった。そして、いつも乗り過ごしたものだった。
しかし、現在では読書する人などいない。電車の中では携帯を見ている人ばかりだ。ネットや動画・ゲームが時間潰しに最適だということが、今世紀になって発見されたのだ。
もっとも読書が完全に追いやられたわけではない。まれに本を広げている人がいる。これらの人は2種類に分けられる。
ひとつは、資格試験の教科書や自己啓発書・ビジネス書を読んでいる人たちだ。どの本もキラキラピカピカしている。出たてホヤホヤの新刊だ。電車の中でこうした本を読んでいるのは若い人たちにかぎられる。より良い明日を目指して研鑽している人々だ。
もうひとつは小説を読んでいる人たちだ。これらは100人中100人が老人だ。しかも読んでいる本の紙質はきまって褐色で、ページを繰っただけで粉々になりそう。さもなければ紙魚がわんさと住み着いていて、その乗車賃まで払わされかねないほど。それくらい大昔に出版された小説だ(ひどいのになると、奥付けにハンコまで押してある)。老人たちはどういうわけかこうした古書に夢中なのだ。たぶん新刊書より軽いからかもしれない。
さて、私はといえば、電車で読むのはもっぱら小説(しかも古書)だ。だが、老人しか小説を読んでいないということに気づいてからは、ビジネス書や自己啓発書を買い、そのカバーを小説につけかえて読んでいる。