苦い文学

惑珍問答(上)

丑松は頭に濡れタオルを乗せて、床に臥せつてゐる。兵六は困つたやうすで、丑松のタオルを替へている。

丑松(熱にうなされてうなる)「うん、うん」

兵六「おい、丑松大丈夫かい。(丑松の額に触れて)こりや熱が引くどころぢやないわ」

丑松(弱々しい声で)「兵六やい、国柄先生にはくれぐれも内緒だぜ」

兵六「わかつてらい。なにせ先生ときたらとんだワクチン反対派ときてる。これが知れたら大事だ」

丑松「まつたくだ」

このとき、国柄先生、部屋の外に現れる。障子の隙間から中をこつそりうかがひ、二人の話を盗み聞きする身のこなし。

兵六「なにせ、お前が、ワクチンをこつそり接種して、二回目の副反応で熱を出してゐるなんてえ聞いた日には、どんな騒ぎが持ち上がるか知れたもんぢやあねえ」

丑松「ええい、考へただけで、熱が上がりそうだ。なんとか三度まで済ましたいものだ」

国柄先生、障子をがらりと開けて、二人の前に姿を現す。兵六、びつくりなす。丑松、慌てて身を起こす。

兵六・丑松「やや、先生」

先生(どつかと座つて)「お前たち、何やらよからぬ相談事を。まさか、南蛮由来の毒を接種したのではあるまいな」

兵六・丑松「いえ、滅相どころもございません」

先生「しかし、ワクチンだの接種だの聞こえたが」

丑松「それは(と口ごもる)」

先生「さあ、いかに」

丑松「さあ」

先生「さあ」

兩人「さあ、さあ、さあ」

兵六「(割つて入る)それは、先生、この度、摂衆寺にやつてきた惑珍和尚といふお坊様のことでございませう」