今年2月のビルマでのクーデターを受けて、入管の在日ビルマ人への態度が変った。
今年の夏に出た「本国情勢を踏まえた在留ミャンマー人への緊急避難措置」というのがそれで、「緊急避難措置として、在留や就労を認める」というものだ。
この話を聞いたKさんが、私のところに来た。彼は難民申請者で、入管にも三度収容されていたことがある。去年の春に仮放免された人だ。
私は彼の身元保証人をしているのだが、Kさんは自分にもこの「緊急避難措置」が当てはまるのかどうか、入管に聞いてほしいというのだった。
私たちはサイゼリアでお昼を食べていたので、私は店を出て入管に電話した。担当の人に繋がり、私は、自分が身元保証人であることとKさんの名前を告げ、事情を話した。すると担当の人は少し調べた後「順次手続きしているので入管から連絡がくるはず。もし事情があれば、入管に直接来て手続きを行ってほしい」と言った。
私は大急ぎでKさんのもとに戻り、入管の話を伝えた。我々二人に大きな感慨が訪れた。ついにKさんは日本での滞在を認められるのだ。ついに彼は正々堂々と日本で暮らすことができるのだ。おお、収容所よ、さらば!
新しい人生がはじまるのだ。
Kさんは心の重荷を下ろすかのようにため息をついた。その表情には静かな喜びがあった。
すると、私に電話がかかってきた。入管からだ。私は軽やかな足取りで再び店外に出て通話をはじめた。
それは訂正の電話だった。Kさんの場合は、一度、不法滞在になっているので、この「緊急避難措置」の対象外だとのことだった。
私は重い足取りで席に戻り、Kさんに間違いだったと告げた。私はそれ以外になんと言ったらいいか分からなかった。だが、不思議なことにKさんにはがっかりした様子もなかった。そして、意外なことを言った。
最初の電話の時、私がとても楽しそうに店の外から帰ってきたので、それがとてもうれしかった、と。
私は仕事がなく、Kさんはビザがない。我々の人生はとても苦いが、それでもそこに味わうべき何かがあったのだ。