苦い文学

車とネズミ

道は車のためにあるという国がある。

そうした国では、歩行者はまったく優先されない。というか、車には歩行者などまったく存在しないみたいだ。

なので、横断歩道があったとしても、車は絶対に止まってくれない。待つだけ時間の無駄だ。

現地の人々は、横断歩道があろうかなかろうがおかまいなく、車の流れの切れ目を利用して、あっという間に向こう岸に行ってしまう。車の前後をたくみにすり抜けて行くその姿は、まるでネズミのようだ。

私たち不慣れな外国人がそうした国で道を渡る場合、現地の人にぴったりくっついて渡るのがいちばんいい。ただし、車の流れに対して現地の人が「川上」に立つようにしないと、自分が先に轢かれかねない。

しばらく練習すると、独立するときが来る。コツも掴んで、渡るのにも足取り軽やか。すり抜けるときに、きげんよく車の尻をポーンと叩きかねないほどだ。携帯見ながらでも渡れるような気もしてくる。もういっぱしのネズミだ。

ごくまれに横断歩道で車が止まるときがある。

車には私たちネズミが見えないはずなのに……。もしかしたら、「見えてしまう」系の車なのだろうか?

横断歩道へと足を踏み出し、ゆうゆうと渡りながら、「私たちのこと、気がついてくれたんだね」と車に微笑んだとたん、急発進した車に轢かれる、そんな事故が多発している。

この国では、横断歩道で止まった車がいちばんあぶない。