苦い文学

銅像の時代

いわゆる東大生とは違うのだが、私はかつて本郷の東京大学で学んだことがある。

本郷キャンパスは、日本で最も古い大学施設の一つで、古びて味わいのある校舎が並んでいる。これらは歴史的な価値のあるものだから、壊して建て直すというわけにはいかない。外見はそのままに、内部を改修改築して使っているのである。

そんなわけで、建物によってはまるで迷路のようになってしまったものもある。うっかりすると出口がわからなくなってしまう。私もいくど迷ったかしれない。

あるとき、地下にある購買部に行こうと階段を降りると、見覚えのない回廊に出た。薄暗いその回廊を歩いていくと、白い円柱に挟まれたカウンターがあり、一人の老いた男が座っているのに気がついた。

私が道を尋ねようと声をかけると、老人は顔に歓喜を浮かべて叫んだ。

「お待ちしておりました! ご用命くださればただちに取り掛かります」

だが、私が事情を話すと、老人はかわいそうなぐらい悄気てしまった。私は気の毒になった。円柱には古びた木の板が取り付けられていて、そこには「銅像部」と書かれていた。私を客かなにかだと勘違いしたのだ。

「すいません。購買部に用があるのです」

「購買部ならこの廊下の先を曲がったところだよ」

「銅像部というのは何なのですか」

「銅像部では、功績ある学者先生の銅像の注文を受けつけるのだ」と老人は重々しく告げた。

私は大学構内にある数々の銅像を思い浮かべた。「ああ、たくさんありますね」

老人は自慢げに胸を張った。「そうだ、濱尾新先生、三好晋六郎先生、山川健次郎先生……、すべてこの銅像部の製作によるのだ」

「ずいぶん昔の先生方ですね」

「そうなのだ」と今度は肩を落とした。「昔は東大といえば銅像だった。だが最近ではもう……」と老人はぶつぶつと昔語りを始めた。銅像華やかなりしころの先先代の逸話、早稲田の連中に銅像づくりの技を盗まれた顛末、戦時中の供出で失われた傑作の数々、先代から始まる凋落と、今にまで続く忘却の時代……。

「何十年もここで銅像の注文をお待ちになっているのですね」

老人は私の質問には答えず、唸るようにつぶやいていた。「もう、銅像は時代遅れになってしまったのだろうか? それとも、銅像に値するような立派な先生が払底してしまったということなのだろうか……」

私はただ曖昧な笑みを浮かべ、一礼すると歩み出した。背後の老人の悲しげな呻き声がどこまでも私を追いかけてくるように思えた。

私が東大にいた時期はほんの短いもので、再びこの「銅像部」を訪れる機会はなかった。だが、先日、数十年ぶりに、本郷キャンパスに行く機会があり、ふとあの「銅像部」と老人のことが思い出された。

私はあの地下の階段を降り、再び薄暗い回廊に出た。そして、その回廊の先の、白い円柱に挟まれたあの場所に立った。カウンターも、老人も、「銅像部」の看板も何もなく、ただ立派な3Dプリンタが置かれているだけだった。