私は一生懸命勉強をして、とある有名私大の入試に合格した。
ちょうど私が合格したとき、その大学のAO入試で、私と同い年の芸能人が、芸能活動と意欲が認められて合格したというニュースが飛び込んできた。
テレビでは、その芸能人に対する賞賛が繰り返されていた。これを見て、私は急に恥ずかしくなった。まるで自分が合格にふさわしくないように思えたのだった。それで、入学式から数日して、退学届けを出した。
私は暗い20代を過ごしたが、たまたま、社会的弱者に対する支援活動に関わるようになった。お金にもならなかったが、その活動に私はのめり込んだ。私はもてる時間、もてるものすべてをその活動に差し出したのであった。ついに一生の仕事を見つけた、と私は思った。
その活動を続けて何年か経ったとき、ある芸能人が、私の関係する同じ活動に多額の寄付を行ったことが発表された。のみならず、その支援活動を熱心に行う姿が報じられた。社会は賞賛の声を上げた。そして、私はその活動からいっさいの手を引いた。自分のやっていることが急にみすぼらしく思えたのだった。
私はすべてを失い、社会の暗い底でもがいていた。そこにコロナがやってきた。そのせいで、私はもはやもがくこともできなくなった。私は死のうと決意し、その準備を始めた。
その時、衝撃的なニュースが社会を揺るがした。ある芸能人が不可解な自殺を遂げたのであった。ニュースやワイドショー、新聞や雑誌ではその芸能人の死を惜しみ、その才能、魅力、良心の失われたことを嘆く声で溢れた。
私は諦めた。この芸能人の死に比べたら、みっともないにきまっている自殺をどうして決行することができようか。
《別エンディング》
私は諦めた。芸能人たちは我々から容赦なくすべてを、自殺すらも奪っていったのだった。狭いビルでガソリンをぶちまけるしか、もはや我々に残されていないとしても、誰がこれを責められよう。